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ほいくの窓は、保育現場から園長(牧田稔)が主張したいことを掲載しています。 |
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変わりゆく保育制度 Z 〜子ども・子育て新システムに関する中間報告から〜
2011年7月29日付で、子ども・子育て新システムに関する中間とりまとめが公表された。それ以後、二人の厚生労働省の課長からこの件について講演を聴く機会があり、資料もいただいた。 幼保一体化の問題は、永年議論が展開されてきたが、幼稚園の教育機能と保育園の保育機能を併せ持つ「総合施設」(仮称)の創設を柱とした報告であった。総論として、「すべての子どもに良質な生育環境を保障する」と明記したことは評価したいが、各論では、理解できないことが多々存在する。
幼保問題の歴史を振り返ると、1951年(昭和26年)の児童福祉法が改正され「保育に欠ける」文言が盛り込まれ、1958年度(昭和28年)から保育所運営費が国庫負担金となった。 1963年(昭和38年)文部大臣が「幼稚園教育の義務化」を表明。これに対し保育所の実態を無視していると保育所から猛反発が起き、1963年10月(昭和38年)に、文部・厚生両省が「幼稚園と保育所の関係について共同通知」をだして、「両施設の目的と機能は異なる」と初めて明確に示した。1970年(昭和45年)中教審で「初等・中等教育の改革に関する基本構想(試案)」を発表。 この中で、全ての5歳児を幼稚園に就園させることを目標とし、幼保の関係も将来幼稚園として必要な要件を具備している保育所に幼稚園のとしての地位を合わせて付与する「二枚看板」を打ち出した。これに対して、この構想は、保育所軽視であり、幼保関係の基本的な解決になっていないと反論するとともに、保育界では、「保育所本来の役割とは何か」という問題意識のもと、保育制度をどう充実していくかの認識を強くもつようになった。
1987年(昭和62年)の臨教審の最終報告では、「幼稚園・保育所はその目的は異なるが、幼児教育において重要な役割を果たしており、就園希望・保育ニーズに対応できるよう、それぞれの制度の中で、整備拡充を進める」ことに落ち着いた。 幼保一体化中間報告に戻ると、@総合施設、A幼稚園、B3歳未満を対象とする保育所、C一定基準を満たした企業やNPO法人運営の保育施設、の4つを「こども園」として位置付け、待機者の受け皿拡大を図り、D「地域型保育給付」として自宅で乳幼児を預かる保育ママやベビーシッターにも公費投入をする。幼稚園が総合施設に必ずしもならなくてよいとなったのは、幼稚園関係団体の強い反発があったためと聞く。3歳未満児だけの保育所は、総合施設にならなくても良いというのは、保育園が大切にしてきた養護と教育を一体化した保育の概念を理解していないのではないかと憂慮する。
また、保護者が希望する施設と直接契約にしてしまうと、行政のソーシャルワーカーが介入することが困難になり、子どもや家庭の抱える問題を掌握できなくなる危険性もあり、児童福祉としての保育が守れなくなります。歴史的な幼保問題をみると、幼稚園・文科省の考えが先行しているように思われてなりません。保育園では教育が行われていないという誤ったとらえ方や定員割れ幼稚園の経営の救済策として生まれたと思われる。
(2011年11月1日) |
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「神戸私保育連が公益社団法人格の認定を受ける!!」 〜児童福祉の源流を守り新しい公共に挑戦〜
2011年9月12日の兵庫県の公益認定委員会で、
「公益社団法人格の認定を受ける!!」の見出しで「ほいくの窓」を書こうと考えて、認定を受けた今回までに、公益法人改革に関連して記述したのは、10回に及んでしまった。 認定申請に関連して、神戸私保連50周年史に認定を受けたことを掲載したかったので、所轄官庁の対応にいらだちも覚えたが、それだけ多くの関連書籍を読んで広く学び、新しい公共や市民社会について考えることができて感謝しなければと思うことにした。 1898年施行の民法34条による公益法人に関する規定が、2008年12月1日に110年振りに公益法人関連法 @一般社団法人及び一般財団法人に関する法律 A公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律(公益法人認定法) B関係法律の整備等に関する法律が施行されました。 公益法人関連法施行当時、約24,000団体あった旧社団法人・旧財団法人は、特例民法法人とされ、2013年11月30日までの5年間の内に一般社団法人・一般財団法人にするか、公益社団法人・公益財団法人の認定を受けるか、申請しても不認定や不認可となった場合は、原則として解散になります。
特例民法法人となった
認定を受けて、今後は「公益社団法人 1. 公益認定基準の遵守(認定法5条)
@公益目的事業を行うことが主たる目的であること(23種の事業のいずれかに該当)A不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する(17の事業のどの事業が主たる事業か) 2.公益目的事業を行うに当たり収支相償の原則の遵守(認定法14条)
3.公益目的比率の遵守(認定法15条)公益目的事業比率が50%以上なければならない。 4.遊休財産の保有制限規定の遵守(認定法16条)、遊休財産額(現在使用されていない財産で引き続き使用が見込まれない財産)が、公益目的事業の実施費用または準ずる額の制限を超えないこと 5.情報公開として財産目録等の書類が、閲覧することができるようにする。(認定法21条) 6。行政庁の監督に服する義務(認定法22条)等々。 新制度下の公益法人は、定款自治と自己責任を意識し、「適切な組織体制(ガバナンス)、透明性と説明責任(デイスクロージャー)、法令順守(コンプライアンス)の公益法人経営の三原則を確立し、不特定多数の公益をはかる」民間公益活動の中心的担い手として、市民社会の構築を築く責任があります。認定受けたことがゴールでなく、信頼され、尊敬される公益法人の出発点であることを確認したい。
(2011年10月1日) |
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「フィランソロピーの橋」を再読してA 〜市民社会を構築する運動と組織・団体〜
市民公益活動の基盤整備するために、NPO法や公益法人改革の関連法が生まれたが、このことが、民間が担う非営利・公益セクターを発展さていくのか不安も残ります。 ドラッカーのいう「非営利法人は使命のために存在している」という意味が、いつの間にか団体存続のために汲々として、常に資金問題が中心的な課題となっていくケースが多い。 ここに運動と組織の現代における宿命が存在しているように思えます。
民間の非営利・公益団体は、NGO/NPOも含めて運動体であり続けて欲しいと思います。
つまり、既存の社会システムを超えて、各民間NGO・NPO団体や市民と協働する営みが、ネットワークを作り、国連のいう「グローバルはローカルから始まると」いうことを、市民ボランテイアが実践した好例の一つといえます。これは、阪神大震災の大きな遺産かも知れません。
運動の影響力を大きくするためには、生活主体者の市民、つまり多くの人間を組織化して、大きな組織をもたねばなりません。運動にとって組織は不可欠ですが、しかも、組織と運動は、矛盾する要素を含んでいます。
クリスチャン作家の三浦綾子さんが、「使命とは、命を使うと書くでしょう。私は小説を書くことが、神様から授かった私の使命だと思っています。一冊書き終えるとヘトヘトに疲れて、ああ命を使ったなと思います。でもこれが私の使命ですから書きつづけます。」と言う言葉に、三浦さんの作家としての使命感が、私たちの心に伝わってきます。非営利・公益組織が、使命(ミッション)のために存在している意味が、その働きの中で、人間としての生き方として共感され、変革されるとき、運動性は強化されます。
(2011年9月1日) |
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「フィランソロピーの橋」を再読して@ 〜公益法人改革とフィランソロピー〜
