|
ほいくの窓は、保育現場から園長(牧田稔)が主張したいことを掲載しています。 |
|
「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるD
神戸で開催された全私保連の保育総合研修会(2月3日〜5日)に参加した。
|
|
「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるC
20数年振りに保育界に復帰して神視保育園に奉職してから、9年が経ちました。 |
|
「保育における正義を求めてV」
〜子どもの貧困を考えるB 子どもの叫びが聞こえますか?〜
保育園は、児童福祉法に準拠していますが、「児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保する」という規定が厳しく問われる社会背景があることと、子どもの貧困のあってはならない前回記述した現実を見極め、子どもの身体的、精神的、社会的に必要な生活水準が確保されているか問われなければなりません。 |
|
「保育における正義を求めてU」 子どもの貧困を考えるA
〜あってはならない現実!!〜
|
|
「保育における正義を求めてT」 子どもの貧困を考える@
格差社会という言葉に加えて「子どもの貧困」という言葉が、最近新聞や雑誌でとりあげられ、「子どもの貧困」という著書も2冊入手しました。
|
|
賀川豊彦の精神
〜賀川豊彦献身第2世紀にむけて〜
2009年12月24日に賀川豊彦献身100年を迎えました。 (2010年1月1日) |
|
クリスマスの心 \
「クリスマス・キャロル物語から」 |
|
「オバマジョリテイー」 という言葉
毎日新聞(7月27日掲載)の記者が、秋葉忠利広島市長にインタビューをした記事に、核廃絶と「オバマジョリテイー」という見出しがついていました。 (2009年10月1日) |
|
〜NHKドラマ 「気骨の判決」 を観て〜
終戦記念日の翌日の8月16日に、偶然にNHKスペシャル「気骨の判決」というドラマを観た。18日に衆議院選挙の公示があった時期だけに、国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない、また政府の「推薦候補」か「非推薦候補」という選択だけで、国会議員を選んだ1942年の衆議院総選挙(翼賛選挙)の異常さと、内閣と軍の方針に議会が異を唱えることができない状況下で、戦争への泥沼へと邁進していってしまい、議会が政府に歯止めをかける機能が失っていく姿が描かれていました。 (2009年11月1日) |
|
「地球環境を守るのは一人ひとりの行動」
〜デマンド装置と省エネエアコン等で温室効果ガス削減〜
世界的に環境問題が深刻化してきました。
|
|
「牧の羊」(その3)〜価値観・信仰の遺産の継承〜
同志社のヨセフ会のお世話をずっとされてきた今井鎮雄先生から、ヨセフ会の墓参のお誘いをいただき、ヨセフ会関係者で文集「牧の羊」にまとめるので、応召戦病死したという叔父の中森新喜知について何かを書くように言われました。しかし、私は全く叔父と会ったことがありません。
|
|
「牧の羊」(その2)〜幕末・明治のキリスト教運動 〜
藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜は、明治、大正、昭和の時代背景と社会問題に取り組んだキリスト者の生き方について、検証しているように思う。 (2009年7月1日) |
|
「牧の羊」(その1)〜賀川豊彦と三浦清一の生きた時代〜
3年ほど前に、元神戸YWCAスタッフだった三浦啓子氏(旧姓千川)から藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜を頂戴した。三浦清一牧師の夫人は、石川啄木の妹・光子であったことは有名である。三浦は、賀川豊彦と深い関わりがあったことも知られているが、旧姓千川さんは、清一の孫と結婚され、YMCAを退職して賀川が設立したイエス団に奉職した私に、賀川と三浦の活躍した激動の時代背景が記載されたこの本をご恵贈いただいたものと思う。 |
|
「貧困のない世界を創る」
神戸大学と賀川豊彦献身100年記念事業委員会との共催で「持続可能な社会づくりとソーシャルワーク」の講演とシンポジュームに参加する機会が与えられた。 (2009年5月1日 ) |
|
「戦争文化から平和文化へ」
〜ステイーブン・リーパー講演会より〜
神戸YMCAの午餐会で、(財)広島平和文化センター理事長のステイーブン・リーパー氏の「戦争文化から平和文化へ」というテーマの講演を身近に聴くことができた。
|
|
伝統的価値観の遺産〜アメリカ大統領の就任演説から〜
