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ほいくの窓 最新版に戻る

ほいくの窓 バックナンバー (パブリックポリシー)

ほいくの窓は、保育現場から園長(牧田稔)が主張したいことを掲載しています。
 

「保育における正義を求めてX」 子どもの貧困を考えるD
           〜児童福祉の視点から保育制度改革を考える〜
「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるC
           〜配分的正義と公正としての正義〜
「保育における正義を求めてV」 子どもの貧困を考えるB
           〜子どもの叫びが聞こえますか?〜
「保育における正義を求めてU」 子どもの貧困を考えるA
         
あってはならない現実!〜
「保育における正義を求めてT」 子どもの貧困を考える@
         
なんでやねん!!〜
[賀川豊彦の精神Ⅺ ]〜賀川豊彦献身第2世紀にむけて〜
[クリスマスの心 \]  〜クリスマス・キャロル物語から
「オバマジョリテイー」 という言葉
NHKドラマ 「気骨の判決」 を観て
「地球環境を守るのは一人ひとりの行動」
        〜デマンド装置と省エネエアコン等で温室効果ガス削減〜
「牧の羊」(その3)〜価値観・信仰の遺産の継承〜
「牧の羊」(その2)〜幕末・明治のキリスト教運動 〜
「牧の羊」〜賀川豊彦と三浦清一の生きた時代(その1)〜
「貧困のない世界を創る」〜ノーベル平和賞受賞のムハマド・ユヌス氏の講演会から〜
戦争文化から平和の文化へ」〜ステ ィーブン・リーパー講演会より〜
伝統的価値観の遺産」〜アメリカ大統領の就任演説から〜
召命と使命に生きた五十嵐健治と賀川豊彦」〜
「現代人の心の癒しZ」〜赦し、謝罪、償い、和解
そのままで・・・存在の価値」〜ありのままを生きる〜
自然と人間の運命共同性」〜諫早干拓開門判決〜
「賀川豊彦の精神[」〜一粒の麦を読んで
創立50周年に園章決定」〜アイデンティティとミッションを象徴〜
保育の源流を心に刻むV」〜神視保育園50周年に寄せて〜
「弱き者の生き方」〜心の痛みや悲しみや傷を抱えて生きる〜
保育の源流を心に刻むT」〜日本の幼児教育に尽くした宣教師〜
軽度発達障害 」〜学習障害(LD)って何ですか [1] 〜
現代人の心のいやしW」〜千の風になって〜
「良心は立ち上がる」〜良心の全身に充満したる丈夫の起こり来たらんことを〜
幼児期の価値観形成と保育者の使命
賀川豊彦の精神 Z〜賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて〜
賀川献身100年記念モニュメント完成」〜子どもの権利について〜
組織の品格」〜組織倫理・組織文化の確立〜

変わりゆく保育制度5」 〜認定子ども園の動向 2

変わりゆく保育制度4」 〜認定子ども園の動向 1
第3者評価の本質を探る3」〜民間保育園の独自性・自発性・主体性・・・〜
第3者評価の本質を探る 2〜使命・理念の具体化のための総合計画〜
第3者評価の本質を探る 1〜使命・理念の明確化と組織文化の形成〜
「戦後60年に想う」〜平穏であってひとかたまりの乾いたパンがあるのは・・〜
人は何のために生きる〜ほっとけない世界の貧しさ〜
阪神大震災10年 」〜祈り、生きる
ガンジーが指摘する人間社会の7つの大罪

■ほいくの窓 〜特別編

公益法人改革から考える

ミッションに立つ経営と事業展開

変わりゆく保育制度U」〜児童福祉への営利法人参入について考える〜

賀川豊彦の精神 2」 〜神視保育園の創立者に学ぶ〜

これからのNGO運動のあるべき姿 」


ほいくの窓

「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるD

 〜児童福祉の視点から保育制度改革を考える〜

 

 神戸で開催された全私保連の保育総合研修会(2月3日〜5日)に参加した。
毎年この研修会では、直近の保育政策・保育制度の動向の報告や状況が、全私保連の常務理事や厚労省の保育行政担当官からの情勢報告がなされるので、保育についての制度設計の方向性が掌握しやすく、よき学びができる機会となっています。
反面、保育制度改革のもとで、保育園の設置主体の規制の撤廃、設置基準の規制緩和、児童福祉施設最低基準の地方への移譲、公立保育所の民営化、保育所運営費の一般財源化、幼保一体化等の方向が示されると、児童福祉法の精神を踏まえた望ましい保育制度改革や方策が検討されているのだろうかという疑問やこんな方向性では、本来の児童福祉の視点が失われてきているのではないかと危惧をしています。
これらの制度改革が、本当に「子どものいのちと育ち」を大切にし、「子どもが主人公」という理念から生まれてきた方向性なのか不安を感じます。
保育制度改革がどういう目的のためになされ、その結果、どういうことが改善されるのかが見えてきません。保育制度改革後の改善成果は、何なのかを明確にして欲しいものです。
厚労省の保育行政担当官から、20010年1月に閣議決定された「子ども・子育てビジョン」についての説明もありました。


「子ども・子育てビジョン」の基本理念は
        @子どもが主人公(チルドレン・ファースト)
    A社会全体で子育てを支える。
    Bいのちと育ちを大切にする。
ということです。
この3つの理念については、当然のことと理解できますが、保育現場にいると、新聞紙上やテレビのニュース等から入る「子どもの貧困」問題の具体的な状況は、子どもが成長していく上での親子関係の貧困、養育機能・教育力・家庭力の貧困、食体験の貧困、健康管理の貧困、虐待・育児放棄等による子どもの情緒的・精神的貧困、生活・文化体験の貧困、自然環境の貧困等による影響が、社会病理として日常化・一般化してきて、私たちの保育園の子どもに覆いかぶさっていることを実感しています。
子ども子育てビジョンの基本理念とこのような社会病理といえる現実との乖離をどのように正すのかの具体的施策も考えられなくてはなりません。
これらの子どもの貧困問題を解決するには、児童憲章(1951年制定)実践を検証し、保育政策・制度をどのような視点(政治哲学・理念)で制度設計するかが問われる歴史的な重要な国の政策課題だと思います。
保育政策・制度を改革すれば、これらの問題をすぐに解決できるとも思えません。
子どもが抱えている問題に、具体的にどのように対応し、解決する施策を身近なところで、実施しない限り、この3つの基本理念が活かされることはないと思います。
このことは、直接児童福祉の現場に関わっている私たちにも厳しく問われているように思います。

現内閣での制度改革は、
@ 地域主権に基づく制度改革  A人と生活に基づく制度改革  B幼保の一体化
の視点から、制度設計の方向が考えられ、「子ども・子育て新システム検討会議」で、この6月を目途に基本的な方向を固め、少子化社会対策会議、行政刷新会議及び成長戦略会議に報告し、2011年に、国会に関連法案を提出し、2013年度から幼保一体化を含む新たな次世代育成支援のための包括的・一元的な制度の構築」を目指す方針とのことです。
願わくは、拙速な制度改革で、地域の自治体や保育現場に混乱をもたらすことがないように熟慮した歴史的にも評価される制度改革であって欲しいと思います。
また、児童福祉の視点から、「配分的正義」と「公正としての正義」を両立した保育制度改革であって欲しいと思います。

 


ほいくの窓

「保育における正義を求めてW」 子どもの貧困を考えるC

 〜配分的正義と公正としての正義〜

 

 20数年振りに保育界に復帰して神視保育園に奉職してから、9年が経ちました。
その間、毎月の園だよりに書いてきた「ほいくの窓」が、今回で100号を迎えました。
若い時に社会福祉の仕事をしたいと願っていましたが、YMCAからアメリカでCIPというソーシャルワーカー・ユースワーカーの研修会と世界YMCA同盟主催のアーバンアウトリーチリーダーシップ研修に参加させていただきました。
企業生活やYMCAで経験させていただいたことを、自分の職業生活の最後の保育現場で総合的に活かしたいと願い、保育園の総合計画(中・長期計画)の策定や毎月の園だよりの「ほいくの窓」で、児童福祉の保育現場から眺めて、設立者賀川豊彦の精神を活かす働きの具体化、激変する国の保育制度・構造改革についての問題、神視保育園の使命・理念や保育の心・保育の願い、いのちを育む平和・人権・環境の問題、新しい成熟社会・市民社会の構築に向けての実践と提言、また、新保育所保育指針や神戸版解説書をベースにあるべき保育園の姿は何だろうかと問いかけていたら、100号にもなってしまいました。
ここ数回、「子どもの貧困問題」を考えつつ、保育における正義とは何だろうと思いを巡らしています。はるか昔の学生時代に法哲学や政治哲学という科目を受講し、正義論について語られていたことは記憶にあ りますが、その内容はあまり記憶にありません。
パソコンは便利なもので、今回はフリー百科事典「ウイキペデイア」で、正義について調べてみました。それによると「正義とは、倫理、合理性、法律、自然法、宗教、公正ないし衡平に基づく道徳的な正しさに関する概念である」とし、正義の概念は、哲学的、法的、あるいは神学的な影響の下で、古代から現代に至る歴史上絶え間なく論じられてきたと記されていました。
そして、正義を分類して@報復的正義、A修復的正、B配分的正義、C匡正的(きょうせいてき)正義、に分類されていました。
これらの正義の概念については、関心のある人が自分で調べて欲しいが、ここでは「保育における正義とは何か」という命題で考えようとすると、比例的な平等(1:1)主義による配分的正義(例えば、全ての子どもに均等に同額の子ども手当を配分支給する)という考え方を正義としてとらえることが一般的かも知れません。
しかし、保育の源流を見た時、1886年に間人たね(はしゅうどたね)が神戸で設立した「間人幼児保育場」は、月謝を決めていたが、貧困者層の子どもには、保護者の負担能力に応じて保育料は任意としていたといわれます。
また、1877年に修道女アントニンが、棄児や迷児の収容保護をはじめ、1890年には、キリスト教関係者により「神戸貧民救済義会」(神戸孤児院と改称、現在の神戸真生塾)が設立されたことや、貧困の子どもの保育を対象とした「善隣幼稚園」(後に賀川豊彦が無償譲渡され、1935年から「友愛幼児園」として保育を続けてきた歴史をみると必ずしも配分的正義が平等といいきれません。
そこには経済的不平等や格差に対して、これを是正して公正な保育への取り組みがされていました。
神戸のこれらの貧困の子どもを意識した保育の源流は、今日における階層別保育料に通じる先駆的な役割を果たしたといえます。
これらは「子どもの貧困」やあらゆる格差を修正するもので、ある子どもの育ちを支える児童福祉の「子どもにとっての保育における正義」の源流が、ここで築かれたと思われます。
先にあげた正義の4つの分類に加えて、「公正としての正義」の概念が哲学者ロールズによって主張されたと記載されていましたが、これは、
 @基本的自由に対する平等の権利があること、
 A社会的・経済的不平等は、最も恵まれない人の利益を最大化するときのみ許され(格差原理) 
 Bいかなる職務や地位につく可能性も全ての人に開かれていること(公正な機会均等の原理)を主張しています。
 保育制度改革の中で、幼保一体化が論議されているが、子どもにとっての社会正義は、「配分的正義」の考え方だけでなく、「公正としての正義」を意識した政治哲学・法哲学を確立して、「子どもにとって保育における正義とは何か」を、公正・平等の視点から考えた保育制度設計を図っていかなければ、保育における正義は確立できません。
今一度、児童福祉施設としての保育園のあるべき姿をしっかりと検証したうえで、保育制度設計をはkる必要を感じます。 
                               「ほいくの窓100号記念」
                                  
(2010年5月1日)