ここに2000年4月7日初版発行の「フィランソロピーの橋」〜こころ豊かな社会を築くために〜(林雄二郎/加藤秀俊編著)が手元にあります。確か、阪神大震災の時から何度かお目にかかった執筆者の一人である今田忠氏から出版のことをお聞きしてすぐに購入したように記憶しています。
将来の望ましい社会は、他者のために役立とうとする社会で、そのような社会を創りだすのは、倫理指数(EQ)の高さが求められる。知能指数ではなく、倫理指数という概念は、社会福祉や市民公益活動に従事する私たちにとって、特に意識しなければならないことかも知れません。 1994年3月にNIRA(総合研究開発機構)の市民公益活動基盤整備に関する調査研究の報告書がきっかけになったのか、1998年のNPO法(市民活動促進法)が施行されたが、私がもっているこの報告書には、茶色に変色した当時の関連記事の新聞切り抜きがたくさんはさまれていた。
YMCA在任時の1975年に主事認定を受けたが、若き日の主事認定論文は確か「公益法人としてのYMCAにおける組織開発とYMCA運動」だったように記憶している。
2008年12月1日に施行された公益法人改革の関連法に基づいて、民法34条による許可を得た社団法人
公益法人改革の発端は、国・自治体の公益法人が天下りや多額の給与・退職金の受領問題、公的な補助金給付、随意契約などの不公正取引等、法人経営の不祥事が多発したためと推測される。
「フィランソロピーの橋」執筆された識者やNIRAの「市民公益活動基盤整備に関する調査研究」、民間の「財団法人公益法人協会」(現在、公益財団法人に認定されている)の働きは、「民が担う公益活動」を図る上で、また市民社会を構築する上で、非常に大きな影響を与えていると、私は理解している。
関東大震災、阪神大震災、東北大震災等の予期せぬ災害を市民が体験する中で、政府の対応とは別に、市民の自らの生き方に従い、募金やボランテイアの支援が広がっていることが、成熟社会へ近づいている証かもしれません。 |
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わが家の癒し犬「ララちゃん」から考えさせられたこと
私が毎月書く「ほいくの窓」は、硬い文章なので面白くないことを承知しているが、突然、全国私立保育園連盟から、保育通信の4月号に掲載する「私のすき」というテーマで、趣味だとか何でもいいから原稿を書くようにいわれました
。
しかし、原稿の提出後、未曾有の東日本大震災と津波で、想像を絶する被害状況や原発の危機的状況に何とも言えない気持ちでニュースを見ながら、戦争や大災害の時程、人間として被災者に心を寄せ、支え合い、共に生きようとする姿勢がボランテイアや募金活動を通して、人間としての生き方を問われているように思います。
今回の東日本大震災は、津波に加えて、福島の原子力発電の事故の処理がどのように収束させるか日本ばかりでなく、世界で注目されています。
東日本大震災と津波の被災者の心のケアーの問題が取り上げられていますが、阪神大震災の時も多くの心理学者や精神科医から問題提起がされていました。
私は「ララ」という名前に、両親から何度も聞いていた「ララ物資」のことを思い出した。「ララ」(LARA)は、Licensed
Agency for Relief in Asia(アジア救済連盟)の頭文字で、敗戦で飢えに苦しんでいた日本へ、敵対していたアメリカから大量の粉ミルク、医薬品、日用品等の救援物資が届けられ、当時、日本人の6人に一人は、この救援物資の恩恵を受けたと言います。後に知ったことであるが、この団体の中心となったのは、日系アメリカ人の浅野七之助とクリスチャンの人々であったとのことで、1946年11月に横浜港に第一便が到着。
赤十字の運動、敗戦後に敵国だったアメリカからの「ララ物資」や関東大震災の賀川豊彦の働き、ボランテイアが大活躍した阪神大震災、そして今回の未曾有の東日本大震災と津波の被災者との連帯や共感を通して、市民一人一人が、他者のために生きることこそが、人間としての価値ある生き方で、新しい公共、成熟した市民社会ということかもしれません。
癒し犬「ララちゃん」から、話は飛んでしまったが、初老になった私の心を癒し、私のベッドに潜り込んで私の足を枕にして寝ています。時折、私の寝返りにビックリして噛みますが、私のナースと自負する保育士数名が手当をしてくれ、これがまた、私の心の癒しとなっているようにも思います。 |
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公益法人改革を考えるZ 〜新しい公共と友愛と連帯の市民社会の形成〜
東日本大震災に対して多くの団体や著名人や一般市民が被災地に心を寄せて募金活動やボランテイア活動をされていることが毎日報道されています。
私たちにもいくつかの団体から募金のお願いがたくさん寄せられていますが、私立保育園連盟が行う被災を受けた保育園や子どもたちに焦点を当てて、保護者・職員に呼び掛け、募金箱を置いていたら、90,988円が募金箱に入っていました。
何故このような書き出しをしたかと言うと「新しい公共」の概念の源流に、市民の一人ひとり、民間の公益団体・NPO・NGO等の諸団体、企業などが共生を基本とする人間らしい社会や地域の絆を再生する主体者となる社会を創出することを目指しているからです。
過去6回、そのうち3回は、
神戸の私立保育園連盟は、近い内に公益社団法人化が認定されると思いますが、1998年の「特定非営利活動促進法」(NPO法)と2008年12月1日から公益法人改革の関連法が施行され、従来の民法34条の行政の自由裁量権で、民間団体が公益法人の許可を受けることは大変難しかったのですが、今回の制度改革は、主務官庁制と許可主義を廃止し、(法人の設立と公益性の判断を分離すること)を前提に、民間有識者の「公益法人認定委員会」が判定することになっています。
(2011年5月1日) |
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公益法人改革から考えるY 〜公益社団法人化による社会的責任〜 国も全国の自治体も、財政危機に直面し、福祉・教育・医療・介護などの分野でも、努力して作ってきた福祉国家型行政に、民営化、民間委託、市場化、規制緩和など自治体のリストラを推進する方法が、公共部門と民間部門のコスト比較で検討され、公から民へ流れが急速に進んできました。
しかし、公と民の役割を抑えずに、短絡的な課税やコスト論で一連の改革がとらえられるなら、旧来のシステムが解体され、混乱するだけで、新しい社会システムの構築にはなりません。
さて、公益認定を受けた法人は「公益社団法人・公益財団法人」という名称を独占的に使用でき、一般の公益認定を受けていない法人格に比し、社会的信用が高まり、税法上「特定公益増進法人」に該当し、寄付金控除が適用され、寄付者に税制優遇があることから寄付を集めやすくなります。(寄付金税制の優遇)。また公益目的事業が非課税となります。 私立保育園連盟は、公益社団法人格の認定を受けることにより、信頼され、尊敬される組織の社会的責任を果たす上で、従来の民法の公益法人以上に、下記のようなことに積極的に取り組むことが期待されます。 @コンプライアンス(法令や組織倫理の遵守、サービス利用者・職員・地域社会などの期待に応えること、社会通念・高い倫理性)の確立。役員の損害賠償責任の明確化等。・・・社会からの信頼を高める戦略 Aパブリックポリシー(私保連の組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向性等)(アドボカシー)の確立。 B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議委員会等法人として相互に牽制機能を持った組織形態、執行と決定の分離等)と内部統制の確立。 社員総会(評議員会)、理事会、監事、会計監査人における意思決定、業務執行、監督機能の適正。
Cアカウンタビリテイー(説明責任)・・アカウンテイング(会計)とレスポンスビリテイー(責任)の合成語。組織の活動や財政・経営の内容を説明する責任を果たす。 D財務基準・・公益目的事業比率50%以上、公益目的事業財産の公益目的支出(公益目的事業収益の全額、収益事業等収益の50%以上も繰入を強制)、公益認定取消時には残余財産の全額を公益贈与)、収支相償の原則、遊休財産保有制限等を守らねばなりません。