オバマ大統領の就任演説のCD付きの冊子をたった1000円で手にいれた。 (2009年3月1日 ) |
|
召命と使命に生きた五十嵐健治と賀川豊彦
今年の年賀状に、賀川豊彦献身100年のことにふれたところ、私が大学を出て最初に奉職した白洋舎の当時の上司のH氏から、ファックスをいただきました。 |
|
現代人の心のいやしZ 〜赦し・謝罪・償い・和解〜
今夏、長崎での研修に参加した職員が、毎日新聞記者の横田信行氏が書いた「長崎市長本島等伝 赦し」という本を長崎で購入して帰ってきて、本のテーマに関心があり、読み終えたら貸してもらうことになった。 (2008年11月1日 ) |
|
「そのままで・・存在の価値」〜ありのままを生きる〜
私が小学校を卒業する時に、担任のI先生は、サイン帳に「そのままで・・」と書いてくれたことを記憶している。
|
|
自然と人間の運命共同性〜諫早干拓開門判決〜
6月29日の毎日新聞の社説は、諫早干拓開門判決について論述している。 (2008年8月1日 ) |
|
賀川豊彦の精神 [ 〜「一粒の麦」から考える〜
賀川豊彦が創設し、自ら園名を神視保育園と名付けたが、2008年6月1日に認可を受けて、創立50周年を迎えた。 2008年7月1日 |
|
創立50周年に園章決定 〜アイデンティティとミッションを象徴〜
創立50周年記念に寄せて |
|
保育の源流を心に刻むV〜神視保育園50周年に寄せて〜
神視保育園は、2008年6月1日に施設認可を受けて50年を迎えました。 2008年6月1日・創立50周年の日に |
|
「弱き者の生き方」〜心の痛みや悲しみや傷を抱えて生きる〜
毎日新聞の書籍の広告で、「弱き者の生き方」というタイトルが私の心をとらえた。 2007年11月1日 |
|
「保育の源流を心に刻むT」
日本の教育・福祉の源流をたどると、キリスト教の宣教師の果たした役割は大きい。 2007年9月1日 |
|
軽度発達障害 〜学習障害(LD)って何ですか [1] 〜
保育現場で基本的な発達のアンバランスだと気づく気になる子供が増え、その分野の研究が進んで、著書も多く出版されています。 |
|
現代人の心のいやしW〜千の風になって〜
|
|
「良心は立ち上がる」
|
|
幼児期の価値観形成と保育者の使命
日本のことわざで「三つ子の魂百まで」とか「すずめ百まで踊り忘れず」といわれますが、幼い時に形成される性格や習慣、善悪の判断など、歳をとっても人間としての生き方に影響があることを指摘しているものと思われます。
私自身を振り返ってみると、幼児期に生き方の尺度となった価値観が、4年間通園した幼稚園やその時期の家庭環境の中で、形成されたと思います。
保育教材もなかった戦後の厳しい時代に、「人間にとって何が大切か」を伝えようとしたH先生の保育者としての原点を、敬意をもって学びたいと思います。
このようにみると、保育園での仕事は、今わからないが、後に新しい意味をもつ幼児の価値観を形成する重要な仕事である認識をもたねばなりません。 「・・当時、外的に支配していたのは不自由でありました。・・今日の私どもは外的自由は十分にあります。しかし、しばしば私どもが苦しむのは、内的に方向を見失っているということです。・・・自分が生きていて、どこで必要とされているのか、自分自身の全存在を投入するに値するものが何であるのか、それを知ることがますます困難になってまいりました。・・・」という認識の中にあって、自分の良心、神の前に責任をもって行動することを求めています。
価値観とは、人間にとって何が大事か、大事なものの優先順位とか、重きを置くものが何かについての判断をいうが、私は人間としての生き方の尺度となるものと理解しています。 |
|
賀川豊彦の精神7 〜賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて〜 表題の「賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて」は、神視保育園から歩いて3分の住宅に住んでおられる鳥飼慶陽氏が、この4月に出版された本の題名である。この本の発行日の数日後に、ご本人が来園され、私に贈呈していただきました。
鳥飼先生は、賀川豊彦を敬愛するだけでなく、信仰と実践に共鳴し、教会の中で働く牧師ではなく、牧師を職業としない地域の中で生きる牧師として、賀川の活動拠点だった 数年前にYMCAを退職した私に賀川の設立したイエス団から声をかけていただき、この地域の神視保育園で奉職する機会が与えられた私にとって、身近な鳥飼先生の何冊かの著書を読むことは、賀川精神を学ぶ贈り物だとその労作に感謝しています。 賀川は、大正期にこの番町地区に無料診療所を開設し、馬島医師が献身的な働きをし、地域に設置した「天隣館」では、戦前・戦後にわたって保育所や学童保育の活動が行われ、その後、賀川の晩年に武内勝氏らによって、現在の「神視保育園」や「天隣乳児保育園」が開設され、その活動が継承されています。