ほいくの窓

「保育における正義を求めてV」

〜子どもの貧困を考えるB 子どもの叫びが聞こえますか?〜
 

 保育園は、児童福祉法に準拠していますが、「児童の身体的、精神的及び社会的な発達のために必要な生活水準を確保する」という規定が厳しく問われる社会背景があることと、子どもの貧困のあってはならない前回記述した現実を見極め、子どもの身体的、精神的、社会的に必要な生活水準が確保されているか問われなければなりません。
 過日、保育指針の神戸版解説書の策定委員会で、汐見稔幸先生(白梅学園大学長)は、保育所保育指針に子どもの貧困問題を取り上げるべきだったかもしれないと発言されました。
 個人的には、保育所の規制緩和や児童福祉法の精神を踏まえた保育制度改革や方策が検討されているのだろうかという疑問や本来の児童福祉の視点が失われてきているのではないかと危惧していた時だったので、保育界のリーダーである先生のこの問題提起は、経済的貧困以外の発達環境の貧困にも心を注いで、子どもの望ましい発達環境を考える必要性を確認できたように思います。
 子どもの望ましい発達環境を児童福祉の視点からきっちり押さえることが、保育における正義の確立に必要だと考えている時に、埼玉と奈良で4歳児と5歳児が身体的虐待を受けた上に、食事が与えられず、栄養失調で餓死したショッキングなニュースが報道されました。
この2人の子どもは、病院にも保育園にも行かせてなかったといいます。
5歳児の子どもは、6.2kgしかなく、同年代の子どもの3分の1の体重であったという。反抗的だったとか、娘が生まれてからこの長男が可愛くなくなったとか、娘には3食与えていたのに 、この長男には
1食しか食べさせてなかったとか、夫婦関係が悪くなって父親の顔に似ていたのでムカついたから顔面を殴ったとかの報道に、情けないとか悲しいとかを超えた、腹立たしさや怒りを感じるのは、私だけではないと思います。
この報道の翌日に、兵庫県でも継母が5歳の女児を虐待し、傷害致死容疑で再逮捕された記事も目につきました。
子どもの発達環境の貧困さは、これらの事件をみる限り、極貧状態だといえます。
これらの子どもたちは、どんな叫びを両親や私たちにしていたのでしょうか。
自ら他者に、言葉で表現できない4歳や5歳児の彼らの訴える声を聞き取ることができない家庭や社会は、異常としかいえません。
 こんな状況にある子どもこそ、発見して保育園や養護施設に入所させねばなりません。
それでないと保育園の存在する意味がありません。保育園や養護施設に入所していたらここまでの悲劇は起こらなかったと思います。 当法人のイエス団では、弱い子どもが犠牲とならないように、この4月に賀川豊彦献身100年を覚えて、東大阪市にガーデン・エルロイという施設名で、乳児院と養護施設を設置しました。
小さな試みですが、このことが少しでも子どもの救いとなることを願っています。
 1951年5月5日に制定された児童憲章の2項に「すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これに代わる環境が与えられる」、3項には、「すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害から守られる」、10項には、「すべての児童は、虐待・酷使・放任、その他不当な取り扱いからまもられる」等、児童憲章には12項目が挙げられているが、人として尊ばれることもなく、社会の一員として重んぜられることもなく、良い環境のなかで育てられることもなく、4歳や5歳でいのちを失ったこの子どもたちの叫び声が聞き取れない社会や政治には、正義という言葉は存在しません。
 児童憲章が生まれて60年、その間、「政治と金」の問題は、毎年と言っていい程、国会で取り上げられて、多くの時間をかけても解決していません。
国策を議論する国会で、毎回「政治と金」の議論に多くの時間を費やしていることが、情けないとか悲しいとかを超えた、腹立たしさや怒りを感じます。
格差社会、ワーキングプア(働く貧困層)、ホームレス、多重債務者、非正規雇用(パートや派遣労働が全労働者の3分の1を占めている)、リストラ、ネットカフェ難民、生活保護世帯の激増、引きこもりの子どもが約100万人いるという報道、失業・病気・離婚・自殺の激増等の大人の社会や家庭の状況に影響を受けている子どものおかれている現状を把握し、児童憲章で掲げたことが、現実的に実践されているのか検証し、これらの子どもの厳しい貧困を解決しようとする審議が、国会で真剣になされることを期待したい。
 子どもの貧困問題を、国策・社会政策として取り上げるのでなければ、子どもの保育の正義は実現できません。現金給付や財政支援だけで解決しようとするのでなく、仮に貧しくても人間として人格が尊重され、幸せな家庭や社会を築く人間観や価値観を確立することが重要だと思います。
                                      
(2010年4月1日)
 


ほいくの窓

「保育における正義を求めてU」 子どもの貧困を考えるA  

            〜あってはならない現実!!〜


  子どもの貧困や格差の問題は、決して経済的な問題だけではありません。
「子どもの貧困」〜日本の不公平を考える〜の著者阿部彩氏は、「貧困」の定義は社会のあるべき姿をどう思うかという価値判断そのものだとしています。
つまり「社会が許すべきでない生活水準=子どもの貧困」だと定義づけています。
「子どもの貧困」〜子ども時代のしあわせ平等のために〜(浅井春夫、松本伊智朗、湯澤直美編)も人生のスタートラインに立つ段階でのチャンスの不平等、子どもにふさわしい生活や教育保障の権利侵害の実態等「あってはならない現実」を論じています。
やっと見えてきた子どもの貧困、あなたはこの不公正を許せますか?と問いかけています。
2つの著書は、不公平・公平や不平等・平等の問題に言及しながら、子どもの貧困についての問題提起をしています。
 この2つの著書の子どもの貧困問題での視点は、「社会が許すべきでない生活水準」と「あってはならない現実」は、単に子どもの貧困の現実を個人的な一部の特殊な問題でかたづけるのでなく、社会や国家的課題として、解決していかねばならないという問題提起をしています。
子どもの貧困を視座にして、直面する経済状況と格差社会について、社会的な不平等と不公平を正さなければならないと指摘しています。
 大人社会の格差の存在は、大人に依存している子どもに格差が生じるのは当然で、経済格差は、子どもが成長していく機会の平等にまで影響を与えてしまいます。
保育現場にいると、子どもの貧困は、生活保護を受けているとか、母子家庭から経済的貧困から生じることは事実であるが、もう一つの子どもの貧困は、開発途上国に比較して 、日本のように経済的に豊かであっても、私たちの社会は、子どもが成長していく上での親子関係の貧困、養育機能・教育力・家庭力の貧困、食体験の貧困、健康管理の貧困、虐待・育児放棄等による子どもの情緒的・精神的貧困、生活・文化体験の貧困、自然環境の貧困等による影響が一般化してきたことも承知しなければなりません。これらの貧困は、日本の社会病理だと思います。
 つまり、普通の家庭での子どもの幸せや成長が、子育て環境・家庭環境の貧困や地域社会や生活環境の貧困、都市化による自然環境の貧困等によって阻害され、これらの貧困の要因が、子どもの成長に深く影響していることを認識しなければなりません。
 この2月24日にタイのチェンマイとチェンライのYMCAデイレクターとランプーンの小学校の校長が、神視保育園の国際理解・協力の話をされることと、日本の保育園について学びたいと来園されました。
夕刻の帰国の最後の1日を朝9時過ぎから2時まで保育園で過ごされました。
まず、保育園に入る前に賀川の子どもの権利のモニュメントの説明で、3人は、「子どもの食う権利」と「遊ぶ権利」が挙げられていることから、子どもの貧困についての話が語られ、神視保育園の子どもたちに、自分が訪ねたフィリッピンのごみ山で、子どもたちが捨てられた食料やペットボトルや何かお金になるごみを、保育園や学校にも行かないで、遊ぶこともなく、必死で働いている子どもの現実を話していました。
 サンワン校長は、大学の非常勤講師も兼ね、貧困や人権問題に深い関心をもたれ、賀川豊彦の働きや日本での子どもの貧困問題について熱心に質問され、また2人のYMCAデイレクターは、山岳民族の自立支援が中心的な仕事で、25回に及ぶ神戸・タイワークキャンプのデイレクターとして、また素晴らしい農村部の子ども支援プロジェクトを展開しています。(農村の子どもがバンコック等の都市部に安い労働力として、子どもが出稼ぎに行くことをしなくてよい支援や子どものエイズ撲滅のための働き)等に 、挑戦されています。
あってはならない現実に挑戦する彼女たちの働きに頭が下がります。
私がYMCA在任中、神戸の保育園から国際協力募金あったと伝えると、パチャリンは、メーハンソンという村で保育園建設をしたいと申し出て、神戸・タイワークキャンプで実現させました。
神視保育園に山岳民族の自立支援のために制作・販売している農村で作られたポシェットや小銭入れをおみやげでいただいた。
こんなところに農村での具体的に貧困や人権問題に取り組んでいる事実を教えられました。
3人からの貧困や人権や環境問題の話になると、自分たちの取り組みのお粗末さを痛感しました。 

 


ほいくの窓

「保育における正義を求めてT」 子どもの貧困を考える@  

〜なんでやねん!!〜

 格差社会という言葉に加えて「子どもの貧困」という言葉が、最近新聞や雑誌でとりあげられ、「子どもの貧困」という著書も2冊入手しました。
日本人は、中流意識が定着して久しく、貧困国だと思うような事態が顕在化していることを否定したくなるのが一般的だと思います。
 しかし、経済協力開発機構(OECD)が、日本の相対的貧困率は、加盟30カ国中4番目の高さで、子どもの貧困率は14%、高齢者の貧困率は21%と発表して以来、新聞各社は、それに関連する記事を多方面から取り上げています。
保育現場にいると、格差社会、ワーキングプア(働く貧困層)、ホームレス、多重債務者、非正規雇用(パートや派遣労働が全労働者の3分の1を占めている)、リストラ、ネットカフェ難民、派遣村、生活保護世帯の激増、失業・病気・離婚・自殺の激増、年俸が240万円以下の人が全体の40%を占めている等の大人の社会状況の記事は、大人や家庭の問題だけでなく、保育園に来ている子どもたちにも深く関係するケースも現実に多く存在していることがひしひしと理解できます。
 子どもの育ちを支える児童福祉施設としての保育園での「子どもの貧困と現状」を把握し、世代間連鎖を断ち切ることが、保育園の果たす大きな社会的役割のように思われます。
「子どもの貧困」とは、経済協力開発機構(OECD)によると国民の標準所得の半分を下回る所得しかない人を貧困と位置づけ、この世帯に属する17歳以下の子どもと定義されているようです。
「子どもの貧困」は、子どもの責任ではありません。しかし、「親が悪い」とも言い切れません。
リストラ、派遣切り、倒産や不況による失職して貧困状況に陥ったケースや、阪神大震災15周年の記念番組でも報道されているように、家を失ったり、失職したり、生活を支えた人が亡くなったりした不条理なケースは、個人の努力を超えた要因だと思われます。
私の家も全壊し、家具等全てを失いましたが、職を失うことがなかったので、何とか生活を取り戻せました。しかし知人のY氏は、阪神大震災後、職を失い、求職活動に必死に努力したが、被災地で職を得られず 、他にも理由があったのか自殺されました。
震災で生き延びられたのに、何とも言いようがない厳しい現実に、ショックだったことを今でも鮮明に記憶しています。
 また、2009年11月11日の毎日新聞の記事で、阪神大震災直後に書いた子どもの作文が紹介されていました。また1月13日のNHKのテレビの震災15周年番組でもこの作文が紹介されていました。
私たちの神視保育園のすぐ近くのM小学校の当時2年生の子どもが書いた「神様のいじわる」という作文です。
「神様のいじわる。何でえいじのいえつぶしたんや、えいじのいえつくれ、つくれへんのやったらおか   ねくれ。おかねもくれへんねんやったら、こんなこわい地震するな。おい神様、えいじの家さがせ。
さがしてくれへんかったら、かみさまのいえもつぶしてやるからな。おぼえとけ、おぼえとけ」という作文です。
 この毎日新聞の記事を読んだ後、震災直後の子供たちの作文が展示されている長田区役所に行き、彼を含めた何人かの作文を読ませていただきました。
子どもたちが予期せぬ出来事に出合い、自分に「なんでやねん」と不条理を受け入れられない怒りや悲しみや不安等の混乱状況にある時に、心の中にある精一杯の気持ちを作文で表現していました。
しかし、保育園の子どもは、まだ文字や言葉で表現すらできません。
理由はともかく、大人が抱える厳しい現実の影響を受けて、何もできないで現実を受けるしか仕方がない子どもの貧困については、社会保障、特に児童福祉の諸施策がセーフテイネットにならなければなりません。
自治体と保育園は、こんな子どもを守る社会的責任があります。
 私たちの保育園を利用している世帯の現状は厳しく、過去8年間の平均をみると、A階層(被生活保護世帯)は22.6%、B階層(市民税非課税世帯)43.3%となっており、AB階層が65.9%を占めています。
また、入所者のシングルファミリー(主として母子家庭)は、毎年約35%〜40%を占めています。
生活保護を受けてなくても、所得基準が生活保護以下の所得で暮らしているケースもあります。
 子どもにとっての社会的正義を確立することは、国と自治体の責任であり、保育園の重要な役割だと思います。
 神戸市は、A階層の保育料とB階層で母子家庭、父子家庭、在宅障害児(者)のいる世帯は保育料を無料にしてくださっています。
この他にも子どもと家庭を支える諸施策もあいますが、子どもに関する国家財源が一般財源化により、自治体の財政力によって支援の格差が生まれないように願います。 