これらの公益社団法人として求められている事柄は、厳しいようですが、このことによって社会的信頼が維持されると思います。保護者の皆さまと直接関係ないと思われる国の公益法人改革についてシリーズで書いてきましたが、児童福祉施設として、私たちの民間保育園が構成している神戸私保連が、地域社会から尊敬され、信頼される「公益社団法人 (まだ、公益社団法人の認定申請中です。早く認定が得られることを願っています) (2011年4月1日)
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公益法人改革から考えるX 「神戸私保連の対応 A〜新しい公共福祉を目指して〜」
2007年6月2日に公益法人関連法(@一般社団法人及び一般財団法人に関する法律 A公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律 B関係法律の整備等に関する法律)が公布され、2008年の12月1日からこの3つの法律が施行されました。
新制度の一般社団法人・一般財団法人の設立は、登記のみで設立可能ですが原則課税になります。公益社団法人・公益財団法人の設立は、一般社団法人・一般財団法人のうち、希望する法人に対して、民間有識者による公益認定委員会の意見に基づき、行政庁が公益認定をします。
神戸私保連と全国私立保育園連盟(全私保連)は、前述したように公益社団法人格取得のため、総会で公益認定を受けるため、いち早く公益法人委員会を設置し、新制度改革に対応準備を進めてきました。(全私保連は3月末に認定される予定、神戸私保連は申請していますが認定期日は未定)
阪神大震災以後、1998年に施行された「特定非営利活動促進法」(NPO法))によって比較的コントロールの少ない認証制度により法人格が与えられることになりました。
今回の民法34条に基づいていた公益法人の改革は、従来の日本型社会システムの行き詰まりを、グローバルスタンダードの中で、新しい市民社会を構築する必要性に気づいたといえます。
21世紀は、新しい公共、つまり民間非営利・市民セクターをどのように形成し、発展させていくかの哲学をもって、成熟した社会のイメージを明確にして欲しいと思います。
*この原稿は、 |
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公益法人改革から考えるW
「公益法人改革と
ほいくの窓に「公益法人改革を考える」というテーマで書いたのは、2007年6月に公益法人関連法が公布され、2008年12月1日に施行された時期に、3回に分けて改革の概要や市民社会の在り方や各種の制度改革による民と公の在り方について考えてみました。
しかし、市民社会の基本法といわれる1898年施行の民法典の公益法人に関する規定が、2007年6月に110年振りに改定・公布され、2008年12月1日に施行されました。 日本の社会構造や制度は、民間団体を行政や公の管理下に置こうとしてきた歴史がありました。他方、許可や認可を受ける非営利・公益団体も、法人格を取得することは、法的・社会的に行政のお墨付き(信用保証)をもらう感覚に陥り、法人の監査や監督指導に従順になり、いつのまにか行政の末端組織のように、その管理下に置かれてしまう傾向があったことは否定できません。また、官が公益法人を独占するシステムの歪もありました。
近年、国や自治体が、あたかも外郭団体のように社団法人や財団法人を設立し、天下りの受け皿とし、国庫や自治体からの補助金による多額な人件費や退職金を受けていたり、埋蔵金を多額に抱え込んでいたり、公益法人の不祥事が多発したことにメスが入ったことの理由も考えられます。
今日、国をはじめ公・民上げて、構造改革や機構・制度改革、規制緩和による社会変革を進めようとしていることは、既存の組織や制度の官僚化や硬直化に対する挑戦かも知れません。
この公益法人改革の目的は、民間非営利部門の活動の健全な発展を促進し、民による公益の増進に寄与するとともに、主務官庁の裁量権による許可制度の不透明性の問題点を解決する目的がありました。日本未来学会会長で日本の財団業務の権威である林雄二郎氏は、「社会の成熟度というものは、第3セクターである市民活動団体であるとか、非営利組織(NPO)の確立度合いによって測られる」と言い切っています。 (2011年2月1日)
*この原稿は、 |
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正義について再び考える Z
「主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。
NHKで放映されたマイケル・サンデル教授の「正義」についての講義が注目されています。ガンジーが指摘した人間社会の7つ大罪(哲学なき政治、道徳なきビジネス、労働なき冨、人格なき教育、倫理なき快楽、人間性なき科学、犠牲なき宗教)の「なき」ものを「ある」ものに変えることが、社会正義の実現かもしれません。
旧約・新約聖書で「正義」を検索すると、96件も記載されていることがわかった。
昨年度の「ほいくの窓」は、7回連続で「保育における正義」について考えました。
最近目についた毎日新聞の見出しで、「正義を捨てた組織」、「正義をなくした強大権限」というように、私たちが社会正義の実現の最後の砦と思っていた検察特捜部の証拠改ざんという不祥事が起き、少なからぬショックを私たちに与えました。 そして、私たちに正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろうか、自分が何を考え、また、なぜそう考えるのかをみきわめてはどうだろうかと呼びかけています。 彼が呼びかける人間が生きるために何が大切なことか、道徳と政治をめぐる考察の旅をこの1年間意識してみようと新年に心を新たにしました。 (2011年1月1日) |
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神視保育園の沿革〜過去と現在の対話から未来へ〜 神視保育園の沿革について、総合計画策定の時と創立50周年の時に調査し、まとめたいと願っていましたが、阪神大震災で資料は何も残っていない状況で、前園長にお聞きしてまとめていたが、2010年8月に鳥飼慶陽氏(番町出会いの家牧師、賀川豊彦研究者)から、訂正と新たな歴史の情報をいただきました。主な当園に関する沿革を修正し、記録に留めました。
・1909年(明治42年)の12月24日に、賀川豊彦は神戸「葺合新川」に住み込み隣保活動を開 ・1918年(大正7年)8月葺合区吾妻通りに「イエス団友愛救済所(無料診療所)」を開設。
・1919年(大正8年)7月に林田区(現
・1921年(大正10年)には、馬島医師米国留学。後任の医師は於保泰造・芝八重。
・1943年(昭和18年)四番町4丁目に2階建家屋を購入し、イエス団の「天隣館」開館。 ・1945年(昭和20年)吾妻通りのイエス団が戦災で焼失。天隣館が暫く本部の役割を担う。
・1946年(昭和21年)中井一夫
・
1957年(昭和32年)武内勝が賀川豊彦の支援を得て無認可の「神視保育園」を開設し、初代
・1963年(昭和38年) 0歳児と1歳児の乳児専門保育園として「天隣乳児保育園」を天隣館で ・1965年2月 隣接ゴム会社より出火。一部保育室焼ける。10月に新園舎完成。 ・1966年(昭和41年) 賀川記念館の学童保育「天隣ひまわり学級」を天隣館で開設。 ・1966年4月 村山盛嗣が園長代行 ・1969年4月 竹内正枝園長就任
・1995年1月17日、阪神大震災で園舎全壊。保育不能となる。園児2名死亡。 ・1995年6月 プレハブ園舎完成・保育再開。(64名で再開.全壊が多く、仮設住宅に転居) ・1997年3月 新園舎竣工(現在の天隣乳児保育園・神視保育園)定員割れ状況続く。 ・2002年4月 牧田稔園長就任。総合計画スタート。 ・2002年4月〜総合計画の第1期中期3カ年計画(2002年4〜2005年3月)スタート。 ・使命・理念の明確化・文章化、コンプライアンス・組織倫理の確立のため就業規則・諸規則の全面改定と追加規則の策定、保育・施設運営に関するマニュアル全てを策定、給与ソフトの導入、給食の改善(栄養ソフト、スチームコンベックの導入など)保育の質を高める諸施策スタート。
・2004年11月にHYKの第3者評価を ・2004年11月 第3者評価受審(全国保育士協議会HYK第3者評価機関・インターネットで公表)