地域柄、何かと大変な保育園だといわれながら園長を引き継ぎましたが、子どもや家庭に起きる日常的な問題解決のために、賀川が児童福祉施設としての保育園をここに創設した意味を考えさせられています。
1909年12月に、たった一人で献身した賀川の働きは、あらゆる分野の運動として広がり(協同組合運動、労働組合運動等等)、賀川豊彦献身100年を迎えようとしています。 このような賀川に直接に影響を受けた先達の人びとが各分野・組織で第一線から離れ、賀川献身2世紀になると、賀川に会ったり、講演を聴いたこともない世代が、どのように賀川精神を引き継ぎ、源流を心に刻んで21世紀への運動を展開・発展させるのかが、今、賀川を源流とする各分野・組織で厳しく問われているように思います。 このような時期に、賀川の死後、その活動拠点の番町地域で、鳥飼慶陽氏の実践的な働きをまとめた「賀川豊彦の贈り物」は、まさしく次の世代への贈り物だと思います。
(2007年5月1日) |
|
賀川献身100年記念モニュメント完成 〜子どもの権利について〜
2009年12月に賀川豊彦が神戸の貧しい人々の救済活動に献身して100年を迎えます。 2月23日の記念モニュメント除幕式は、イエス団の村山常務理事列席のもとに開催され、卒園していく子どもたちは、「おささげしますこのたから・・・」と子ども賛美歌を歌い、上内牧師(神戸イエス団教会)から祝福を受けました。
賀川豊彦は、子どもの食う権利、遊ぶ権利、寝る権利、叱られる権利、夫婦喧嘩を止めてもらう権利、禁酒を要求する権利の6つを上げ、1927年には、「生きる」「食う」「眠る」「遊ぶ」「指導してもらう」「教育を受ける」「虐待されない」「親を選ぶ」「人格としての処遇をうける」という9つの権利を主張しています。
賀川の「子どもの権利宣言」は、1948年の世界人権宣言、1959年の児童の権利に関する宣言のような高邁なものではありませんが、賀川豊彦がいう子どもの権利には、身近な生活の中から「食べる」「遊ぶ」「寝る」「叱られる」というように、子どもの日常的な生活の中で、基本的な子どもの生活権の要素が挙げられています。
1959年に採択された国連の「児童の権利に関する宣言」では、人類は子どもに対し、最善のものを与える義務を負うとされています。
人権の確立は、人類のたゆまぬ努力で、歴史と共に発展してきました。
1986年には、国連は発展の権利(発展途上国における人権の確立)を宣言しました。
全国の私立保育園連盟では、「21世紀を担う子育て環境づくり運動」を展開しています。
このモニュメントから、職員・保護者・地域が「子どもの権利」について意識し、子どもに最善のものを与えることができればと願います。 |
|
「組織の品格」〜組織倫理・組織文化の確立〜
藤原正彦著の「国家の品格」という文庫本を手にした。日本の社会が、政治、経済、社会等全ての領域で、不祥事や違法・不正行為が続発し、人間の品格とか倫理観は一体どうなってしまったのか思っていた矢先のことで、ほいくの窓NO60で「人間としての良心はどこに消えたのか」という思いを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーの「良心は立ち上がる」のスピーチと、「良心の全身に充満する丈夫の起こり来たらんことを」といった同志社大学の創立の建学の精神・教育の理念とした新島襄を取り上げ、2人の賢人から「良心」についての記述から学んだが、今日の状況は、「個人の品格」だけでなく、「組織の品格」、また「国家の品格」が問われる危機的な状況となっているような気がします。
藤原正彦氏の指摘の1つは、「競争社会」「実力主義」「市場原理」「会社は株主のもの」等の論理に、日本の文化であった武士道の精神から見ると、これらは卑怯で下品だと糾弾し、会津藩の教えを引用し、「ならぬことはならぬ」「いけないことはいけない」と、論理では説明できないことをしっかり教える必要性を主張されています。 神視保育園は、総合計画(現在第2期中期3ヵ年計画を実施中)と2004年にHYKの第3者評価を受審して、当園が目指す組織運営で、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立に努力しているが、 総合計画での長期目標(Corporate Goals)は、 1)保育の質が高い保育園 2)使命感に燃えた職員がいる保育園 3)地域から信頼される保育園 3)地域から尊敬される保育園