 


ほいくの窓

賀川豊彦の精神 

〜賀川豊彦献身第2世紀にむけて〜

わたしが老いて白髪になっても 神よ、どうか捨て去らないでください。
      御腕の業を、力強い御業を来るべき世代に語り伝えさせてください。」(詩篇71:18)

 2009年12月24日に賀川豊彦献身100年を迎えました。
12月12日には、新賀川記念館・友愛幼児園の完成献館式が、また22日には賀川献身100年記念式典が開催されました。
 式典の記念講演は、日野原重明氏(聖路加国際病院理事長・同名誉院長)が、「賀川豊彦献身100年を機に、いま私たちにできること」を、鼎談では日野原氏に加えて、今井鎮雄氏(賀川豊彦献身100年神戸プロジェクト実行委員長)と「友愛の政治経済学」を監修された野尻武敏氏(神戸大学名誉教授・コープこうべ協同学苑学苑長)から「賀川豊彦の何を継承し発展させるか」というテーマのもとに発題いただきました。
 野尻氏のお話を拝聴したのは「友愛の政治経済学」出版後、3回目であった。
私がこの著書を理解するには、翻訳者や監修者のコメントがなければ、整理ができなかったように思います。
「友愛」という言葉は、鳩山首相が最近よく使っていますが、この本がアメリカで出版されたのは1936年だそうで、以後17の言語で25カ国で出版されていたものが、日本では「賀川豊彦献身100年」の記念事業として、73年振りに邦訳・出版されたものです。
当時は、アメリカ発の世界金融大恐慌の厳しい経済環境の中で、キリスト教的兄弟愛に基づく人間社会の新しい秩序への提言が大きな反響を呼んだといいます。
 この著書の訳者である加山久夫氏の「あとがき」に、1978年に来日したイタリア外相E・コロンボ氏が日本の国会に事前に宛てたメッセージの中で、「競争的経済は、国際経済の協調と協力を伴ってこそ、賀川豊彦の唱えた「友愛の経済」への方向に進むことができるのである」と述べたそうですが、訳者の加山氏は、その時の日本の国会関係者は、賀川豊彦の唱えた「友愛の経済」について知っていたのであろうかと疑問を呈しています。
鳩山首相の「友愛」はともかく、1936年と同じような経済環境にある今日、国会議員が「友愛の政治経済学」を読んでみることは、時にかなったことかもしれません。
1930年代の自由資本主義、社会主義、ファシズム等の社会体制と異なる「第3の道」を賀川が提言したことが、大きな注目を浴びたといいます。
 彼によれば、イエスは経済的救済を含む全人的な救いのために十字架にかけられたので、「キリスト教の本質が経済運動の本質でなければならない」とし、世俗の経済生活を無視した宗教運動を批判しています。
人間存在の原点から人格と兄弟愛の経済活動と経済社会の形成を主張し、社会運動は、助け合いを協同組合の形成に向かう運動でなくてはならないとし、「助け合いの意識の覚醒と教育の推進」が決定的に重要だと主張し、「協同組合国家」を目指し、自らその社会観を「人格社会主義」や「キリスト教社会主義」「キリスト教協同組合主義」と称したと記されています。
そして、経済学者である監修者の野尻武敏氏は、この「友愛の政治経済学」は、次のような今日的意義を持っていると主張されています。
 1つ目は、この著書が出た時代と今日アメリカ発の金融危機再来の世界状況と類似し、人々が「欠乏のゆえにではなく、過剰のゆえに苦しんでいる」豊かさの中の貧しさを指摘し、当時の資本主義社会の批判は、今日でも再考に値する。
 2点目の意義は、市場(自由と効率)と行政(平等と公正)に加えて、NPO・NGO等のボランタリーな市民セ  クター(友愛と連帯)が形成され、賀川が構想した民間組織である協同組合のもつ思想が市民社会の中で一般化してきた。
 3点目の意義は、今日の経済のグローバル化やボーダレス化が進行し、市場競争が激化しているが、「自然資源を使い尽くしてくると、貧困と悲惨さの恐ろしい状態が起きる。生活を護り、経済状態を公正に調整するには、兄弟愛の運動がどうしても欠かせなくなる」という賀川の主張は、今日に向けた提言といえる。
 4点目の意義は、今日市場モラルの低下が顕著になり、コーポレートガバナンスやコンプライアンスが問題となり、「企業の社会的責任」が問われ、従来の経済倫理や企業倫理を超えた「道徳経済」の体系化や「倫理経済学」の試みは、人間の視点から経済を考える「人間経済学」や「主観経済学」への歩み寄りを示しているのではないかと今日的意義をまとめてくれています。
 賀川豊彦の社会活動の中心は、「救貧」から「防貧」へと社会体制の変革のため、実践活動として、協同組合運動、労働運動、農民運動、平和運動、ボランテイア運動など、運動と名のつくものに全て関与しているように思います。
そして、その運動の全てに価値理念としての「人格」と「友愛」の理念の源流が深く刻まれているように思います。
 毎月の園だよりに「ほいくの窓」を書き続けて96号になりました。そのうち「賀川豊彦の精神」というシリーズは、今回で11回目となりました。
テレビニュースによると、毎年師走に発表されるその年の世相を最も反映した2009年の漢字は、「新」ということであった。2008年が「変」で、オバマ新大統領のチェンジ(変革)の影響があったようですが、日本も構造改革や制度改革が進められていますが、財政的な視点だけでなく、賀川のいう価値理念というか、しっかりした人間としての生き方、価値観・世界観に基づいた行動規範によって、政治・経済・社会変革の新しい方向が見えるようにして欲しいと願います。
 記念式典の鼎談で語られた3人の先生方の「賀川豊彦の何を継承し発展させるか」は、示唆に富む素晴らしいメッセージを与えられたように思います。
特に、賀川豊彦献身100年実行委員長の今井鎮雄先生の思いは、新しい賀川記念館の完成した見えるものに価値を置くのでなく、また過去の賀川の名前で現在の私たちが生きるのでなく、目に見えない新しい生き方を、賀川献身第2世紀に向けて、現在と未来の具体的な場面で実践し、その願いを継承・発展させる社会的使命が、現在の私たちに課せられていると指摘されたように思います。
「賀川豊彦の何を継承し発展させるか」は、誰かに教えていただくのではなく、自分の生き方の中で、問い続ける課題のように思います。 

(2010年1月1日)


ほいくの窓

クリスマスの心 \

                「クリスマス・キャロル物語から」

 書店の担当者から『クリスマス・キャロル』のロードショーがあるという宣伝チラシと主人公のスクルージ人形のストラップをもらった。いかにもケチで頑固な金銭欲の亡者であったスクルージ人形であった。
 クリスマス・キャロル(A Christmas Carol)は、イギリスのチャールズ・ディケンズの小説であるが、スクルージがクリスマス・イブに超自然的な体験をし、それがもとで改心するというクリスマス・ストーリーのなかでは、有名な物語の一つである。
 作品の主人公は、スクルージという初老の商人で、冷酷無慈悲、守銭奴で、人間の心の暖かみや愛情などとは、まったく無縁の日々を送っている人物である。
強欲で、金儲け一筋の商売を続け、隣人からも、取引相手からも嫌われています。
 クリスマスイブに、自宅に戻ったスクルージは、かつての共同経営者で、十年前に亡くなったマーレイ老人の亡霊の訪問を受けます。
マーレイの亡霊は、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるか、自分自身の状況を例として、スクルージをさとし、スクルージが悲惨な結末にならないように、これからの新しい人生への生き方を決断できるように、三人の精霊が出現すると伝えます。
スクルージを訪ねるこの三人の精霊は、「過去のクリスマスの霊」、「現在のクリスマスの霊」、そして「未来のクリスマスの霊」であると伝えます。
 「過去のクリスマスの霊」は、スクルージが忘れていた少年時代で、まだ純真で、周囲の人々から愛され、夢を持っていた時代を見せます。
 「現在のクリスマスの霊」が見せたのは、スクルージが生きている現在の世界で、彼の使用人の家族、唯一の身寄りである甥の家を見せます。そこには、貧しくとも心豊かな時間を過ごす人々の姿がありました。
 「未来のクリスマスの霊」は、ある男の未来を見せます。誰も愛することなく、誰にも愛されなかった男の死を悲しむ者は誰もいません。精霊に導かれ、死んだ男の墓をみるスクルージは、墓碑に刻まれた自分の名前に気づき、それを見た彼は、涙を流し、悪夢のような未来が、まだ変えることができる可能性があることを知ります。
人間愛と無縁であったスクルージが、精霊との関わりで得た経験によって、人間愛に目覚め、愛の象徴としてのクリスマスに大きな意味を見出し、正反対の新しい生き方をします。
産業革命時代に生きた作者ディケンズは、貧困の矛盾と悲惨さをみずから経験し、貧しい者に豊かさを分かち合う社会を願い、これを社会改革思想の域まで高めていきたいとの願いだとも言えます。
スクルージが辿り着いた境地もまた同様で、豊かな者が、貧しい者を助け、分かち合う社会を目指すことを知り、「クリスマスの祝い方」とは、人間愛・博愛を通じて、社会改革をするというディケンズの思想が、この作品において、表現されているように思います。
クリスマスの意味を知り、クリスマスを祝う歌としてのクリスマス・キャロルが、作品の題名になっていることにディケンズの思いがあったように感じます。
 賀川豊彦もまた100年前の12月24日のクリスマスイブに、格差社会の底辺で、差別され、貧困にあえぐ人々と共に生きることを決意し、キリスト教の信仰に基づき、人間愛や博愛を通じて社会改革を願って、生協運動、労働運動、農民運動、部落解放運動等、その他多くの社会運動を実践しました。
そのことは、クリスマスキャロルの作者であるディケンズが、貧しい者に豊かさを分かち合う社会を、社会改革思想の域まで高めたいと願っていたことを、賀川が実践したともいえます。
 賀川豊彦は、彼の晩年に、私たちの「神視保育園」を設立しましたが、保育園の名前を、自ら「神が視給ふ」と名付け、特に社会運動の中で、厳しい状況にあった子どもに心を注ぎ、子どもの権利を守る主張をいたしました。
賀川のその心と祈りを、賀川献身第2世紀に向けて、継承したいと思います。
良きクリスマスをお迎えください!!
                    