・2005年4月〜総合計画の第2期中期計画(2005年4月〜2007年3月)スタート。 ・2007年4月〜総合計画の第3期中期計画(2007年4月〜2010年3月)スタート。
・神視保育園創立50周年事業展開(2008年)、賀川の子どもの権利モニュメント設置、神視保育園
園旗の策定(賀川督明氏によるデザイン)、50年間の歴代職員就退任日時をパソコンに打ち込み。 ・2008年7月に新保育指針に基づく神視保育園独自の保育過程・保育指導計画 ガイドライン策定。
・2009年4月から新保育指針・指導計画に基づく保育の展開等を実施。神戸版解説書策定に参画。 ・2010年4月〜総合計画の第4期中期計画(2010年4月〜2013年3月)スタート。
・地球温暖化防止・省エネルギーを意識した保育環境づくりと、「もったいない運動」を継続。
・2010年4月にエコ推進事業所に認定される。(30%省エネ化達成) ・賀川豊彦が目指した平和・正義・環境・人権・共生の視点を大切にした保育園づくりを行う。 (2010年11月1日) |
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「ソーシャルワークと宗教A」
〜社会福祉の歴史は現代に何を語るのか〜
ラインホールド・ニーバーの「ソーシャルワークを支える宗教の視点」を読んでいたら、YMCA在職時代の先輩の真嶋克成氏から「同志社学生キリスト教運動史」を頂戴した。
新島襄は1864年の脱藩、函館より密航渡米。1875年新島襄が同志社英学校を開設。 権力と体制を批判し、非戦平和と社会正義の実現に戦った柏木義円、刑務所の改善と非行少年の教育(児童自立支援施設)に尽力し、日本の社会福祉の先駆者といわれる北海道家庭学校の創始者の留岡幸助、社会的実践活動家の山室軍平、また、キリスト教的人道主義から社会主義思想家として活躍し、日本で最初の学生生活協同組合(今日の大学生協)を設立、早稲田大学教授を経て衆議院議員となり、日露戦争で非戦論を主張した安部磯雄など、幕末・明治時代に活躍した同志社を中心としたキリスト教運動は、権力と体制を批判して社会正義を模索し、貧しさや弱者として苦しむ人々を救済する日本の社会福祉に大きな礎を築きました。
彼らの影響を受けた石井十次(1887年孤児院設立)や中島重、賀川豊彦などの社会的キリスト教の働きが、歴史的にソーシャルワークを支えてきたとも思えます。
E・H・カーは、その著「歴史とは何か」で、「歴史は、現在と過去との対話である」と言い、「過去は、過去のゆえに問題となるのでなく、私たちが生きる現在にとっての意味のゆえに問題になる・・過去を見る眼が新しくならない限り、現代の新しさは掴めない・・」と翻訳者の清水幾太郎は指摘している。 (2010年10月1日) |
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「ソーシャルワークと宗教@」 〜社会正義を実現するための内的源泉〜 「ソーシャルワークを支える宗教の視点」(聖学院大学出版会:高橋義文・西川淑子訳)を手にした。この本の著者が、あの有名なニーバーの祈り「神よ、変えることができるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものを、識別する知恵を与えたまえ」(大木英夫訳)であるラインホールド・ニーバーだということと、ソーシャルワークの歴史的過程で宗教がどのような役割を果たしたのか興味があったからである。またマザーテレサや賀川豊彦等に表象されるソーシャルワークの活力源、自分たちに突きつけられた課題に取り組むエネルギーとしての宗教・信仰が果たした根拠は何だろうかという関心もあった。
日本の社会福祉特に保育の源流を探った時、宣教師の働きが大きかった現実とキリスト教のみならず仏教等の宗教をバックにした社会的活動が大きな位置を占めています。
訳者の高橋義文氏は、巻末の解説で、ニーバーは、宗教の意義と問題点を論じながら、ソーシャルワークとの関係において宗教はどうあるべきか、宗教との関係においてソーシャルワークはどうあるべきかを考察し、「活力ある宗教」をキーワードに、「現実主義的な眼を持った社会性」と「社会の構造の変革と取り組む情熱」を持つことが「最良の宗教」(イエスの福音における宗教)だと解説しています。
私も新しく社会福祉法人の設立の時に、定款準則によって指導を受け、民間の主体性と独自性を主張したものの、一字一句変更できず、定款に自分たちの理念や精神を加えることができなかった経験を思いだした。(現在は、定款目的にキリスト教精神に基づき・・等の言葉を加えることが可能となった)
ニーバーは、どの職業にも営利的な動機と職務内容による動機との間に葛藤があることを指摘し、ソーシャルワークには、宗教の洞察が必要で、生の営みに対する見方と使命の健全さを維持するために必要だとしています。職業に対する使命感はある意味で宗教的だといいます。
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「保育における正義を求めてY ・・正義とは何か・・」 (2010年7月1日) |
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「保育における正義を求めてX」 子どもの貧困を考えるD 〜児童福祉の視点から保育制度改革を考える〜 神戸で開催された全私保連の保育総合研修会(2月3日〜5日)に参加した。毎年この研修会では、直近の保育政策・保育制度の動向の報告や状況が、全私保連の常務理事や厚労省の保育行政担当官からの情勢報告がなされるので、保育についての制度設計の方向性が掌握しやすく、よき学びができる機会となっています。
反面、保育制度改革のもとで、保育園の設置主体の規制の撤廃、設置基準の規制緩和、児童福祉施設最低基準の地方への移譲、公立保育所の民営化、保育所運営費の一般財源化、幼保一体化等の方向が示されると、児童福祉法の精神を踏まえた望ましい保育制度改革や方策が検討されているのだろうかという疑問やこんな方向性では、本来の児童福祉の視点が失われてきているのではないかと危惧を感じざるを得ません。
厚労省の保育行政担当官から、20010年1月に閣議決定された「子ども・子育てビジョン」についての説明もありました。
現内閣での制度改革は、
願わくは、拙速な制度改革で、地域の自治体や保育現場に混乱をもたらすことがないように熟慮した歴史的にも評価される改革であって欲しいと思います。 (2010年6月1日) |
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「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるC
20数年振りに保育界に復帰して神視保育園に奉職してから、9年が経ちました。 |
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「保育における正義を求めてV」
〜子どもの貧困を考えるB 子どもの叫びが聞こえますか?〜
保育園は、児童福祉法に準拠していますが、「児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保する」という規定が厳しく問われる社会背景があることと、子どもの貧困のあってはならない前回記述した現実を見極め、子どもの身体的、精神的、社会的に必要な生活水準が確保されているか問われなければなりません。 |
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「保育における正義を求めてU」 子どもの貧困を考えるA
〜あってはならない現実!!〜 |
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「保育における正義を求めてT」 子どもの貧困を考える@
格差社会という言葉に加えて「子どもの貧困」という言葉が、最近新聞や雑誌でとりあげられ、「子どもの貧困」という著書も2冊入手しました。
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賀川豊彦の精神
〜賀川豊彦献身第2世紀にむけて〜
2009年12月24日に賀川豊彦献身100年を迎えました。 |