5)世界を見つめ、地域に生きる保育園 2)事業展開の中に、価値合理性(使命・理念)と目的合理性(経営)を統合して、実質合理性を目指すこと。 3)総合計画は、個人と組織の変革を図る目標管理としてとらえること。 4)公益組織・社会的組織として求められている組織の社会的責任・使命を確立すること。 @コンプライアンス(法令遵守・組織倫理の確立) Aパブリックポリシー(組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向性等)の確立。 B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議員会など、法人組織として相互に牽制機能をもった組織形態、執行と決定の分離等)を確立すること。 Cアカウンタビリテイー(説明責任)、情報公開・開示制度(デイスクロージャー)の枠組みの確立を法人組織として実施すること。
これらを通じて、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立がなされた時に、「組織の品格 」が 形成されるのかも知れません。 変わりゆく保育制度5 〜認定子ども園の動向 2〜
ほいくの窓9月号に、「認定子ども園」を取り上げて、「認定子ども園」の現実的な課題については、実際にスタートした別の機会に、識者の声を紹介し、個人としての見解・意見をまとめることを約束し、「認定子ども園」の制度について紹介しました。 兵庫県では、この法律に基づき「認定子ども園」の設定基準等に関する条例案要綱(素案)を策定し、広く県民の意見・提案を募集しました。これは、「認定子ども園」の具体的な設定基準は、文部科学大臣と厚生労働大臣が協議して定める「国の指針」を参酌して、各都道府県が条例で定めることになっていたからです。 手元に条例案要綱の要綱(素案)と認定基準案の概要(類型別の国基準と兵庫県の基準の比較表があります。個人的には、この「認定子ども園」の制度には反対ですが、兵庫県が今後充分検討されて、国の最低基準以上のよりよい制度にして子どもの保育環境を守ってほしいと願っています。
兵庫県が県民の意見を広く求めたことは評価したいと思いますが、このパブリックオピニオンを求めることが形式的なものにならないことを期待します。 1 子どもの最善の利益を担保するために、幼保連携型(認可幼稚園と認可保育園が連携して一体的な運営を行うタイプ)を基本として、幼稚園と保育所の認可基準と同等の認定基準として欲しい。 2 地域の限定と適正配置、また、幼保審議会の関与が必要で、待機者の多い地域や少子化が厳しい過疎地のうち、幼稚園と保育所の一体的運営が望ましい地域に限定して認定して欲しい。 3 直接入所契約方式の弊害を解消できるような仕組みと工夫をして欲しい。 4 保育料の設定は、「自由価格制」の方向であるが、価格競争で、人件費コストを抑えるため、パートや契約職員の活用が予想され、保育の質の低下を招く危惧があるので、保育料の設定については、しっかりした監督下でなされるよう配慮されたい。 等の意見書を提出しています。 幼保一元化の議論は、永年行われてきましたが具体化できず、規制改革議論のなかで、「国庫補助負担金整理合理化方針」を実現するため、また、保育所運営費の一般財源化から端を発しているといわれ、国と地方の財源負担の軽減問題が中心課題ともいわれています。
私も全国私立保育園連盟や兵庫県下保育3団体の意見書を支持し、表現が異なるかもしれませんが、子どもの保育環境を守るために、兵庫県に、保育園・幼稚園が従来の最低基準をクリヤーすること(素案はいくつかの特例緩和策がなされている)を求めました。
先人たちが、苦労して公的保育制度を作り上げ、子どもの視点に立った「質の高い教育・保育」の歴史が、競争原理と市場原理に基づいた今回の「認定子ども園」で、崩壊させられる危機を迎えるかも知れません。 |
|
変わりゆく保育制度4 〜認定子ども園の動向 1〜 最近、保育関係誌は、「認定子ども園」についての特集、また、保育関係の研究修会でも「認定子ども園」を取り上げていることが多くなってきました。ここでは、個人的な見解は後にして、どのようなものかを手持ちの資料から紹介してみます。 「認定子ども園」の制度は、「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律」が根拠になって生まれようとしています。(2006年10月施行予定) これは、従来、3歳〜就学前の子どもを受け入れていた幼稚園と、0歳〜就学前の保育に欠ける子どもを児童福祉の視点から受け入れていた保育園に、就学前の教育・保育を一体的に行う機能として、保護者が働いているか、いないかに関わらず受け入れて、教育・保育を一体化した施設にするというものです。 幼保一元化の議論は、永年行われてきましたが具体化できず、規制改革の議論のなかで、「国庫補助負担金整理合理化方針」を実現するため、また、保育所運営費の一般財源化から端を発しているといわれ、国と地方の財源負担の軽減問題が中心課題ともいわれています。