                        (賀川豊彦献身100年記念日12月24日を覚えて)。


ほいくの窓

「オバマジョリテイー」 という言葉
 

 毎日新聞(7月27日掲載)の記者が、秋葉忠利広島市長にインタビューをした記事に、核廃絶と「オバマジョリテイー」という見出しがついていました。
「オバマジョリテイー」という聞きなれない言葉は、オバマ(大統領)とマジョリテイー(多数派)を連結した造語だそうで、オバマ大統領の「核のない世界を目指す」というプラハ演説を受けて、核廃絶に向けて多数派の市民が一緒に行動しようと、世界にアピールする言葉として生まれたといいます。
「ほいくの窓」88号で、秋葉忠利広島市長に請われて(財)広島平和文化センター理事長に就任したステイーブン・リーパー氏の「戦争文化から平和文化へ」というテーマの講演について記述したが、リーパー氏は、核兵器使用は、絶対阻止しなければならないと情熱をこめて語り、日本は、アメリカに対して「平和文化」を説くことができる唯一の国だと力説していたことと、軍事国家になってしまっているアメリカで、オバマ大統領の就任は、核兵器のない世界へチェンジする希望が与えられたと結びました。
オバマ大統領は、国際政治にこそ道義と道徳が必要だとしていますが、人間だけでなく環境問題を含めてすべての命を大切にする道徳の基本こそが、21世紀の基軸にならねばならないと秋葉広島市長は主張します。
「アメリカ大統領の信仰と政治」の著者である栗林輝夫氏は、ワシントン、ジェファソン、リンカン、アイゼンハワー、ケネデイ、レーガン、クリントン、ブッシュ、オバマ等の主な歴代大統領の信仰歴、生まれ育った宗教環境等を紹介し、その信仰が大統領時代の政治と政策に与えた影響について考察しています。
歴代のアメリカ大統領は、誰もが就任式のスピーチで神の名をあげ、アメリカに神の加護があることを祈っています。
オバマ大統領の演説は、ケネデイ大統領の再来といわれますが、核廃絶、イラク戦争からの撤退、貧困・人権・正義、環境、平和等の地球規模の課題は、解決することに多くの困難があることを承知で、その解決に努力する姿勢を示すオバマ大統領の標語「チェンジ=変える」は、ラインホールド・ニーバーの「神よ、変えることのできるものは、それを変えるだけの勇気を、変えることのできないものは、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものを識別する知恵を与えたまえ」という「抑制ある理想主義」といわれるニーバーの思想があると著者である栗林輝夫氏いいます。
「チェンジ=変える」とあわせて使ったオバマ・キャンペーンのスローガン「Yes, We can(そうだ、われわれはできる!)」や「変革・希望・信仰」という言葉は、アメリカ国民だけでなく、私たちの心もとらえました。
 アメリカ大統領就任演説では、格式の高い精神価値の重要さを論じ、神の祝福を祈り、その導きに感謝する慣習があるようですが、日本では首相の就任演説で、このようなことは期待できませんが、世界で唯一の被爆国として、広島市長が提唱する「核のない世界を目指す」という願いの「オバマジョリテイー」という言葉が、世界にアピールされ、一般化されるように、また、「平和文化」を説くことができる日本であって欲しいと願います。
 新しく就任された鳩山首相が、国連で温室効果ガスを1990年比で2020年までに25%削減を目指すことを表明したこと、また核軍縮・核不拡散の安保理で「非核3原則」(核兵器を持たず、作らず、持ち込まず)を堅持することを宣言したことは、国際社会から高く評価されたといいます。
景気対策と環境技術の振興を一体化するオバマ大統領のグリーンニューデイール政策の考えで、世界的危機にある環境問題や経済危機を解決する一翼を日本も担って欲しいと思います。
 この原稿を書き終えようとした時に、「核なき世界」「機構変動問題への役割」「対話と交渉重視の国際政治」「民主主義と人権」等の政策と理想を語り、人々を鼓舞したことで、オバマ大統領にノーベル平和賞が授与されるニュースが飛び込んできました。
広島市長が提唱する「オバマジョリテイー」という聞きなれない言葉に、核のない世界や環境問題に挑戦し、「平和文化」の理想を共に実現しようという呼びかけの運動が、大波のように聞こえてくるような気がします。 

                                                      (2009年10月1日)


ほいくの窓

〜NHKドラマ 「気骨の判決」 を観て〜
 

 終戦記念日の翌日の8月16日に、偶然にNHKスペシャル「気骨の判決」というドラマを観た。18日に衆議院選挙の公示があった時期だけに、国会議員を選ぶ選挙で、政党が存在しない、また政府の「推薦候補」か「非推薦候補」という選択だけで、国会議員を選んだ1942年の衆議院総選挙(翼賛選挙)の異常さと、内閣と軍の方針に議会が異を唱えることができない状況下で、戦争への泥沼へと邁進していってしまい、議会が政府に歯止めをかける機能が失っていく姿が描かれていました。
 NHK記者で、「気骨の判決―東条英機と闘った裁判官―」の著者の清永聡氏は、三権分立のうち、「行政」(内閣)と「立法」が一体となってしまった中で、三権分立の残る一つの「司法」が、様々な圧力を受けながら、「司法」である当時の大審院(現在の最高裁判所)第三民事部の裁判長の吉田久氏が、鹿児島2区選挙無効訴訟を受け止め、4人の陪席裁判官と鹿児島へ出張し、187人の証人を尋問し、戦時中にも関わらず、政府を厳しく批判し、勇気をもって「翼賛選挙無効判決」を下したことは、戦時中も議会政治を維持しようと苦闘していた人々から高く称賛されたといいます。
「翼賛選挙」とは、当時の内閣は、軍部に対する議会の批判を封じるため、「翼賛政治体制協議会」をつくり、政府に従い、一致協力して議会運営にあたると判断された議員候補を「推薦候補」として選んだといいます。
推薦候補には、選挙費用も国が出し、選挙運動は警察、自治体レベルで後押しされ、推薦候補者に投票しないと、非国民と呼ばれ、誰に投票したか調査されることもあったという。政党も解散されていたので、国民は、どの政党の候補者を選ぶかという選択肢はなく、「推薦候補」か「非推薦候補」という選択だけであったといいます。
別に過激思想の持ち主でないのに、非推薦ということだけで、選挙妨害をされ、ある者は選挙演説会を開くことができず、多くの非推薦候補者が落選し、何とか当選した議員も軍部に逆らうことはできなかったという。
政府から非推薦候補とされ、時局に非協力的だとされた政治家には、鳩山一郎、尾崎行雄、三木武夫、片山哲、大野伴睦等がいたとされるが、彼等は、戦後の日本の政治を担った人たちでした。
著者の清永聡氏もまた、戦時下の厳しい状況下で、議員で貴重な抵抗を試みた人々やこの裁判長の吉田久氏に、大きな共感と人間としての救いを感じたのかも知れません。
権力分立の考えは、17世紀半ばのイギリスのジョン・ロックの「市民政府二論」やフランスのモンテスキューの「法の精神」で提唱されたことが起源とされ、アメリカ独立宣言やフランスの人権宣言にも大きな影響を与えたといわれています。
国家権力が、一つの国家機関に集中すると権力が濫用され、国民の権利・自由を侵す危険性があることは、歴史の事実として認識しなければなりません。
気骨の判決をした吉田久裁判長は、三権分立(立法権、行政権、司法権)の制度を守り、戦後の「憲法改正特別調査会」の委員として招かれ、「裁判の独立」を憲法案に盛り込むことを主張したと報じられています。
その結果かどうか分かりませんが、日本国憲法76条に「すべての裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」という条項があります。
個人的には、選挙権が与えられて以来、必ず投票にいっているが、衆議員総選挙の時に行われる最高裁の裁判官の国民審査も棄権しないで、新聞やインターネットで国民審査の判断資料を参考にして、信任か不信任を慎重に判断しています。
最高裁が憲法の番人であることを守って欲しいという願いからです。
国会に衆参両院があることも、国と地方自治体があることも、国家という組織の権力分立の一つと思うが、今日一般の組織や団体も相互に牽制作用が働く健全なガバナンスが求められています。
権力分立制度は、権力が一つの機関に集中しないように配慮されたもので、三権分立が守られることは、国民の権利であり、自由を保障されている原理だということを、NHKスペッシャル「気骨の裁判」で確認させてもらったように思います。 

                                                     (2009年11月1日)


ほいくの窓

「地球環境を守るのは一人ひとりの行動」

〜デマンド装置と省エネエアコン等で温室効果ガス削減〜
 

 世界的に環境問題が深刻化してきました。
地球温暖化防止のため、国際的な取り決め「京都議定書」が発効し、二酸化炭素などの温室効果ガスの削減という義務が各国に課せられました。
この目標を実現するため、大量生産、大量消費、大量廃棄という社会経済のシステムを見直し、「自分にできること」を何か一つでも始めることを私たちにも求められています。
こんな中で、温暖化対策に消極的だったアメリカは、オバマ政権誕生後「グリーン・ニューデイール」政策を打ち出し、環境・エネルギー対策と景気回復を組み合わせた施策を次々に挑戦し始めたと報道されています。
 日本政府も2020年までに、日本の温室効果ガス中期削減目標を「2005年比15%減」を決定し、産業界にCO2排出量の大幅削減を求めました。
しかし、6月11日の毎日新聞の社説では、「首相が公表した温室効果ガスの中期削減目標からは、低炭素社会の実現に向けた日本の強い意志や理念が伝わってこない」と厳しく批判しています。
地球の温暖化被害を抑えるには、1990年比25%〜40%の削減が必要で、2005年比にしたのは、90年以後日本の排出が増えているからで、05年比にした数字は必ずしも適切ではないということらしい。
1977年に「グリーンベルト運動」を展開し、ノーベル平和賞を受けたマータイさんは、地球環境を守るのは、一人ひとりの行動だと私たちに呼びかけています。
 資源を持続的に活用するのに、リデュース(ごみの減量)、リユース(再使用)、リサイクル(再利用)がキーワードのようですが、「もったいない」精神は、日本人の美徳だといわれると 、恥ずかしい気もしますが、「地球環境を守るのは一人ひとりの行動だ」ということに、少しは応えられるような気もします。
保育園の生活でも子どもたちと職員で意識すれば、「歯磨きの時の流しっぱなしの水道、使用していない部屋の電気やエアコンの冷・暖房のつけっぱなし、給食の残飯への配慮、無駄な紙の使用、まだ使えるものを捨てる・・・」等、無駄を減らすことができるし、家庭でも省エネや多様な節約ができるように思われます。
 保育園では、総合計画の一環として、地球温暖化防止や環境問題について考え、小さな実践でも、家庭と地域へ地球環境を守る運動を発信できればと思い、太陽光熱装置の設置も検討していますが、その前に、古くなったエアコンから、新しく開発された省エネエアコン(エコロジー空調システム)や省エネ冷凍冷蔵庫の導入を図る一方、各保育室はWエコ電灯に、また正面玄関はLED電灯に切り替え、通路には太陽光LED街灯を設置しました。またその成果をみるために、省エネルギー・電気料金削減に役立つ「デマンド監視システム」をスタートさせました。
毎日給食の展示をしている横に、デマンド監視のモニターが設置されていますので、職員や子どもたちにも電力消費実態を把握し、CO2削減に努めることで省エネ意識を向上させ、無駄な使用電力をカットし、省エネ学習に活用したいと考えています。
子どもたちや職員は、電気の量をモニターで見ることにより、節電意識を持ち、二酸化炭素などの温室効果ガスの削減を、日常生活の中で意識していく教育的な面で、この装置が活用できればと願っています。ちなみに前年度の最大デマンドは78キロワットあったものが、今年の最大デマンドは40キロワットの報告があった。
保護者の方も「デマンド監視のモニター」に関心をもっていただき、保育園での小さな試みが、家庭でできる「もったいない」運動や地球温暖化防止や環境問題について考えるきっかけになれば幸いです。

 


ほいくの窓

「牧の羊」(その3)〜価値観・信仰の遺産の継承〜

「われらを造られたものは主であって、われらは主のものである
                われらはその民、その牧の羊である」                               

 