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クリスマスの心 \
「クリスマス・キャロル物語から」 |
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「オバマジョリテイー」 という言葉
毎日新聞(7月27日掲載)の記者が、秋葉忠利広島市長にインタビューをした記事に、核廃絶と「オバマジョリテイー」という見出しがついていました。 (2009年10月1日) |
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〜NHKドラマ 「気骨の判決」 を観て〜
終戦記念日の翌日の8月16日に、偶然にNHKスペシャル「気骨の判決」というドラマを観た。18日に衆議院選挙の公示があった時期だけに、国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない、また政府の「推薦候補」か「非推薦候補」という選択だけで、国会議員を選んだ1942年の衆議院総選挙(翼賛選挙)の異常さと、内閣と軍の方針に議会が異を唱えることができない状況下で、戦争への泥沼へと邁進していってしまい、議会が政府に歯止めをかける機能が失っていく姿が描かれていました。 (2009年11月1日) |
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「地球環境を守るのは一人ひとりの行動」
〜デマンド装置と省エネエアコン等で温室効果ガス削減〜
世界的に環境問題が深刻化してきました。
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「牧の羊」(その3)〜価値観・信仰の遺産の継承〜
同志社のヨセフ会のお世話をずっとされてきた今井鎮雄先生から、ヨセフ会の墓参のお誘いをいただき、ヨセフ会関係者で文集「牧の羊」にまとめるので、応召戦病死したという叔父の中森新喜知について何かを書くように言われました。しかし、私は全く叔父と会ったことがありません。
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「牧の羊」(その2)〜幕末・明治のキリスト教運動 〜
藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜は、明治、大正、昭和の時代背景と社会問題に取り組んだキリスト者の生き方について、検証しているように思う。 (2009年7月1日) |
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「牧の羊」(その1)〜賀川豊彦と三浦清一の生きた時代〜
3年ほど前に、元神戸YWCAスタッフだった三浦啓子氏(旧姓千川)から藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜を頂戴した。三浦清一牧師の夫人は、石川啄木の妹・光子であったことは有名である。三浦は、賀川豊彦と深い関わりがあったことも知られているが、旧姓千川さんは、清一の孫と結婚され、YMCAを退職して賀川が設立したイエス団に奉職した私に、賀川と三浦の活躍した激動の時代背景が記載されたこの本をご恵贈いただいたものと思う。 |
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「貧困のない世界を創る」
神戸大学と賀川豊彦献身100年記念事業委員会との共催で「持続可能な社会づくりとソーシャルワーク」の講演とシンポジュームに参加する機会が与えられた。 (2009年5月1日 ) |
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「戦争文化から平和文化へ」
〜ステイーブン・リーパー講演会より〜
神戸YMCAの午餐会で、(財)広島平和文化センター理事長のステイーブン・リーパー氏の「戦争文化から平和文化へ」というテーマの講演を身近に聴くことができた。
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伝統的価値観の遺産〜アメリカ大統領の就任演説から〜
オバマ大統領の就任演説のCD付きの冊子をたった1000円で手にいれた。 (2009年3月1日 ) |
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召命と使命に生きた五十嵐健治と賀川豊彦
今年の年賀状に、賀川豊彦献身100年のことにふれたところ、私が大学を出て最初に奉職した白洋舎の当時の上司のH氏から、ファックスをいただきました。 |
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現代人の心のいやしZ 〜赦し・謝罪・償い・和解〜
今夏、長崎での研修に参加した職員が、毎日新聞記者の横田信行氏が書いた「長崎市長本島等伝 赦し」という本を長崎で購入して帰ってきて、本のテーマに関心があり、読み終えたら貸してもらうことになった。 (2008年11月1日 ) |
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「そのままで・・存在の価値」〜ありのままを生きる〜
私が小学校を卒業する時に、担任のI先生は、サイン帳に「そのままで・・」と書いてくれたことを記憶している。
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自然と人間の運命共同性〜諫早干拓開門判決〜
6月29日の毎日新聞の社説は、諫早干拓開門判決について論述している。 (2008年8月1日 ) |
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賀川豊彦の精神 [ 〜「一粒の麦」から考える〜
賀川豊彦が創設し、自ら園名を神視保育園と名付けたが、2008年6月1日に認可を受けて、創立50周年を迎えた。 |
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創立50周年に園章決定 〜アイデンティティとミッションを象徴〜
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保育の源流を心に刻むV〜神視保育園50周年に寄せて〜 |
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「弱き者の生き方」〜心の痛みや悲しみや傷を抱えて生きる〜
毎日新聞の書籍の広告で、「弱き者の生き方」というタイトルが私の心をとらえた。 |
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「保育の源流を心に刻むT」
日本の教育・福祉の源流をたどると、キリスト教の宣教師の果たした役割は大きい。 |
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軽度発達障害 〜学習障害(LD)って何ですか [1] 〜
保育現場で基本的な発達のアンバランスだと気づく気になる子供が増え、その分野の研究が進んで、著書も多く出版されています。 |
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現代人の心のいやしW〜千の風になって〜
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「良心は立ち上がる」
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幼児期の価値観形成と保育者の使命
日本のことわざで「三つ子の魂百まで」とか「すずめ百まで踊り忘れず」といわれますが、幼い時に形成される性格や習慣、善悪の判断など、歳をとっても人間としての生き方に影響があることを指摘しているものと思われます。
私自身を振り返ってみると、幼児期に生き方の尺度となった価値観が、4年間通園した幼稚園やその時期の家庭環境の中で、形成されたと思います。
保育教材もなかった戦後の厳しい時代に、「人間にとって何が大切か」を伝えようとしたH先生の保育者としての原点を、敬意をもって学びたいと思います。