当初、保育園、幼稚園とは別の第3の施設として、教育・保育を一体化した総合施設として、2005年に実験的に開設された35箇所の総合施設モデル事業が、この「認定子ども園」の構想を形成したと思われます。 他方、幼稚園の利用児童は減少し、運営・存続が厳しくなってきたことも要因として考えられます(幼稚園サイド)。保育園・幼稚園が個別の運営では非効率という見方や幼稚園の資源の有効活用という視点からも、この「認定子ども園」が、特に幼稚園サイドから注目されています。(預かり保育・長時間保育をする幼稚園も激増)
「認定子ども園」は、地域の実情に応じて下記の多様なタイプが考えられています。 1.幼保連携型・・認可幼稚園と認可保育園が連携して一体的な運営を行うタイプ。 2.幼稚園型・・・認可幼稚園が、保育に欠ける子どもの保育時間を確保して保育園機能を備えるタイプ。 3.保育所型・・・認可保育園が、保育に欠ける子ども以外に幼稚園的機能を備えるタイプ。 4.地方裁量型・・幼稚園・保育園の両方の認可はないが、地域の教育・保育施設が認定子ども園の必要な機能を果たすタイプ。
これまで、幼稚園の運営費・施設整備費の助成は、原則として学校法人に、保育園の施設整備費の助成については、原則社会福祉法人等に限られていたが、「認定子ども園」は、どちらであっても運営費、施設整備費の助成が可能になります。
待機児童の効率的な解消、少子化と財政難に直面している地域で、幼・保の統廃合がやりやすくなる一方、調理室設置が義務付けられないことや職員配置基準低下、直接契約制、保育料の自由設定化等、教育・保育に市場原理が支配する問題点を、既存の良識ある幼稚園・保育園が意識しないと、先人たちが、公共原理にたって歴史で作り上げてきた子どもの視点に立った「質の高い教育・保育」が、競争原理と市場原理に基づいた「認定子ども園」で、危機を迎えるかも知れません。 |
|
「第3者評価の本質を探る U」
先回は、使命・理念の明確化(成文化)と保育園の組織風土・文化や団体の哲学や価値観や組織倫理について言及し、保育園が社会と個人を変革する存在となっているのかを評価(自己評価と第3者評価)する必要性を述べました。
1)保育園の存在理由の本質的な性格を有しているか。
@理念・使命・目的を再確認し、保育園が持つ視点を明確にすること。 |
|
「第3者評価制度の本質を探る T」
保育園を含めた福祉サービス分野で、緊急に整備されなければならないことは、 |
|
「戦後60年に想う」
今年は、戦後60年の記念すべき年を迎えています。 |
|
人は何のために生きる
海外災害援助市民支援センター(CODE)の村井さんが、全私保連神戸大会の分科会「震災10年と市民社会」の打ち合わせに神視保育園に来られた時に、CODEも「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンの賛同団体になったので、ホワイトバンドの販売協力をお願いしたいといわれ、次の日に職員に声をかけたら、ホワイトバンド運動の趣旨も説明もしていないのに、早速25個の購入希望がありました。サッカーの中田(英)氏や私の知らないタレントの櫻井氏もこのホワイトバンドをしていることを教えられ、インターネットで、この運動のイベントやもっと詳しい情報もありますと教えられました。 |
|
阪神大震災10年〜祈り、生きる〜
2005年1月17日の阪神大震災10年の日、新聞各社の震災関連の見出しを拾ってみた。 |
|
〜ガンジーが指摘する人間社会の7つの大罪〜
日本人の一般的な観念の中に、「8月〜広島・長崎〜敗戦〜平和〜憲法〜護憲」と短絡的だといわれても、この意識がつながっていく傾向が強いと思っていましたが、その脈絡もつながってこない時代になりつつあるように思います。
憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」となっており、戦争の惨禍は、政府の行為によって起こるという明確な認識が表明されています。 |
|
「ミッションに立つ経営と事業展開」
イエス団は任意団体として、1909年12月に賀川豊彦が伝道・隣保活動を開始し(救霊団を1914年にイエス団と名称変更)、1922年民法34条に基づいて、財団法人イエス団を組織した。以後、この財団法人イエス団のもとに、福祉事業の施設が次々に認可された。