 同志社のヨセフ会のお世話をずっとされてきた今井鎮雄先生から、ヨセフ会の墓参のお誘いをいただき、ヨセフ会関係者で文集「牧の羊」にまとめるので、応召戦病死したという叔父の中森新喜知について何かを書くように言われました。しかし、私は全く叔父と会ったことがありません。
 私の母の弟中森新喜知は、霊南坂教会100年史によれば、同志社大学の神学部を卒業し、1941年3月に霊南坂教会(小崎道雄牧師)に伝道師として赴任し、1942年1月に第一期の霊南坂塾の塾長になったが、1942年11月に応召され、1944年8月に若くして戦病死したという。
従って、霊南坂教会の伝道師として奉職して、応召期間も含めて僅か3年7ケ月しか働いていません。
ヨセフ会の墓石には、戦病死した叔父を含めた戦死した学友と今井鎮雄先生の名前も刻まれています。この叔父と今井鎮雄先生(元神戸YMCA総主事)が、同志社在学中の寮生活で一緒だったとういうだけで、私はYMCAで奉職する機会を与えられました。
また、現在奉職させていただいている賀川豊彦が設立したイエス団との出会いも今井先生や不思議な神の深いご計画があったように思います。
 私の母は、私がYMCAに奉職したときも、イエス団に奉職したときも、祖父が生きていたら、喜んでくれただろうと言っていました。息子の新喜知が牧師になったことを、祖父の中森恒彦は、殊のほか喜んだと母(新喜知の姉)から聞いたことがありますが、逆に自分より先に召天した息子の短い生涯に、祖父の悲しみも大きかったと推測します。
私がYMCAに奉職して10年ほど経た時に、祖父がYMCAに関係していたことを知りました。
横浜YMCA100年史では、「中森恒彦は、1910年(明治43年)第5代理事長に就任して以来、約14年間理事長としてYMCAのために奉仕した。中森は1872年福井県鯖江で生まれ、東京に出て早稲田大学に学んだ。・・横浜税関に勤め、税関辞任後はパテンマッケンジー商会の支配人として貿易に従事していた。信仰に入った動機は、税関勤務の時に悪天候の折小船に乗って仕事に出かけ、船が転覆し死を覚悟したが奇跡的に助かり、それが彼をキリスト信仰に導いたという。・・関東大震災で自宅は焼失し、11月にはついに神戸に移る決心をして横浜を去ることになった。・・太平洋戦争が始まり老年になったので再び横浜に移り住んだ。しかし身体が次第に弱り横浜大空襲のあった一週間前の1945年5月22日に永眠した。・・」と記されています。叔父の新喜知の死後の8か月後の召天だった。
 今井鎮雄先生の著書「時を刻む」の序文には、「死ぬまでの限られた短い生をどう生きるか」「開戦によって、もはや生きるとはどういうことか考える時間はなく・・・」「たとえ消耗品の人間であっても短い人生の間に人として生きた証をどこに求めたらいいのだろうか」「短い人生ならその間、人間に関わる仕事をしたいと考えるようになった」「出征の時、携えたのは聖書とカントの実践理性批判だった」「生き残った者の責任とは何か」等の思索の言葉の中に、若き日の今井先生の人生の価値体系を構築する原点があったように推測します。
 価値観とは、人間にとって何が大事か、大事なものの優先順位とか、重きを置くものが何かについての判断をいいますが、私は人間としての生き方の尺度となるものと理解しています。
価値観を形成する要素となるのは、神、真理、善悪、正義、良心、理性等といった内的なものが大きいですが、信仰、生活習慣、伝統、その他の文化的諸要素と結びついて価値観、世界観を形成します。
価値観、世界観は、人間の生き方に影響を与え、その人の人生観や倫理観と関わりをもちながら、その人の行動規範や使命感を形成していきます。
この意味で、自分の生き方に影響を与えてきたものは、何だろうかと想い起こしてみました。
それは、価値観を形成する要素だけでなく、人間としての生き方に影響されると思われます。
会ったことがない叔父の中森新喜知と私の接点は、遺伝子というか、信仰の遺産の継承という意味では、祖父、母、叔父の影響があったのかもしれません。
また、幼い時にキリスト教保育を受けたのぞみ幼稚園・教会学校での大熊四郎牧師の影響も大きい。
在学した同志社大学の新島襄、在職した白洋舎の五十嵐健治(作家の三浦綾子は健治の生涯を「夕あり朝あり」で著述している)やYMCAの総主事だった今井鎮雄先生、イエス団の賀川豊彦等の生き方が、現在の私の生き方に大きな影響を与えているように思います。
 オバマ大統領の就任演説では、アメリカ社会の伝統的な価値観と神への信仰を、祖先の遺産として誇りに思い、継承しようとする決意が述べられていたように思います。
「新喜知叔父さん、あなたとお会いしたことはありませんが、あなたと関わりのあった方々からの話やあなたの生き方や信仰、そして、神様の深いご計画のもとに、私が今日あることに感謝しています。
あなたの姉(私の母)は、私がヨセフ会の墓参をさせていただいた報告をした時、弟は若くして亡くなったが、60年も経っても覚えていただいて幸せだと、今井先生他ヨセフ会の方々にお礼を言って欲しい」と手を合わせていました。
今頃は、天国でヨセフ会の仲間のことを母と話し合っているのでしょうか。また恵まれたヨセフ会の友人たちと再会して青春談義をしているのでしょうか。
戦争でかなわなかったあなたが願った生き方を、少しだけでも私は継承できたのでしょうか。
私は今、自分の人生を振り返って、見えない導きと多くの方々から影響を受けた自分の人生に感謝しています。幕末・明治・大正・昭和という激動の時代に、それぞれの試練に信仰によって「羊の闘い」をして生涯を終えた人々に敬意を表したいと思います。
                        (京都若王子ヨセフ会墓参に参加して)
(脚注)この文にでてくるヨセフ会とは、聖書研究グループで、1920年代の同志社大学基督教連盟に所属していたキリスト教団体の一つで、同志社教会、文学部神学科、専門学校神学部、同志社大学と予科の学生YMCA、同志社労働ミッシヨン、バルナバ会、グリクラブ等があったようである。賀川豊彦は、YMCAの世界的指導者ジョンR.モット博士と出会い、YMCAの理念、ミッシヨンを自分の活動の中に取り入れ、大正中期から昭和前期にかけて、同志社を再々訪ね伝道し、学生YMCAやヨセフ会、社会的キリスト教運動、消費者組合運動などに大きな影響を与えたといいます。
  今井鎮雄氏は、ヨセフ会の墓参のお世話を続けておられますが、学生時代のヨセフ会、学生YMCAに所属し、終戦後、生協運動、YMCA運動に奉職され、経済、福祉、教育、国際理解・協力、地域活動、ボランテイア活動の推進、行政の施策へのパブリックポリシー(政策提言)や特に地域福祉のオピニオンリーダーとしての働き、また、市民社会形成へのNGOや公益諸団体への支援など多方面に及び、若き日の思索や戦争体験の中で形成された哲学、理念、価値観、使命に基づいたものであると私は理解します。
牧の羊として「羊の闘い」をされていることに敬意を表したい。 
                                      
(2009年9月1日)

 


ほいくの窓

「牧の羊」(その2)〜幕末・明治のキリスト教運動 〜
 

 藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜は、明治、大正、昭和の時代背景と社会問題に取り組んだキリスト者の生き方について、検証しているように思う。
この6月17日〜19日まで、全私保連の研究集会が土佐高知で開催された。以前から高知には一度は訪ねたいと願っていたので期待して参加した。
幕末動乱期に封建社会から近代日本への変革の基礎を築いた土佐藩士の坂本龍馬や自由民権運動の板垣退助片岡健吉のような人材が次々生まれた風土に関心があったからである。
 片岡健吉は、宣教師ジョージ・ノスから受洗し、国会が開設されて衆議院議長も務めたが、同志社学長、東京YMCA理事長等も歴任し、明治時代のキリスト教運動に大きな足跡を残しました。
黒船来航で混乱と緊張が高まっていた1864年に新島襄もまたひそかに脱国し渡米。
先進諸国の教育や文化にキリスト教がベースになっていることを学び、10年7か月ぶりに帰国。
新島襄は、強烈な使命感をもって1875年(明治8年)11月同志社英学校を開設しました。
南北戦争の勇士だったデビスは新島襄の片腕となって生涯を送るが、熊本洋学校は、明治4年細川藩公がアメリカからジェーンスを迎えて設立。この学校は藩立で、日本の政治を指導する人物を養うために設立された。熊本洋学校のジェーンスから、「熊本では4年間の大学過程を卒業した者が11人、明治9年の夏に卒業予定の者が11人、その半数はキリスト教伝道に生涯を捧げんとしている。
これらの生徒を受け入れ神学教育を授けてもらえないだろうか」と、手紙を同志社のデビスに送ってきたといいます。
時代は、明治6年にキリスタン邪宗門禁止の禁礼がとれたところでした。熊本洋学校で最初に信仰告白したのは首席で秀才の山崎為徳でした。明治9年1月には、熊本の花岡山に登り35人が「奉教の誓い」を宣言した。(いわゆる熊本バンド)。
彼らは初期のキリスト者で迫害を受けるが、この多くが同志社に学び、海老名弾正小崎弘道金森通倫、横井時雄、宮川経輝、山崎為徳などが牧師となり、日本のキリスト教界の礎を築きました。
(「同志社の思想家たち」和田洋一編著、「熊本バンドを懐う」学校法人同志社編)
日本のキリスト教の世界では、クラーク博士を中心として札幌バンド(内村鑑三、佐藤昌介、新渡戸稲造などが中心)。また、横浜ブラウンの学校に学んだ「横浜バンド」の植村正久、本多庸一、井深梶之助など明治時代の日本のエリートたちは、大きな社会状況の変化の中で、自らのキリスト教信仰の在り方を、個人の内面にのみにとどまることなく、社会倫理、社会実践のなかで、自らの生き方を問われていたように思われる。
また、初期同志社出身の深井英五、徳富猪一郎、徳富芦花、湯浅治郎、柏木義円、留岡幸助、山室軍平、安部磯雄、山川均などは、キリスト教をベースに権力と体制を批判して社会正義を模索し、社会主義者に転向する者や、貧しさや苦しむ人々を解放し、救済するための社会事業に従事した者も多い。
柏木義円は、権力と体制を批判し、非戦平和と社会正義を実現する主張は、キリスト者としての信仰より生まれた人間の尊厳から出発していると思われる。
深井英五は、日銀の総裁となったが、これは異色の存在で、教育と宗教によって国に仕え、思想と精神面で特色を発揮したと思われる。
留岡幸助は、刑務所の改善と非行少年の教育(児童自立支援施設)に尽力し、日本の社会福祉の先駆者といわれる。北海道の家庭学校の創始者。
安部磯雄は、キリスト教的人道主義から出発し、社会主義思想家として活躍。1898年に同志社消費組合結成。早稲田大学教授。衆議院議員当選4回。早慶戦の糸口をつくり、「学生野球の父」といわれる。日露戦争で非戦論を主張した。
幕末・明治時代に活躍した同志社を中心としたキリスト教運動は、権力と体制を批判して社会正義を模索し、貧しさや弱者として苦しむ人々を救済するための日本の社会福祉に大きな礎を築いたといえます。
彼らの影響を受けて賀川豊彦石井十次、三浦清一などの社会的キリスト教の働きが、明治後期・大正・昭和に受け継がれたのかも知れない。

                                                       (2009年7月1日)


ほいくの窓

「牧の羊」(その1)〜賀川豊彦と三浦清一の生きた時代〜
 

 3年ほど前に、元神戸YWCAスタッフだった三浦啓子氏(旧姓千川)から藤坂信子著の「羊の闘い」〜三浦清一牧師とその時代〜を頂戴した。三浦清一牧師の夫人は、石川啄木の妹・光子であったことは有名である。三浦は、賀川豊彦と深い関わりがあったことも知られているが、旧姓千川さんは、清一の孫と結婚され、YMCAを退職して賀川が設立したイエス団に奉職した私に、賀川と三浦の活躍した激動の時代背景が記載されたこの本をご恵贈いただいたものと思う。
 著者のまえがきには、『日米の混血児として逆境の中で育った清一は、若い日から貧しい人や弱い人の見方になろうと志した。社会主義を学んだのも、キリスト教の牧師の道を選んだのも、同じ心から出たことと思われる。彼の近くには、社会的関心の強いキリスト者の群れがあった。彼らの思想を一言でいうなら「自分一人の魂の平安にとどまらず、神の愛を社会に広げよう」ということになろうか。いわば「一匹の羊」であった清一のこの世との闘いには、この国とキリスト教のありようが少なからず絡んでいるように思う』と記しています。著者の藤坂信子氏は、明治、大正、昭和の時代背景とキリスト教について、賀川や三浦の働きに関わらせながら、人間としての生きざまを問いかけているように思われる。
著者が記した三浦清一の主な略年譜をみると、1895年(明治28年)に誕生し、15歳の時に幸徳秋水の「社会主義神髄」を読み実践活動に入ったが、16歳の時1911年大逆事件で幸徳秋水が死刑執行される。1814年第一次世界大戦始まる。20歳の時に受洗、徴兵。26歳の時に神戸新川の賀川豊彦を訪ねる。27歳で福岡神学校卒業、石川啄木の妹光子(聖公会婦人伝道師)と結婚。1930年学生キリスト教運動(SCM)起こる。1931年満州事変。1930年宗教団体法が成立。1941年12月治安維持法で逮捕、監禁される。翌年証拠不十分で釈放。「日本基督教団」促進派の賀川に頼まれ、神戸の聖ミカエル教会八代斌介助主教に合同呼びかけの手紙を渡すが、その時には断られたといいます。
1944年賀川の社会事業の一つであった「神戸愛隣館」(免囚保護施設)の館長となる。1951年社会党から兵庫県会議員に初当選。1956年処女詩集「ただ一人立つ人間」刊行、その推薦の一文で賀川は、「彼は生まれつきの詩人であり、熱情の社会運動者である。・・社会悪に対する義憤と、不満と、哀愁がある」と言い、兵庫県知事だった阪本勝は、「彼は大衆と共に泣き、民衆とともにさけぶ。弱者を愛し、貧者に組みする。・・」と記したという。翌年エッセー集「世界は愛に飢えている〜賀川豊彦の詩と思想〜」を刊行。1960年4月23日賀川豊彦召天。1962年7月10日三浦清一召天。
三浦の葬儀は、聖公会の信徒として神戸聖ミカエル教会で八代斌介助主教が司式され、教団の東神戸教会では牧師として2度執り行われたと言います。
出棺の時、社会党から棺に党旗の赤旗をかけたいという申し出に、光子は、「三浦は死んで神様の許に戻るのですから、この世的な一切の絆をはずしていただきたいのです」と、愛隣館に入る前に棺からはずしたといいます。光子は、牧師夫人として清一を力強く支えたが、清一の政治活動を好まなかったと記されています。
光子は、キリスト者として清一の亡き後、「神戸愛隣館」の館長を引き継いだという。
賀川と三浦の二人は、同じ時代を弱者、貧者の側に立って働き、社会改革・反戦平和運動を主張してきたが、社会的キリスト者にとっては、厳しい試練の時代状況だったといえる。
「賀川豊彦と三浦清一の生きた時代(その2)では、明治、大正、昭和の時代の背景を藤坂信子氏の著書から学びたい。 
                                     (2009年6月1日)
 