このようにみると、保育園での仕事は、今わからないが、後に新しい意味をもつ幼児の価値観を形成する重要な仕事である認識をもたねばなりません。
価値観とは、人間にとって何が大事か、大事なものの優先順位とか、重きを置くものが何かについての判断をいうが、私は人間としての生き方の尺度となるものと理解しています。 |
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賀川豊彦の精神7 〜賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて〜 表題の「賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて」は、神視保育園から歩いて3分の住宅に住んでおられる鳥飼慶陽氏が、この4月に出版された本の題名である。この本の発行日の数日後に、ご本人が来園され、私に贈呈していただきました。
鳥飼先生は、賀川豊彦を敬愛するだけでなく、信仰と実践に共鳴し、教会の中で働く牧師ではなく、牧師を職業としない地域の中で生きる牧師として、賀川の活動拠点だった 数年前にYMCAを退職した私に賀川の設立したイエス団から声をかけていただき、この地域の神視保育園で奉職する機会が与えられた私にとって、身近な鳥飼先生の何冊かの著書を読むことは、賀川精神を学ぶ贈り物だとその労作に感謝しています。
賀川は、大正期にこの番町地区に無料診療所を開設し、馬島医師が献身的な働きをし、地域に設置した「天隣館」では、戦前・戦後にわたって保育所や学童保育の活動が行われ、その後、賀川の晩年に武内勝氏らによって、現在の「神視保育園」や「天隣乳児保育園」が開設され、その活動が継承されています。地域柄、何かと大変な保育園だといわれながら園長を引き継ぎましたが、子どもや家庭に起きる日常的な問題解決のために、賀川が児童福祉施設としての保育園をここに創設した意味を考えさせられています。
1909年12月に、たった一人で献身した賀川の働きは、あらゆる分野の運動として広がり(協同組合運動、労働組合運動等等)、賀川豊彦献身100年を迎えようとしています。 このような賀川に直接に影響を受けた先達の人びとが各分野・組織で第一線から離れ、賀川献身2世紀になると、賀川に会ったり、講演を聴いたこともない世代が、どのように賀川精神を引き継ぎ、源流を心に刻んで21世紀への運動を展開・発展させるのかが、今、賀川を源流とする各分野・組織で厳しく問われているように思います。 このような時期に、賀川の死後、その活動拠点の番町地域で、鳥飼慶陽氏の実践的な働きをまとめた「賀川豊彦の贈り物」は、まさしく次の世代への贈り物だと思います。
(2007年5月1日) |
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賀川献身100年記念モニュメント完成 〜子どもの権利について〜
2009年12月に賀川豊彦が神戸の貧しい人々の救済活動に献身して100年を迎えます。 2月23日の記念モニュメント除幕式は、イエス団の村山常務理事列席のもとに開催され、卒園していく子どもたちは、「おささげしますこのたから・・・」と子ども賛美歌を歌い、上内牧師(神戸イエス団教会)から祝福を受けました。
賀川豊彦は、子どもの食う権利、遊ぶ権利、寝る権利、叱られる権利、夫婦喧嘩を止めてもらう権利、禁酒を要求する権利の6つを上げ、1927年には、「生きる」「食う」「眠る」「遊ぶ」「指導してもらう」「教育を受ける」「虐待されない」「親を選ぶ」「人格としての処遇をうける」という9つの権利を主張しています。
賀川の「子どもの権利宣言」は、1948年の世界人権宣言、1959年の児童の権利に関する宣言のような高邁なものではありませんが、賀川豊彦がいう子どもの権利には、身近な生活の中から「食べる」「遊ぶ」「寝る」「叱られる」というように、子どもの日常的な生活の中で、基本的な子どもの生活権の要素が挙げられています。
1959年に採択された国連の「児童の権利に関する宣言」では、人類は子どもに対し、最善のものを与える義務を負うとされています。
人権の確立は、人類のたゆまぬ努力で、歴史と共に発展してきました。
1986年には、国連は発展の権利(発展途上国における人権の確立)を宣言しました。
全国の私立保育園連盟では、「21世紀を担う子育て環境づくり運動」を展開しています。
このモニュメントから、職員・保護者・地域が「子どもの権利」について意識し、子どもに最善のものを与えることができればと願います。 |
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「組織の品格」〜組織倫理・組織文化の確立〜
藤原正彦著の「国家の品格」という文庫本を手にした。日本の社会が、政治、経済、社会等全ての領域で、不祥事や違法・不正行為が続発し、人間の品格とか倫理観は一体どうなってしまったのか思っていた矢先のことで、ほいくの窓NO60で「人間としての良心はどこに消えたのか」という思いを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーの「良心は立ち上がる」のスピーチと、「良心の全身に充満する丈夫の起こり来たらんことを」といった同志社大学の創立の建学の精神・教育の理念とした新島襄を取り上げ、2人の賢人から「良心」についての記述から学んだが、今日の状況は、「個人の品格」だけでなく、「組織の品格」、また「国家の品格」が問われる危機的な状況となっているような気がします。
藤原正彦氏の指摘の1つは、「競争社会」「実力主義」「市場原理」「会社は株主のもの」等の論理に、日本の文化であった武士道の精神から見ると、これらは卑怯で下品だと糾弾し、会津藩の教えを引用し、「ならぬことはならぬ」「いけないことはいけない」と、論理では説明できないことをしっかり教える必要性を主張されています。 神視保育園は、総合計画(現在第2期中期3ヵ年計画を実施中)と2004年にHYKの第3者評価を受審して、当園が目指す組織運営で、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立に努力しているが、 総合計画での長期目標(Corporate Goals)は、 1)保育の質が高い保育園 2)使命感に燃えた職員がいる保育園 3)地域から信頼される保育園 3)地域から尊敬される保育園
5)世界を見つめ、地域に生きる保育園 2)事業展開の中に、価値合理性(使命・理念)と目的合理性(経営)を統合して、実質合理性を目指すこと。 3)総合計画は、個人と組織の変革を図る目標管理としてとらえること。 4)公益組織・社会的組織として求められている組織の社会的責任・使命を確立すること。 @コンプライアンス(法令遵守・組織倫理の確立) Aパブリックポリシー(組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向性等)の確立。 B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議員会など、法人組織として相互に牽制機能をもった組織形態、執行と決定の分離等)を確立すること。 Cアカウンタビリテイー(説明責任)、情報公開・開示制度(デイスクロージャー)の枠組みの確立を法人組織として実施すること。
これらを通じて、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立がなされた時に、「組織の品格 」が 形成されるのかも知れません。 |
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「第3者評価の本質を探る U」
先回は、使命・理念の明確化(成文化)と保育園の組織風土・文化や団体の哲学や価値観や組織倫理について言及し、保育園が社会と個人を変革する存在となっているのかを評価(自己評価と第3者評価)する必要性を述べました。
1)保育園の存在理由の本質的な性格を有しているか。
@理念・使命・目的を再確認し、保育園が持つ視点を明確にすること。
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「第3者評価制度の本質を探る T」
保育園を含めた福祉サービス分野で、緊急に整備されなければならないことは、 |