*宗教(理念)自体は、経済の日常性からみると非合理的なものとして現われる。
*総合計画での長期目標(Corporate Goals) *使命・理念、目的、目標の用語解説
@(使命・理念)Ideal Goals
A(長期目標)Corporate Goals
B(短期目標)Objectives
C(実施手順)Action Steps
元東大教授の石田雄氏は、「現代組織論」で「運動の概念が、高度にイデオロギー的性格をもったも
のであるということはいうまでもない。現実にこの「運動」によって完 |
|
変わりゆく保育制度U
日本の経済危機が深刻化し、あらゆる構造や制度が見直しされてきました。
(2003年7月
研修会で牧田発題のレジメに一部加筆) |
|
賀川豊彦の精神 2 〜神視保育園の創立者に学ぶ〜 過去を忘れるものは現在がみえなくなる 阪神大震災以後、関東大震災での賀川豊彦の働きが注目されています。賀川研究が多くの人によってなされ、徳島では「賀川豊彦鳴門記念館」が始動しています。 阪神大震災を体験した神戸で、ボランテイア活動について考えようとすれば、関東大震災で、賀川を中心とする働きを、「想い起こす」ことが不可欠だという認識が、定着してきたのかもしれません。 阪神大震災では、関東大震災での経験が生かせたのでしょうか。大震災から何を学び、何に気づき、何を生かして、今後の予期せぬ出来事や災害を、負の遺産としてとらえるだけでなく、被災体験から何を知的財産として生かさねばならないのでしょうか。「過去を忘れるものは現在が見えなくなる」と「想い起こす」ことの大切さを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが、敗戦40周年の演説でされたことは有名ですが、成熟した市民社会が構築されるために、第一セクターの官である政府や行政、第二セクターの民間企業、第三セクターである民間の非営利組織のNPO・NGO等の市民活動のあり方が、当時の賀川によって、示唆されているように思います。また、阪神大震災では、救援活動に組織や人的ネットワークの必要性が強調されましたが、もっと大きな視点から、歴史的な体験をつなぐための過去・現在・未来の時間のネットワークの必要性を感じます。過去と現在の対話から、21世紀への賀川豊彦のメッセージに耳を傾けたいと思います。 災害・社会矛盾を契機に社会福祉の種をまく
1923年9月1日に関東大震災が発生した翌日には、神戸YMCAを中心とした神戸のキリスト教会連盟は、賀川豊彦を東京に派遣することを決定。賀川は、海路をとって3日に横浜に上陸し、5日には、東京YMCAの救援活動に合流しました。 賀川は、東京YMCAの救援活動を高く評価し、YMCAの支部として所属しながら、 1)宗教部(被災者の精神復興を重視し、路傍伝道、宗教講演会,聖書研究会、子どもの日曜学校等を実施)。 2)教育部(英学院、労働運動・消費組合・失業問題等の文化講演、手芸講習会)。 3)少年部(子どものキャンプ・レクレーション指導、歌と童話の夕べ等)。 4)社会事業部(職業紹介所、困窮実情の調査、託児所「光の園」、震災後の子どもの体育・遊戯・復習の指導をする3つの天幕セツルメント等)。 5)労働者診療所・児童健康相談所。 6)栄養不良児のための牛乳配給所。 7)簡易宿泊所。 8)組合部(産業労働者の自立と相互扶助のため、イエスの友大工生 産協同組合、編物内職組合、家具生産協同組合)。 9)信用組合組織(被災者に低利事業資金貸付等)を次々と設立していきます。 これらの産業YMCAの働きは、東京の賀川記念館や社会福祉法人雲柱社の多くの福祉施設として、神戸で生まれた社会福祉法人イエス団と同様、賀川精神を継承して運動を展開しています。
関東大震災の数年前には、この本所では、東京帝国大学キリスト教青年会(現在の東京大学YMCA)が、防貧事業の趣旨から、母性の保護と生まれる子どもの保護保健及び救療をする目的で、1918年(大正7年)に賛育会を設立し、翌年には、一般庶民を対象にした日本最初の産院といわれる「本所産院」を開設しています。 また、1919年には、日本キリスト教婦人矯風会外人部関東部会が、本所でセツルメント活動を展開していました。1923年に託児所、授産所、裁縫室等を完備した建物が竣工した直後に、関東大震災で賛育会と同様に廃虚となりました。しかし、その年の12月には託児所をバラックで再開し、被災者の救援活動を興望館セツルメントとして活動を展開しました。現在、社会福祉法人興望館として保育園、養護施設、地域福祉全般にわたり、すばらしい働きを展開しています。 