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明日は第4回の卒園式です。そのたびに「園長先生のお話」をしてきました。これまで「お話」してきた内容は、実のところ、まったく思い出せません。自分の食べたものなどは、3日前ともなれば、完璧に思い出せない“やばい状態”にあります。けれども子どもたちとのエピソードは、この4年間はもちろん、20年以上前の保父さんをしていた頃を含めて、何年経ってもシツコク覚えています。
自分の幼稚園時代(公立で1年保育でした)のことも、卒園式を含めてたくさんの記憶があります。私のクラスはさくら組で担任は柄谷先生、残りの3クラスの担任(うめ組、
原田先生から途中で産休になり
畑先生、もも組、徳永先生、もみじ組、林先生=主任、園長は小学校の校長で西山先生)についても、性格を含めてよく覚えています。卒園式の日、先生たちはみんな泣いていました。先生が泣いていることが不思議でした。その泣いている姿が悲しいような、不安な気持ちになった感覚がいまだに残っています。茶話会では、はしゃぎまわりました。先生たちが食べ物を口に入れる姿が何か奇妙で、友達の
谷井啓一くんと重田のりこちゃんの3人で『いま、@@先生、パン、口に入れはった』とひそひそ話をしながら、断続的に声を出して笑って、みんなの注目をあつめていました。いまでは考えられないような目立ちたがり屋だったのです。みみつきのサンドウィッチには缶詰のミカンが1つ入っていました。それだけをよけておいて、あとの楽しみとして食べました。45年以上、むかしのことです。
明日、卒園する子どもたちとのエピソードも1人ひとりしっかり記憶の映像のなかで生きています。保護者のみなさんがイメージされている以上に、私たち保育者は、ずっと、忘れないものなのです。
連日、なんやかんやと多忙を極めていますが、いま、夜遅くひっそりと、卒園児名簿を眺めて、1人ひとりのことを保護者のみなさんとのエピソードを含めて「あんなこと、こんなこと」を思い浮かべて、ひとり、にんまりしています。時間がまったりと進んでいます。充実した“瞬間”がつらなります。
1人ひとりの子どもとの思い出をフラッシュバックすることに意識を集中していると、それが元気のエキスになってテレパシーのように子どもたちに届かないかなあ〜と妄想を抱きますが、実は自分自身がいちばん癒されていることに気づきます。ふたたび自分のことに立ち返ると、侮辱をうけるような叱責、感情だけで叱られた時、排他的で粗暴な心が育ったと思います。逆に自分自身で招いた災いで苦しんだときは、自分のことが可哀想で胸が痛み、友達がほんとうに困って泣いていたとき、その悲しみに何もできないことが申しわけなくて「自分が代わってあげる、自分なら耐えられるから」と感じたことがありました。楽しいことよりも切なくて悲しいことが生き抜く力の源泉になっていると感じます。
卒園式を前にして、「園長のお話」の内容を考えるよりも、子どもたちに思いを寄せる時間を設けたり、自分自身のことをエピソードを通して時間をかけて省みることが楽しみに感じるようになりました。 |