ほいくの窓

「貧困のない世界を創る」

〜ノーベル平和賞受賞のムハマド・ユヌス氏の講演会から〜
 

 神戸大学と賀川豊彦献身100年記念事業委員会との共催で「持続可能な社会づくりとソーシャルワーク」の講演とシンポジュームに参加する機会が与えられた。
ユヌス氏と阿部志郎氏の二人の講師から「貧困のない世界を創る」視点から、持続可能な社会づくりとソーシャルワークについて講演を聞くことができた。
 阿部志郎氏は、ノーベル平和賞候補になったことがある賀川豊彦の救貧活動や生協運動の実践をESD(Education for Sustainable Development:持続可能な開発のための教育)の草分けだと紹介し、ユヌス氏と賀川豊彦の共通点を指摘した。
ムハマド・ユヌス氏著「貧困のない世界を創る」とこの講演会からユヌス氏の主張と実戦活動をみてみたい。
 彼は、バングラデシュでマイクロクレジット組織の「グラミン銀行」を設立し、貧しい女性たちを中心に無担保融資の金融サービスを実施ししている。マイクロクレジットが少額の30ドルから40ドル相当を無担保のローンで、小さなビジネス(工芸品のワークショップ等)で多くの家族が貧困から脱出できたという。
物乞いに資金を貸し出すこのプログラムは、物乞いをする必要はなくなった上、最も貧しい人々も「信用するに値する」ことを示すことができ、貧しい人々のビジネスチャンスを多様に創出してきたといいます。
 ユヌス氏は、企業は、利益追求だけでなく、貧困層を助けるソーシャルビジネス(社会的事業)への転換が必要だと主張されます。ソーシャルビジネスとは、「社会的な目標を達成するための企業だと定義づけています。
例えば、フランスの乳製品会社ダノンとグラミン銀行は、「グラミン・ダノン」会社を設立し、ヨーグルトを生産し、栄養不足の子どもに低価格で提供している。この目的は、金もうけでなく、貧しい人々の栄養不足の解消を願っていると言います。
つまり、利益によってではなく、動機によって動く企業であり、慈善事業ではない。
そのため、ビジネスとして社会的目標を達成するためにかかった費用は取り戻さねばならない。       会社は株主のために存在するという風潮に対して、利益を追わない投資で、社会的な目的を持った企業が出てきて欲しいと主張しているように思えます。
しかし、社会的な目標で働いているNPOやNGOは、自分たちのコストを自分たちの活動で取り戻せないので、寄付金や基金からの補助などに依存し、資金の工面に多くの時間を費やしていると批判的にみています。  また企業の社会的責任についても善意の上に築きあげられるとし、否定的な見解を述べています。この主張には私は少し抵抗を感じます。
 成熟した市民社会は、ユヌス氏が主張するソーシャルビジネスもあってよいと思いますが、それが絶対的なものでなく、社会的な目標をもって必死で働いているNPOやNGOの存在の大きな意味、また社会的責任を意識した従来の企業の 社会貢献の働きへの評価、国家や自治体である公の果たすべき責任・役割もあっていいと思います。
もっといえば、市民一人一人の自立した世界観や人間観で多様性をもった生き方、社会への働き方、公と民の関係の在り方が、持続可能な成熟した市民社会を形成するのだと思います。 

                                     (2009年5月1日 )


ほいくの窓

「戦争文化から平和文化へ」

〜ステイーブン・リーパー講演会より〜
 

 神戸YMCAの午餐会で、(財)広島平和文化センター理事長のステイーブン・リーパー氏の「戦争文化から平和文化へ」というテーマの講演を身近に聴くことができた。
穏やかで流暢な日本語での講演であったが、平和を創りだす情熱が、私たちに大きな感動と問いかけを与えられた講演であった。
YMCA関係者にとって、彼の父デイーン・リーパー氏の名を忘れてはなりません。
私は企業からYMCAの主事に転職した時の新人研修で、デイーン・リーパー氏のことを初めて知ったように記憶している。
彼は、アメリカYMCAから日本の学生YMCAへの協力主事として派遣され、YMCA運動を指導していたが、北海道の集会後、仙台に行くため青函連絡船「洞爺丸」に乗船し、転覆事故にあったといいます。敗戦後の日本の青年たちに、各地の学生YMCAや都市YMCAで民主主義を教え、青年たちに生きる希望を与えていたと推測します。
 1954年9月26日、青函連絡船「洞爺丸」の転覆事故で1155人が死亡したが、パニック状況にあった乗客を落ち着かせて救命胴衣の着用を手助けしていたのが、同乗していたリーパー氏とカナダから派遣されていたストーン宣教師だったといいます。
死亡者の多くは、救命胴衣を着けていましたが、リーパー氏とストーン氏の遺体には胴衣がありませんでした。後に救命胴衣をもらったという青年が現れました。
自分の着けていた救命胴衣を日本人に手渡して死んだリーパーとストーンの愛の行為を作家三浦綾子は、「氷点」のなかでモデルとして登場させています。
さて、ご子息のステイーブン・リーパー氏の講演に戻りますが、父が亡くなったのは33歳で、自分はその時7歳だったと言います。
ウエストジョージア大学臨床心理学修士課程修了。1984年来日、広島YMCAで英語教師として奉職後、翻訳・通訳会社を設立。来日した当初は、広島市民の痛みを知らなかった。
広島に住み、「原爆の子」等の本を読み、初めて痛みを受けた側から平和を見つめるようになったといいます。
「人間は人の痛みを無視できる」このことができるのは、戦争文化から習得してしまった悲しい人間の生き方ではないか。また、毎日2万数千人が飢えている現実に関心をもたず、弱い者が死んでいくことは自然だと考えることは、戦争文化といえるのではないかと言います。
いまだに世界のトップリーダーが戦争文化に浸っているケースが多いことを認識しなければなりません。今日の世界で、競争原理でなく、協力原理を働かせなければ、戦争文化から平和文化への転換はあり得ないと主張します。
かつてインドではガンジー、アメリカではキング牧師が軍需産業都市といわれるアトランタで非暴力主義を説き、実践したが、今や両国とも核兵器をもち、他にも核兵器を使用する危険性を持った核保有国もある。こんな状況を認識して、核兵器使用は、絶対阻止しなければならないと情熱をこめて語り、日本は、アメリカに対して「平和文化」を説くことができる唯一の国だと思う。憲法9条、非核3原則、被爆国、戦後60年間直接戦争をしていないことから、「平和文化」の創造を強く世界に主張できると言います。
そして、広島平和文化センター理事長として、自ら被爆体験証言者とともに、アメリカの52都市の他、各地で「原爆展」を開催し、100回を超えるプレゼンテーションを行い、核兵器廃絶の運動を展開されています。
アメリカ人のリーパー氏は、軍事国家になってしまっているアメリカで、オバマ大統領の就任は、核兵器のない世界へチェンジする希望が与えられたと結びました。
敗戦後の日本へ、学生YMCAの主事としてきた父のデイーン・リーパー氏の行為と願いが、現在、息子のステイーブン・リーパー氏の働きに脈々と受け継がれていることに感動し、平和な世界の構築に参画しなければという想いを再確認した講演会であった。
彼の平和文化構築への運動が、世界で実現される日を願い、私もその想いに参画したい。
                                      
                                                             (2009年4月1日 )

 


ほいくの窓

伝統的価値観の遺産〜アメリカ大統領の就任演説から〜
 

 オバマ大統領の就任演説のCD付きの冊子をたった1000円で手にいれた。
それには、リンカーン大統領とケネデイ大統領の就任演説の生声も入っていたので、こんな値段で手に入れてもいいのかなと嬉しくなった。
購入理由は、ちょっとだけいい恰好をつけて、英語の勉強になると思ったことと、あの有名なリンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治・・」といったことが、現在の日本の政治状況の中で、この言葉がどんな脈絡で話されたのだろうかという興味があったからである。その上、ケネデイ大統領とオバマ新大統領の就任演説は、高い評価を受けており、どんなことを国民に呼びかけたのかの興味もありました。
しかし、残念ながら、英語の理解力のない私は、三日坊主という言葉そのもので、3日間だけCDを寝床で聞いたが、悲しいぐらい理解できないまま、眠り薬になってしまった。
日本語に訳された演説を読んだのは、それから2週間程過ぎてからであった。
その時には、英語のCDを聞くことに、全く関心がなくなっていました。
無駄になったと思われたCD付きのこの冊子の日本語に訳された演説と解説を読んで、3人のアメリカ大統領の演説に共通する点があるように思えました。
翻訳された3人の演説の共通するものは、アメリカ社会の伝統的な価値観と神への信仰を、祖先の遺産として誇りに思い、先人が大切にしてきたものを継承しようとする決意を述べているように思います。
 価値観とは、人間にとって何が大事か、大事なものの優先順位とか、重きを置くものが何かについての判断をいいますが、私は人間としての生き方の尺度となるものと理解しています。
価値観を形成する要素となるのは、神、真理、善悪、正義、良心、理性等といった内的なものが大きいですが、信仰、生活習慣、伝統、その他の文化的諸要素と結びついて価値観、世界観を形成します。
この本で、就任演説を解説された鈴木健氏は、大統領の就任演説には、分断された国内世論をひとつにすること。歴史を通じて伝統的価値観が継承され、国家の過去と未来が融合される場であること。政治方針の明示。状況的な要求に応えて、格調高く国民と大統領を一つにまとめる語りかけ等が重要な視点だと解説されています。
アメリカ社会の伝統的な価値観を形成してきた自由、平等、正義、献身、人権の尊重、平和、誠実さ、公正、勇気、勤労、良心、寛容、忠誠心、信頼、法の支配、奉仕の精神等を伝統的な価値観の遺産として継承していこうとする姿勢が強調されているように思います。
 アメリカのコインには、「IN GOD WE TRUST」と印されていますが、演説や挨拶に必ず出てくる神への信仰や信頼の言葉は、アメリカの社会で、精神的所産としての文化として定着しているように思われます。
価値観・世界観、信仰は、人間の生き方に影響を与え、その人の人生観や倫理観と関わりをもちながら、その人の行動規範や使命感を形成していきます。
国家の山積する課題・問題解決の対処療法的なことだけでなく、それ以前に政治哲学、政治理念、人間としての世界観・価値観と使命感が確認された時に、国民に希望が生まれてくるように思います。
不安におののく私たちに希望と勇気を与える国であって欲しい。
 オバマ大統領が就任宣誓の時に手を置いた聖書は、リンカーンが用いたものだそうですが、そこにも伝統的価値観の継承と大統領としての使命の確認が表象されているように思われる。

                                      (2009年3月1日 )