YMCA運動と賛育会、興望館、そして賀川が関係した活動は、キリスト教を基盤にして、あるいは設立の精神を意識しながら、時には相互に連携しながら、それぞれの運動を展開して、今日に至っています。ボランテイアとか、市民参加や市民運動の原点となったこれらの運動体は、今日組織化された事業体となり、運動体としての組織のあり方について課題を抱えつつ、21世紀への挑戦がなされようとしています。 市民社会形成への運動 関東大震災前後の時代背景を見ると、1914年の第一次世界大戦が日本の経済に影響を与え、急激な社会変化に諸制度の整備が追いつかず、社会矛盾が顕著になり、時代の思潮の転換期だったといえます。思想的にも大正デモクラシーといわれる運動が盛んになった時代でもありました。 1916年には、吉野作造が民本主義を提唱。1918年には、吉野は、海老名弾正牧師(後に同志社大学の総長)に大きな影響を受け、キリスト者教師として「東大新人会」を結成し、片山哲など、多くの民主主義の市民運動、社会運動・労働運動家が、ここから育って活躍しました。 賀川豊彦は、吉野作造とも関わりを持ちつつ、1921年に神戸購買組合を創設。また、神戸で川崎・三菱の労働争議が起き、賀川はこれを支援しました。 翌1922年には、杉山元冶郎、賀川豊彦らが、神戸YMCAで農民組合を結成しています。また賀川は、YMCAのジョンRモット(後にノーベル平和賞受賞)に支援を受けつつ、キリストによる世界平和を目指す「神の国」運動を展開します。 時代を同じくして、鈴木文冶、大山郁夫、森戸辰夫、新渡戸稲造、片山潜、安部磯雄等の人々が、社会主義と民主主義の市民的運動の要として活躍していました。 神戸は、内外の協力や、また神戸の文化的・宗教的背景もあり、賀川を含めて、無産運動が盛んになりました。YMCAも1928年に自由大学という講座を開催し、賀川豊彦、今田惠(関学教授)、坂本勝(後の兵庫県知事)、松沢兼人(後に社会党国会議員)等が関わり、特に、河上丈太郎(関学教授、後に社会党委員長)は、「基督教徒社会思想研究会」をつくって、キリストの愛と正義に従う青年運動を指導しました。 このような社会動向のなかで、行動的な賀川は、人的ネットワークを生かし、当時の時代背景や大震災を契機に、ボランテイアの啓発や、社会福祉事業を次々と組織化し、「救援ではなく救護」だという思想(対処療法でなく、長期的な展望をもって)と、「精神復興」が重要な使命だと主張し、伝道や講演活動を実施したり、社会調査により、行政の施策にも働きかけ、その後の国の社会政策にも大きな影響を与えました。 日本の災害救済事業が、YMCA、賛育会、興望館など、結果として、ボランテイアの源流を築き、日本の社会福祉事業の発展の種をまいたといえます。 生き方の原点〜いと小さき者のために〜 賀川は、福祉のみならず、社会や個人の人間の問題をミクロやマクロの視点から、人間解放の総合的なデイベロッパーというか、玉子の孵化器の役割を果たして、多方面の運動を展開し、色々な組織の種を蒔いたともいえます。 特に、組織化や、制度化された形のあるものだけでなく、見えない精神的所産としての文化や、人間としての生き方を、運動や組織の中心に置いていたことを忘れてはなりません。それぞれの運動のなかに、自己保存的な生き方ではなく、「いと小さき者のために」「他者的に生きる」姿勢と使命(ミッシヨン)があったため、賀川にふれた多くの人々が、共感や連帯によって賀川の運動を支援し、今日も賀川が関わった組織や団体が生まれ、存在しているように思います。講演活動や具体的な働きを通して、共感と連帯とボランテイアスピリットが、賀川の運動を発展させたと思われます。
関東大震災時には、既に国際的にも国内的にも、YMCA、赤十字社、救世軍等のボランテイア団体が活躍しており、ボランテイアの先駆者が賀川豊彦だと断定できませんが、YMCAやイエスの友の力を生かし、日本における組織的災害ボランテイアの源流として、また人的ネットワークを生かした賀川の働きは、大きかったといえます。 それぞれの団体とボランテイア精神の中に、自分の意志や力で成果を上げようとする生き方や組織でなく、人間を超えた力に動かされ、他者のために生きることこそが、価値あることだと、現代の私たちに問いかけているように思います。 「組織は何のために存在しているのか」「人は何のために生きているのか」この基本的な問いを持ち続けなければ、その存在そのものの意味が失われてしまうように思います。賀川は、民間市民・ボランテイアセクターの働きが、市民社会形成にとって重要であるという認識をもって、セツルメントの草の根運動を展開したのではないかと想像します。 運動と組織の宿命〜非営利組織に必要な視点〜 私たちは、「運動」の概念を意識しないで、平和運動、社会運動、組合運動、市民運動という言葉を使ってしまいます。