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「戦後60年に想う」
今年は、戦後60年の記念すべき年を迎えています。 |
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人は何のために生きる
海外災害援助市民支援センター(CODE)の村井さんが、全私保連神戸大会の分科会「震災10年と市民社会」の打ち合わせに神視保育園に来られた時に、CODEも「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンの賛同団体になったので、ホワイトバンドの販売協力をお願いしたいといわれ、次の日に職員に声をかけたら、ホワイトバンド運動の趣旨も説明もしていないのに、早速25個の購入希望がありました。サッカーの中田(英)氏や私の知らないタレントの櫻井氏もこのホワイトバンドをしていることを教えられ、インターネットで、この運動のイベントやもっと詳しい情報もありますと教えられました。 |
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阪神大震災10年〜祈り、生きる〜
2005年1月17日の阪神大震災10年の日、新聞各社の震災関連の見出しを拾ってみた。 |
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〜ガンジーが指摘する人間社会の7つの大罪〜
日本人の一般的な観念の中に、「8月〜広島・長崎〜敗戦〜平和〜憲法〜護憲」と短絡的だといわれても、この意識がつながっていく傾向が強いと思っていましたが、その脈絡もつながってこない時代になりつつあるように思います。
憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」となっており、戦争の惨禍は、政府の行為によって起こるという明確な認識が表明されています。
(2004年7月1日) |
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「ミッションに立つ経営と事業展開」
イエス団は任意団体として、1909年12月に賀川豊彦が伝道・隣保活動を開始し(救霊団を1914年にイエス団と名称変更)、1922年民法34条に基づいて、財団法人イエス団を組織した。以後、この財団法人イエス団のもとに、福祉事業の施設が次々に認可された。
*宗教(理念)自体は、経済の日常性からみると非合理的なものとして現われる。
*総合計画での長期目標(Corporate Goals) *使命・理念、目的、目標の用語解説
@(使命・理念)Ideal Goals
A(長期目標)Corporate Goals
B(短期目標)Objectives
C(実施手順)Action Steps
元東大教授の石田雄氏は、「現代組織論」で「運動の概念が、高度にイデオロギー的性格をもったも
のであるということはいうまでもない。現実にこの「運動」によって完 |
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変わりゆく保育制度U
日本の経済危機が深刻化し、あらゆる構造や制度が見直しされてきました。
(2003年7月
研修会で牧田発題のレジメに一部加筆) |
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賀川豊彦の精神 2 〜神視保育園の創立者に学ぶ〜 過去を忘れるものは現在がみえなくなる 阪神大震災以後、関東大震災での賀川豊彦の働きが注目されています。賀川研究が多くの人によってなされ、徳島では「賀川豊彦鳴門記念館」が始動しています。 阪神大震災を体験した神戸で、ボランテイア活動について考えようとすれば、関東大震災で、賀川を中心とする働きを、「想い起こす」ことが不可欠だという認識が、定着してきたのかもしれません。 阪神大震災では、関東大震災での経験が生かせたのでしょうか。大震災から何を学び、何に気づき、何を生かして、今後の予期せぬ出来事や災害を、負の遺産としてとらえるだけでなく、被災体験から何を知的財産として生かさねばならないのでしょうか。「過去を忘れるものは現在が見えなくなる」と「想い起こす」ことの大切さを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが、敗戦40周年の演説でされたことは有名ですが、成熟した市民社会が構築されるために、第一セクターの官である政府や行政、第二セクターの民間企業、第三セクターである民間の非営利組織のNPO・NGO等の市民活動のあり方が、当時の賀川によって、示唆されているように思います。また、阪神大震災では、救援活動に組織や人的ネットワークの必要性が強調されましたが、もっと大きな視点から、歴史的な体験をつなぐための過去・現在・未来の時間のネットワークの必要性を感じます。過去と現在の対話から、21世紀への賀川豊彦のメッセージに耳を傾けたいと思います。 災害・社会矛盾を契機に社会福祉の種をまく
1923年9月1日に関東大震災が発生した翌日には、神戸YMCAを中心とした神戸のキリスト教会連盟は、賀川豊彦を東京に派遣することを決定。賀川は、海路をとって3日に横浜に上陸し、5日には、東京YMCAの救援活動に合流しました。 賀川は、東京YMCAの救援活動を高く評価し、YMCAの支部として所属しながら、 1)宗教部(被災者の精神復興を重視し、路傍伝道、宗教講演会,聖書研究会、子どもの日曜学校等を実施)。 2)教育部(英学院、労働運動・消費組合・失業問題等の文化講演、手芸講習会)。 3)少年部(子どものキャンプ・レクレーション指導、歌と童話の夕べ等)。 4)社会事業部(職業紹介所、困窮実情の調査、託児所「光の園」、震災後の子どもの体育・遊戯・復習の指導をする3つの天幕セツルメント等)。 5)労働者診療所・児童健康相談所。 6)栄養不良児のための牛乳配給所。 7)簡易宿泊所。 8)組合部(産業労働者の自立と相互扶助のため、イエスの友大工生 産協同組合、編物内職組合、家具生産協同組合)。 9)信用組合組織(被災者に低利事業資金貸付等)を次々と設立していきます。 これらの産業YMCAの働きは、東京の賀川記念館や社会福祉法人雲柱社の多くの福祉施設として、神戸で生まれた社会福祉法人イエス団と同様、賀川精神を継承して運動を展開しています。
関東大震災の数年前には、この本所では、東京帝国大学キリスト教青年会(現在の東京大学YMCA)が、防貧事業の趣旨から、母性の保護と生まれる子どもの保護保健及び救療をする目的で、1918年(大正7年)に賛育会を設立し、翌年には、一般庶民を対象にした日本最初の産院といわれる「本所産院」を開設しています。 また、1919年には、日本キリスト教婦人矯風会外人部関東部会が、本所でセツルメント活動を展開していました。1923年に託児所、授産所、裁縫室等を完備した建物が竣工した直後に、関東大震災で賛育会と同様に廃虚となりました。しかし、その年の12月には託児所をバラックで再開し、被災者の救援活動を興望館セツルメントとして活動を展開しました。現在、社会福祉法人興望館として保育園、養護施設、地域福祉全般にわたり、すばらしい働きを展開しています。 YMCA運動と賛育会、興望館、そして賀川が関係した活動は、キリスト教を基盤にして、あるいは設立の精神を意識しながら、時には相互に連携しながら、それぞれの運動を展開して、今日に至っています。ボランテイアとか、市民参加や市民運動の原点となったこれらの運動体は、今日組織化された事業体となり、運動体としての組織のあり方について課題を抱えつつ、21世紀への挑戦がなされようとしています。 市民社会形成への運動 関東大震災前後の時代背景を見ると、1914年の第一次世界大戦が日本の経済に影響を与え、急激な社会変化に諸制度の整備が追いつかず、社会矛盾が顕著になり、時代の思潮の転換期だったといえます。思想的にも大正デモクラシーといわれる運動が盛んになった時代でもありました。 1916年には、吉野作造が民本主義を提唱。1918年には、吉野は、海老名弾正牧師(後に同志社大学の総長)に大きな影響を受け、キリスト者教師として「東大新人会」を結成し、片山哲など、多くの民主主義の市民運動、社会運動・労働運動家が、ここから育って活躍しました。 賀川豊彦は、吉野作造とも関わりを持ちつつ、1921年に神戸購買組合を創設。