ほいくの窓

召命と使命に生きた五十嵐健治と賀川豊彦
 

 今年の年賀状に、賀川豊彦献身100年のことにふれたところ、私が大学を出て最初に奉職した白洋舎の当時の上司のH氏から、ファックスをいただきました。
それには、明治学院大学出身だったH氏は、大学生の時に「協同組合論」(賀川理論)の論文で「賀川賞」を受賞したといいます。そして私へ賀川献身100年への励ましの言葉をいただきました。
私は、僅か6年しか在職しなかった白洋舎ですが、今でも約30人の白洋舎関係者と親交があるのが不思議です。
今日一部上場企業として、年間売上は、単体で約340億円、連結で約500億円という優良大企業に発展し、2006年に創立100周年を迎えています。
白洋舎の創業者五十嵐健治氏の生涯は、作家三浦綾子の「夕あり朝あり」(1987年)に一冊の本としてまとめられていますが、波乱万丈の人生が記されています。
「洗濯屋近所の垢で飯を食い」というような川柳がある時代に、19歳でクリスチャンになった五十嵐健治氏は、上京し三越に入り、宮内省掛りとなり、西洋には水を使わない洗濯法があることを教えられ、1906年に白洋舎創立後、日本最初のドライクリーニングの開発に成功しました。
1920年に株式会社組織にし、その経営方針の第一に「どこまでも信仰を土台として経営すること」をあげています。
「畏神・服権・愛隣」という社訓があり、衣服だけでなく人間の心を清くする願いがあったと聞きました。私は、五十嵐健治の生き方・職業観に強くあこがれて白洋舎に入社しました。本社人事部に配属され、幸運にも社内報作成のインタビューのために、当時ご子息で常務取締役の五十嵐有爾に連れられ、茅ヶ崎に住む90歳近くになられたあこがれの五十嵐健治翁にお会いすることができました。
緊張してインタビューをしていた私に、帰り際に、車椅子の健治氏から、封筒に入った1000円のお小遣いを頂戴したことを鮮明に覚えています。
当時、健治氏のご長男の五十嵐丈夫氏が社長で、ボランテイアで、日本YMCA同盟の委員長や東京YMCAの理事をされていました。
白洋舎には、禁酒会や産業YMCAがあって、会社で働く若い青年に修養会やレクレーション活動を展開していました。そんな関係で都市YMCAと関係することもあり、また、神戸YMCAの総主事であった今井鎮雄氏と私の叔父(卒業後4年で応召戦病死)が、同志社で同じ寮生であったということで、私は神戸YMCAに奉職することになりました。
 五十嵐丈夫社長は、私がYMCA主事になることに励ましをしてくださり、白洋舎退職後も、秘書から朝の礼拝で、社長が私のことを祈っておられましたと、その都度連絡をいただき、大変恐縮したことを覚えています。
五十嵐健治氏が始めたクリーニング業者福音協力会を、五十嵐丈夫氏と五十嵐有爾氏が引き継ぎ、新入社員の時に丈夫社長のカバン持ちで高松の業者の会と、震災後には数回お話する機会が与えられました。
五十嵐家の墓石には、「信仰によりて今なお語る」と記されているそうですが、五十嵐健治氏は洗濯業を天の使命としてとらえ、人間は神と人に仕える使命があるといい、賀川豊彦もまたスラムの貧しい人々に仕えることが使命とらえ自分の生涯を捧げています。
同じ時代を生き、共に産業YMCAを設立し、熱い思いを持った召命感・使命感に燃えて生涯を閉じた五十嵐健治と賀川豊彦にどのような接点があったのか、また、私の職業観に大きな影響を与えた二人の生き方に学びたい。
ファックスをくれた白洋舎の先輩H氏もまたこの二人にとらえられ、職業生活をしてきたのではないかと推測します。
ウイリアムバークレーは、聖書注釈で、召命と使命について、「自分の欲することを中心に考えることから、神が何を欲しているかを第一義的に考える姿勢」をもつことだといっています。
五十嵐健治の生き方と賀川豊彦の生き方は、まさにそのことを実践した人だと思います。

                                      (2009年2月1日)


ほいくの窓

現代人の心のいやしZ 〜赦し・謝罪・償い・和解〜
 

 今夏、長崎での研修に参加した職員が、毎日新聞記者の横田信行氏が書いた「長崎市長本島等伝 赦し」という本を長崎で購入して帰ってきて、本のテーマに関心があり、読み終えたら貸してもらうことになった。
当初、「赦し」という本の題名と、表紙の帯「五島列島隠れキリシタンの末裔で非嫡出子被爆地・長崎の市長となった男の異色の肖像」に、どんなことが書かれているのか興味をもって読み始めたが、政治との関わりの記述が多く、私がイメージしていた人間としての「赦し」や「隠れキリシタンの末裔としての生き方」というか、心の問題について、私の理解の弱さ故に、十分汲み取れなかったように思います。
しかし、貧困と差別に苦しんだ体験と、カトリックの信仰が培った弱者の視点、「長崎の鐘」の小説で有名な永井隆の「いとし子よ」で、二人の子どもに「たとい最後の二人になっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争反対を叫び続け、たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反対の叫びを守っておくれ・・」という願いや、「核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺される方を私は選ぶ」といって平和・軍縮を公約としたハト派の保守政治家宇都宮徳馬の影響を受け、絶対的平和運動、核兵器廃絶運動、戦争責任の思想深化を被爆した長崎の政治家として、これらの運動を実体化し活躍したことを著述していることに、共感することも多かった。
戦争責任問題で銃撃され、病院で死を覚悟した時、神から与えられた人間の使命、困っている人や苦しんでいる人に何ができたのかという反省と、神の教えにそむいてきたことに、赦しを祈ったといいます。
そしていかなる場合でも、暴力に訴えることは許さないが、銃撃犯を赦したという。
人間的な赦しをしつつ、神に自分の罪の赦しを祈ったといいます。
この部分に、本で主張したいテーマがあったのかと思われる。
二つの被爆地では、「祈りの長崎」「怒りの広島」といわれ、長崎は静、広島は動の印象が強いが、「祈りは、人事を尽くして何かをなし遂げようとする深く強い意味がある。長年の迫害を耐え、試練のたび、再建・復活してきた歴史が実証している」と主張している。
この著書を読み終えて、「本書を浦上の信者に捧ぐ 本島 等」と、この本の1ページ記した思いが、少し理解できるように思えた。
他者との関わりの中で、「赦す」という行為は、人間にとって非常に難しい心の判断となります。故意であるか、過失であるかを問わず、他者から害や過ち、悪を与えられたり、逆に与えてしまったりします。良心の呵責にさいなまれても、赦しという行為がなければ、心の癒しの軽減やその関係を修復できません。
過ちを被った側に「やられたらやり返す」心が、復讐をし、それが連鎖する場合もあります。人間と人間の間にこそ、赦しが求められますが、人間的な赦しは、謝罪や償いによって和解に近づき、被害者も加害者も少しは心が癒されるのかもしれません。
過去を水に流すという時間の経過や忘却や死によって、あるいは、法律で罰せられた時に、過ちへの怒りが軽減される場合もあるかもしれません。
キリスト教では、自らの罪の赦しについては、神に愛の行為としてとらえ、「主の祈り」の赦しの祈りでは、「・・われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ・・」と祈りますが、赦すことを自分が行うことができるのかと思いつつ、神に赦しを願います。赦すこと、赦されることは、過ちを犯した者にとって、心のいやしや救いを感じる要因の1つかも知れません。

                                      (2008年11月1日 )


ほいくの窓

「そのままで・・存在の価値」〜ありのままを生きる〜
 

 私が小学校を卒業する時に、担任のI先生は、サイン帳に「そのままで・・」と書いてくれたことを記憶している。
しかし、今日まで、その先生が「そのままで・・」と書いた意味が解らないまま、この年になってしまった。この言葉は、不思議なことに、何かに行き当たった時に、「そのままで・・」という言葉が必ず思い出された。
 過日、早稲田大学教授の東後勝明氏の「ありのままを生きる」という本を手にした。
著者は、自分の生き方すべてにおいて、「このままではいけない」「何とかしなければいけない」という一種の強迫観念のようなものにいつも苛まれていたようです。
しかし、神から「そのままでいいんだよ」「もう頑張らなくてもいいんだよ」と言われ、強迫観念から解放され、その安堵感と喜びはひとしおだったといいます。
その頃の著者は、常に頭の中に自分なりの規範意識をもち、「こうすべき」「ああすべき」と考え、知らず知らずのうちに周りの人にそれを強要していたことに気付いたといいます。
そして、金子みすずの「私と小鳥と鈴」の詩から「みんなちがって、みんないい」をとりあげ、「みんな神様から尊い命を頂いているのだから、自分らしい人生を生きればいい。
ありのままの自分でいい」、つまり聖書に出会って、「そのままでいい」という価値観の大転換がなされたといいます。
ルーテル神学大学の教授であった賀来周一氏(私の教会学校の先生)から恵贈いただいた著書とYMCAでの講演の中で、人間は、「存在する」ということに価値を置いてきただろうかと問題提起をされます。
高齢化社会にあって、寝たきりやホームで「自分はこの世で役に立たないし、周囲に迷惑をかけるから、早く死にたい」というような言葉を高齢者や病気の人から聞くと、ケアーしている家族は何とも言えない気持ちになります。
 一般的に、人間は「こうあるべき」「より高い成績・業績評価・効率」を求める「こうであるべきだという社会(Should be society)」で、競争を求められて生きています。
しかし、それだけが絶対的な価値基準だとすれば、生涯を一生懸命生き抜いてきた高齢者が、「用がなくなったから、いつ死んでもよい」という思いと言葉で、自分の生涯の幕引きをしようとする現実に、「存在する」ということに価値を周囲の人が置くことができなければ、あまりにも悲しく、わびしいと言わざるを得ません。
 賀来周一氏は、人間は、常に何をしたか、どれだけの成果を上げたかを評価の基準にして、歴史や文化を形成してきました。つまり、蒔く、刈る、働く、紡ぐというようなことが、人間の価値を左右してきたといいます。
しかし、イエスの山上の説教では、「空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈入れもせず・・・野の花がどのように育つか注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。・・・」ということは、鳥や花の存在そのものを見ることによって、人間の本当の価値とは何かを知りなさい。
つまり、人間の価値基準の立て方に対して、存在すること自体の価値について覚醒させようとしたものだと主張されます。
「そこにいるだけでよい」「存在すること」が肯定される社会は、競争社会、格差社会であえぎ、不安と不条理にさいなまれ、絶望の状況にあっても、慰められ、生きている意味を与えられるのかもしれません。
「こうあるべき」という社会で生きてきた私も、人間にとって「存在の価値」が重要だと感ずる年令になったのだとふと気づきました。
                                     (2008年10月1日)

 


ほいくの窓

自然と人間の運命共同性〜諫早干拓開門判決〜
 

 6月29日の毎日新聞の社説は、諫早干拓開門判決について論述している。
佐賀地方裁判所が、国に対して開門調査と適切な施策を求めた判決に、きわめてまっとうなものだと評価している。新聞各社の社説も水門開放を急ぐべきだと主張している。
社説とあわせて判決要旨や関連記事から、「自然と人間の関係性」について考えさせられた。有明海の開発について、過去のニュースで、何回も取り上げられてきました。
のりの養殖や漁が取れなくなったとういう人間の告発だけでなく、何年前だったか忘れましたが、「むつごろう」という魚の視点に立って、自然破壊をしている人間の開発事業に対し、告発がなされたことも記憶しています。
これは、魚の「むつごろうさん」の生存権、つまり、自然の生存権という意味と、裁判でいうなら、原告は人間でなくて、魚の「むつごろう」であるということに、大変興味を覚えたことがあります。ここでは、自然と人間の調和や運命共同性が問われています。
1997年の潮受け堤防の閉め切り場面は、何回もテレビで放映されてきましたが、バシャバシャと閉め切る強大な力で(ギロチン台のようだという人もいる)、小さな自然の生存権の声を、圧倒的な力で黙殺していると感じざるを得ません。
人間の自然に対する関係は、決定的に人間中心であることは否めません。
だからこそ、人間の自然環境への責任が大きいと思われます。
リートケは、自然と人間の新しい関係は、「自然と人間のパートナー性」、「人間と自然との間の協力」等の概念の中で、人間の自然への介入を減少させること、また人間が、自然(被造物)が、自分で語ることができない「呻きや苦しみ」を感じとり、自然の代わりに考え、語り、行動しなければならないと主張します。
「人間と被造物との抗争の中での被造物の連帯」こそが、人間と自然(被造物)との新しい関係のあり方といえます。
 今、「人間は、自然の一部である」という認識にたって、自然と一緒に生きていくのか、逆に、自然に逆らって滅びるのかという命題の中で、神・人間・自然の関係について、自然科学・精神科学・神学的視点から意識して考えることが、求められているように思います。
キリスト教の世界では、1975年以来、WCC(世界教会協議会)は、「キリスト教は、生態学的挑戦に対し、もはや自らを閉ざすことはできない。人類が次々起こしている自然破壊は、自然に対する振る舞いの方向転換を求めている」という認識をもって、「被造物の保全」について取り組むことを、全世界に呼びかけています。
ゲルハルト・リートケは、その著「生態学的破局とキリスト教」の中で、人間が存在して以来、絶えず被造物(自然)を操作してきたが、自然と人間は、両方とも神の同じ被造物に属する限り、同一であり、同一の生態学的関係に属しているとし、人間も被造物であり、人間と自然の運命の共同性について論述しています。
数年前に、NHKのプロジェクトXで、釧路湿原の開発計画に対し、タンチョーツルや自然の生き物を守るため、開発阻止の運動を展開し、絶滅寸前だった天然記念物のタンチョーツルや2000種に及ぶ多くの生き物が生息する湿原が守られたという番組をみました。ここでも生き物の生存権のために戦った人がいたことに深い感動を覚えました。
農水省は、この司法判決を誠実に受け止めて欲しいと思います。