「YMCA運動」や「生協運動」という表現も定着しています。しかし、運動という言葉を極めて曖昧に使っていることも反省しなければなりません。その意味することを意識しなければ、使命や願いをもった運動は広がりません。 運動(ムーブメント)は、結びつく言葉によって多少異なった意味を与えられていきますが、「運動と組織」について、元東京大学教授の石田雄氏は、その著「現代組織論」(東大社会科学研究所・岩波書店)の中で、運動を「高度にイデオロギー的な性格をもったものであるとし、その運動によって完成されるのは大衆の制度化にほかならない」という概念規定をしています。 そして組織の概念を「複数の人間が意識的、また無意識的に共通目的をもって結合し、その結合したものが構成員に対して何らかの統制力を持っている場合に用いる」として、「組織化のプロセス」を、運動論という中で捉え、「組織されたもの」という立場からは、いわゆる経営学、あるいは行政学上の組織論として、学問的にその例を見出されるのだ」と述べています。 使命や願いをもった運動の影響力を大きくしていこうと思えば、共感と協働を創り上げるために、多くの人間を組織化し、その組織を道具として、運動を強化しなければなりません。しかし、組織を大きくしていくところに、今度は、逆に組織維持のために、効率が求められ、統制機能をもった制度化や施設化と官僚主義的な機構が作られていきます。
つまり、組織化されたものを、維持存続させるためには、経営の効率化をはからねばなりません。連帯と共感で生まれた理念目的をもった運動体が、制度化され、組織体が行う事業体の性格が強くなると、精神性を喪失した専門分化が機能的になされる傾向がでてきます。 運動体にとって、組織は不可欠であり、しかも組織は、運動と矛盾する要素を含んでいます。 連帯と共感で生まれた非営利組織やボランテイア団体が、この矛盾をどう克服するかが大きな21世紀への課題ではないかと思います。 阪神大震災の影響や社会・経済環境の激変で、組織維持に汲々としてしまう今日の世界に、「もし賀川豊彦が、再度つかわされたならば、何をされるのだろうか」という問いかけが、求められているように思います。 21世紀社会への問い 賀川の「震災救援運動を顧みて」という著述の中で、関東大震災での救済事業が、驚くべき無秩序だったことと、訓練のない国民を嘆き、食糧配給問題については徳川時代に劣るとし、バラックの不良住宅については失敗したと批判しています。 賀川のいくつかの問題提起と関東大震災の働きの中で、今日の私たちが注視したい事項として 1) 救援団体や行政との連携・組織化の必要性を主張し、今日でいう市民・NPO/NGO・企業・行政等のネットワークの重要性を主張していること。 2) 社会や行政に対して、市民社会構築に必要とされる社会調査に基づいたアドボカシーとかパブリックポリシーとかいわれる社会的発言や政策提言をしていること。例えば、バラックのスラム化に憂慮して、住宅の供給・改善方策の提言等を行い、社会政策として対応の必要性を主張し、実践したこと。 3) 阪神大震災後、心のケアーが問題提起されたが、賀川は被災者の精神復興運動が重要だとして、心に希望と活力を与えることの必要を強調したこと。 また、市民社会を構築する上で必要とされるフィランソロピーの心をもった賀川のこれらの実践と主張は、歴史的事実として高く評価し、時代を超えた問いかけとしたいものです。 賀川を神格化し、業績をたたえるだけでなく、過去と現代の対話をするために、賀川が、残した多方面にわたる働きと提言の遺産を、現代そして未来に継承し、時間空間のネットワークとして生かすことが、今日求められているように思います。
21世紀の最初の年は、国際ボランテイア年でした。 そのためには、賀川が神の国運動で願った「平和の文化」の創造を、21世紀への遺産として継承し、自立と相互扶助を目指し、平和な世界の実現に努力したいものです。「Think globally act locally」(世界を見つめ,地域に生きる)ことを実践した賀川の願いを想い起こし、阪神大震災と関東大震災から、平和と公正をベースにした新しい生き方・文化が始まることを願いたいと思います。
(注 記) |
|
「これからのNGO運動のあるべき姿」
1)組織的に運営できるような体制をつくること(経済基盤の確立を含めて)
2)組織と運動について管理運営していく能力をもったNGOのプロフェッショナルを育てること
3)援助、協力、交流、理解、連帯が組織的、経済的に展開されるようなNGOの組織づくりをする "寺子屋・パオ" 特別講演録から |
社会福祉法人イエス団
神視保育園
Copyright©Shinshi Nursery 2000