また、神戸で川崎・三菱の労働争議が起き、賀川はこれを支援しました。 翌1922年には、杉山元冶郎、賀川豊彦らが、神戸YMCAで農民組合を結成しています。また賀川は、YMCAのジョンRモット(後にノーベル平和賞受賞)に支援を受けつつ、キリストによる世界平和を目指す「神の国」運動を展開します。 時代を同じくして、鈴木文冶、大山郁夫、森戸辰夫、新渡戸稲造、片山潜、安部磯雄等の人々が、社会主義と民主主義の市民的運動の要として活躍していました。 神戸は、内外の協力や、また神戸の文化的・宗教的背景もあり、賀川を含めて、無産運動が盛んになりました。YMCAも1928年に自由大学という講座を開催し、賀川豊彦、今田惠(関学教授)、坂本勝(後の兵庫県知事)、松沢兼人(後に社会党国会議員)等が関わり、特に、河上丈太郎(関学教授、後に社会党委員長)は、「基督教徒社会思想研究会」をつくって、キリストの愛と正義に従う青年運動を指導しました。 このような社会動向のなかで、行動的な賀川は、人的ネットワークを生かし、当時の時代背景や大震災を契機に、ボランテイアの啓発や、社会福祉事業を次々と組織化し、「救援ではなく救護」だという思想(対処療法でなく、長期的な展望をもって)と、「精神復興」が重要な使命だと主張し、伝道や講演活動を実施したり、社会調査により、行政の施策にも働きかけ、その後の国の社会政策にも大きな影響を与えました。 日本の災害救済事業が、YMCA、賛育会、興望館など、結果として、ボランテイアの源流を築き、日本の社会福祉事業の発展の種をまいたといえます。 生き方の原点〜いと小さき者のために〜 賀川は、福祉のみならず、社会や個人の人間の問題をミクロやマクロの視点から、人間解放の総合的なデイベロッパーというか、玉子の孵化器の役割を果たして、多方面の運動を展開し、色々な組織の種を蒔いたともいえます。 特に、組織化や、制度化された形のあるものだけでなく、見えない精神的所産としての文化や、人間としての生き方を、運動や組織の中心に置いていたことを忘れてはなりません。それぞれの運動のなかに、自己保存的な生き方ではなく、「いと小さき者のために」「他者的に生きる」姿勢と使命(ミッシヨン)があったため、賀川にふれた多くの人々が、共感や連帯によって賀川の運動を支援し、今日も賀川が関わった組織や団体が生まれ、存在しているように思います。講演活動や具体的な働きを通して、共感と連帯とボランテイアスピリットが、賀川の運動を発展させたと思われます。
関東大震災時には、既に国際的にも国内的にも、YMCA、赤十字社、救世軍等のボランテイア団体が活躍しており、ボランテイアの先駆者が賀川豊彦だと断定できませんが、YMCAやイエスの友の力を生かし、日本における組織的災害ボランテイアの源流として、また人的ネットワークを生かした賀川の働きは、大きかったといえます。 それぞれの団体とボランテイア精神の中に、自分の意志や力で成果を上げようとする生き方や組織でなく、人間を超えた力に動かされ、他者のために生きることこそが、価値あることだと、現代の私たちに問いかけているように思います。 「組織は何のために存在しているのか」「人は何のために生きているのか」この基本的な問いを持ち続けなければ、その存在そのものの意味が失われてしまうように思います。賀川は、民間市民・ボランテイアセクターの働きが、市民社会形成にとって重要であるという認識をもって、セツルメントの草の根運動を展開したのではないかと想像します。 運動と組織の宿命〜非営利組織に必要な視点〜 私たちは、「運動」の概念を意識しないで、平和運動、社会運動、組合運動、市民運動という言葉を使ってしまいます。「YMCA運動」や「生協運動」という表現も定着しています。しかし、運動という言葉を極めて曖昧に使っていることも反省しなければなりません。その意味することを意識しなければ、使命や願いをもった運動は広がりません。 運動(ムーブメント)は、結びつく言葉によって多少異なった意味を与えられていきますが、「運動と組織」について、元東京大学教授の石田雄氏は、その著「現代組織論」(東大社会科学研究所・岩波書店)の中で、運動を「高度にイデオロギー的な性格をもったものであるとし、その運動によって完成されるのは大衆の制度化にほかならない」という概念規定をしています。 そして組織の概念を「複数の人間が意識的、また無意識的に共通目的をもって結合し、その結合したものが構成員に対して何らかの統制力を持っている場合に用いる」として、「組織化のプロセス」を、運動論という中で捉え、「組織されたもの」という立場からは、いわゆる経営学、あるいは行政学上の組織論として、学問的にその例を見出されるのだ」と述べています。 使命や願いをもった運動の影響力を大きくしていこうと思えば、共感と協働を創り上げるために、多くの人間を組織化し、その組織を道具として、運動を強化しなければなりません。しかし、組織を大きくしていくところに、今度は、逆に組織維持のために、効率が求められ、統制機能をもった制度化や施設化と官僚主義的な機構が作られていきます。
つまり、組織化されたものを、維持存続させるためには、経営の効率化をはからねばなりません。連帯と共感で生まれた理念目的をもった運動体が、制度化され、組織体が行う事業体の性格が強くなると、精神性を喪失した専門分化が機能的になされる傾向がでてきます。 運動体にとって、組織は不可欠であり、しかも組織は、運動と矛盾する要素を含んでいます。 連帯と共感で生まれた非営利組織やボランテイア団体が、この矛盾をどう克服するかが大きな21世紀への課題ではないかと思います。 阪神大震災の影響や社会・経済環境の激変で、組織維持に汲々としてしまう今日の世界に、「もし賀川豊彦が、再度つかわされたならば、何をされるのだろうか」という問いかけが、求められているように思います。 21世紀社会への問い 賀川の「震災救援運動を顧みて」という著述の中で、関東大震災での救済事業が、驚くべき無秩序だったことと、訓練のない国民を嘆き、食糧配給問題については徳川時代に劣るとし、バラックの不良住宅については失敗したと批判しています。 賀川のいくつかの問題提起と関東大震災の働きの中で、今日の私たちが注視したい事項として 1) 救援団体や行政との連携・組織化の必要性を主張し、今日でいう市民・NPO/NGO・企業・行政等のネットワークの重要性を主張していること。 2) 社会や行政に対して、市民社会構築に必要とされる社会調査に基づいたアドボカシーとかパブリックポリシーとかいわれる社会的発言や政策提言をしていること。例えば、バラックのスラム化に憂慮して、住宅の供給・改善方策の提言等を行い、社会政策として対応の必要性を主張し、実践したこと。 3) 阪神大震災後、心のケアーが問題提起されたが、賀川は被災者の精神復興運動が重要だとして、心に希望と活力を与えることの必要を強調したこと。 また、市民社会を構築する上で必要とされるフィランソロピーの心をもった賀川のこれらの実践と主張は、歴史的事実として高く評価し、時代を超えた問いかけとしたいものです。 賀川を神格化し、業績をたたえるだけでなく、過去と現代の対話をするために、賀川が、残した多方面にわたる働きと提言の遺産を、現代そして未来に継承し、時間空間のネットワークとして生かすことが、今日求められているように思います。
21世紀の最初の年は、国際ボランテイア年でした。 そのためには、賀川が神の国運動で願った「平和の文化」の創造を、21世紀への遺産として継承し、自立と相互扶助を目指し、平和な世界の実現に努力したいものです。「Think globally act locally」(世界を見つめ,地域に生きる)ことを実践した賀川の願いを想い起こし、阪神大震災と関東大震災から、平和と公正をベースにした新しい生き方・文化が始まることを願いたいと思います。
(注 記) |
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「これからのNGO運動のあるべき姿」
1)組織的に運営できるような体制をつくること(経済基盤の確立を含めて)
2)組織と運動について管理運営していく能力をもったNGOのプロフェッショナルを育てること
3)援助、協力、交流、理解、連帯が組織的、経済的に展開されるようなNGOの組織づくりをする "寺子屋・パオ" 特別講演録から |
社会福祉法人イエス団
神視保育園
Copyright©Shinshi Nursery 2000