                                      (2008年8月1日 )


ほいくの窓

賀川豊彦の精神 [ 〜「一粒の麦」から考える〜
 

 賀川豊彦が創設し、自ら園名を神視保育園と名付けたが、2008年6月1日に認可を受けて、創立50周年を迎えた。
このことを覚えて、昨年は、賀川の1924年の「子どもの権利」をモニュメントとして玄関前に設置した。その最初の権利として主張されたのは、「子どもには食う権利がある」という言葉である。
80年余り前に、飢餓と栄養失調に直面している子どもに対して、賀川の苛立ちがこの言葉に集約されているように思われる。
 昨年末、賀川の小説「一粒の麦」が再版された。孫の賀川督明氏は、神視保育園の園章のデザインを考え、その一部に「麦」を表象してくださった。
このことは、賀川豊彦自身が、使命感をもって献身し、「一粒の麦」として働き、隣人愛に生き続け、生涯を終えたことの大きな意味を、私たちに問いかけています。
賀川は、食や農に深い関心を寄せている。生協、農協、農民組合、労働農民党、農民福音学校等の組織創りに尽力し、自ら立体農業(酪農、畜産農業、遊休地や池等の有効利用による食糧の確保、樹木農業等)を主張して農村経済の振興を図ったという。この小説を通して賀川は、私たちに何を伝えようとしたのかを考えるひと時を与えられたように思う。
賀川豊彦の最期を看取って再版序文を書かれた聖路加国際病院理事長の日野原重明先生は、「賀川豊彦先生の農村問題の中に具現されたキリスト教精神は、この小説の中に今も輝いていると思います」と語っています。
この6月初めにローマで、国連食糧農業機関(FAO)主催の食料サミットが開催された。このサミット開催の背景には、昨年から30カ国もの途上国での食糧を求める暴動があったことや、穀物輸出国の干ばつ、原油高騰やバイオ燃料の生産、輸送費の増加などで穀物価格の高騰があったと報じられています。
毎日新聞によれば、食糧サミットの開幕演説で、デイウフ事務局長は、先進国に対し、「ある国は、年間1000億ドル(約10兆円)もの食糧を浪費し、武器取引は、1兆2000億ドルに上る。飢餓に苦しむ人を救うための300憶ドルがないなどと言えるのか」と、強い言葉で語りかけたと報道している。
また、飢餓や栄養失調に追い詰められているのは、現在8億6200万人とされ、25年後には、さらに6億人増えるといい、食糧危機の猛威は増すばかりで、「話し合いはもう十分だ。今は行動する時だ」と呼びかけたようで、飢餓に直面している現実に、苛立ちの演説をしたという。
敗戦後の日本は、飢餓や栄養失調に追い詰められた食糧危機を経験している。
母から敗戦後食料が十分でなく、私が栄養失調でいつ死ぬかと思っていたと話していたことを思い出した。阪神大震災後、再建された我が家に子犬をいただき、娘が「ララちゃん」と名付けたら、母が「ララ物資」のことを娘に語っていた。
ララ物資は、敗戦後、食料や医薬品などが著しく不足していた時代に、飢えに苦しむ私たちを救ってくれた物資で、日本人の約6人に1人は、このアメリカのキリスト教救援団体からのこのララ物資の恩恵にあずかったという。
食糧サミットに集った世界のリーダーの賢明な「食と農」への取り組みを期待したい。

2008年7月1日


ほいくの窓

創立50周年に園章決定 〜アイデンティティとミッションを象徴〜


賀川豊彦が1958年に設立した神視保育園は、2008年6月1日に50周年を迎えます。
また、社会福祉法人イエス団では、2009年12月に賀川豊彦献身100年を迎える準備が
進められています。
この2つの歴史の節を覚えて、賀川の精神を継承するため、2007年に賀川が1924年に主張した「子どもの権利のモニュメント」を玄関前に設置しました。
また、神視保育園の園章を策定し、創立記念日に発表したいと検討してきましたが、このたび賀川豊彦の孫であるデザイナーの賀川督明氏が、私たちの願いをデザインしてくださいました。

園章を構成しているシンボルの意味ですが、
*外枠の楯は、神視保育園のアイデンテイテイを守るシンボルとして考えられています。
当園の守るべき組織としての価値観や本質的なものは何か、主体性や独自性というか神視保育園がよって立つ保育理念や賀川精神・当園の個性とは何かを意識しつつ、自らの社会的使命や役割を認識して、組織風土・組織文化を作り・それを守る盾を表現しています。
アイデンテイテイとミッションは、表裏一体となって運動(ムーブメント)を活性化していきます。ミッションは、総合計画で明確にしてきた使命です。
*右側にデザインされたJは、イエス団を表し、「Jesus Christ](イエスキリスト)を象徴し、十字架につけられた「釘」は痛みを伴う献身と、そのJの手書きのリングは、団結と人と人とのネットワークや共に生きることの大切さも示しています。
イエスの生涯を想い起こし、その愛と奉仕の生き方に倣って生きたいという思いも入っています。
*左上の星は、一人一人の子どもたちが、神様の恵みを受けて、一人一人が個性をもって明るく輝いて欲しいという願いが込められています。
また、共生・協働による平和な世界の実現という目標も表しています。
行事の時に着ている星のマークがついた体操服も、このように見てみると大きな意味があります。
*左下の麦は、聖書に出てくる一粒の麦の話を表象しています。
 「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままで
ある。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ 12: 24)
  献身した働きの種が、地域とともに育ち、地域に根付き、実を結ぶ願いがこめられています。
*それぞれのバックにある3つのカラー(空色、水色、黄土色)は、地球全体を表しており、空と水と土のイメージで、人間も自然の一部である認識のもとに、持続可能な環境保全の意識を持って、その実現に努力することを表しています。

創立50周年を覚えて策定されたこの園章の願いを心に刻み、保育園の社会的責任を果たしていきたいと思います。

創立50周年記念に寄せて


ほいくの窓

保育の源流を心に刻むV〜神視保育園50周年に寄せて〜
 

 神視保育園は、2008年6月1日に施設認可を受けて50年を迎えました。
1958年3月に無認可で、丸金ゴム会社の木造家屋を保育室として保育を開始し、同年6月1日に認可されました。
賀川豊彦は、自ら保育園名を「神視保育園」と命名しました。
旧約聖書の創世記21章の「神は視給う」(神はあなたを見捨てず一緒にいてくださる)から名付けたといいます。そして、賀川は、病床に伏しながら、神視保育園設立とその運営を気にかけ、特に資金のことを心配し、運営に苦労していた武内勝に、亡くなる直前に400万円を寄付したという。
初代園長は、設立に苦労した武内勝の夫人武内雪が就任(後に1963年設立された天隣乳児保育園園長に就任)。賀川豊彦理事長は、1960年4月23日に召天したが、夫人の賀川ハルが遺志を引き継ぎ、理事長に就任し、常務理事の武内勝が、神視保育園の園長に就任した。賀川の晩年の大きな事業の一つが神視保育園の設立となった。
 1909年(明治42年)の12月24日に、賀川豊彦は、新生田川地区に住み込み、隣保活動を開始したが、1919年7月に、長田区の番町地区に友愛救済所の出張所を設置して、この同和地区で診療活動を展開している。
 1921年には、徳島から野島医師を招いて旧葺合区で無料診療所開設。野島医師の居住家屋を4番町に購入。天隣館と名づけた。
この意味で、賀川の神視保育園設立と地域での働きへの思いが汲み取られる。
村山盛嗣氏は、「涙の二等分」を取り上げ、賀川豊彦こそ、日本における男性保母の先駆者であったと明言する。
さて、賀川の願いを背負い、地域問題に取り組み始めた神視保育園の働きは、すぐに大きな試練に出合うこととなった。
 1965年5月ナショナルゴム(株)から出火し、隣接の保育室に引火類焼。
園児は、近隣住民の応援もあり幸い全員無事に救出したが、園舎再建のため、労苦した武内勝園長兼常務理事は、1966年3月に過労のため、脳出血にて召天した。
その後、村山盛嗣氏が3年間園長代行をして、私の前任者である竹内正枝氏に1969年に園長を引き継いだ。
 竹内正枝氏は、2002年3月まで、実に33年間園長として奉職した。
その間、1995年1月17日に阪神大震災により、園舎が全壊し、保育不能となるも、その年の6月1日から仮設園舎で、保育を再開(園児64名)した。
神戸市の子育て支援部の多大な支援や全国からの募金で、1997年3月29日に竣工式を迎え、現在に至っている。
 50周年を覚えて、歴代の全職員の就職から退職した履歴を整理し、コンピューターに入力したが、過去の先達の職員のそれぞれの働きに敬意と感謝を表したい。

 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
       しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
(ヨハネ 12: 24) 
 「一枚の最後に残ったこの衣、神のためにはなお脱がんとぞ思う」といった賀川豊彦の言葉は、福祉の原点として、今日の私たちに、「保育の源流として心に刻む」ことを静かに問いかけているように思います。

2008年6月1日・創立50周年の日に


ほいくの窓

「弱き者の生き方」〜心の痛みや悲しみや傷を抱えて生きる〜

 毎日新聞の書籍の広告で、「弱き者の生き方」というタイトルが私の心をとらえた。
心の底で自分が弱き者という意識があったかも知れないことと、大塚初重氏と対談された作家の五木寛之氏の著書で、過去に共感したことがあったからかも知れません。
対談なので、話し言葉で読みやすく、私には想像がつかない戦争体験や生きてきた自分の人生をリアルに告白しています。

苛酷な戦中・戦後を生きてきたお二人が、本来語ることをしたくないと思える絶望的体験や自分の願った生き方・人生観に反する行為をしてしまった実体験で、心の中に大きな傷や痛みを抱えながら生きてきた人生を、また自分の弱さを語ることができる強さに共感し、励まされ、強められたような気がしました。

「悪を抱えて生きる」、「人間の悪の自覚のなかに光明を見る」、「病める者、悪人として後ろめたい思いを隠して生きてきた」、「右や左へ揺さぶられ続けるのが人生」、「マイナスの勇気、失うことの勇気、捨てることの勇気をもつこと。こうしたぎりぎりのマイナス思考から、本物のプラス思考が生まれる」、「生きているということは、それだけで無駄な体験はないんですね」、「苦労したから、相手の心にも優しくなれる」、「こうして自分の生き方を振り返ってみますと、ある時期は耐えること、涙をこぼしながらも耐えることが必要だと思います」、「時には黙ってただ寄り添うことも大事」、「辛いことも直視する勇気をもちたい」等、お二人の対話の中で、負の遺産(心の痛みや悲しみや傷)を抱えながら生き抜いて、著名な考古学者、著名な作家として社会的にも成功した人生は、「強き者の生き方」というタイトルにふさわしいと思いますが、「弱き者の生き方」というタイトルは、私たちに励ましと慰めの言葉をかけているように思います。

 お二人は、聖書的に見れば、「蒔かれる時は弱いものでも、力強いものに復活するのです・・
(コリント第1の15:43)や「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりに甘んじよう。なぜならわたしが弱い時にこそ強いからである」(コリント第2の12:10)、
「勇士の弓は折れ、弱き者は力を帯びる」(サムエル記上2:4)実体験したのかも知れません。
「現代社会の悲しみといやし」(日本ルーテル神学大学教職神学セミナー編)の序文で、賀来周一氏は「ことのほか得るものより失うものがより多い不安の時代、なかんずく継続して重要な意味深い対象を喪失することが、あたかも宿命づけられたような今日の状況にあっては、なおのこと悲しみは、否定的な体験事象として生活のなかに刻みこまれてきた。

 時としてそれは戦争であったり、思わぬ災害であったり・・・私たちの日常性を脅かし、さらにまた死の問題にまで及んで深い心的外傷を残してきた。・・・だが人は悲しみを排除することによって、何を得たのだろうか。失わないことを重要視することによって、失ったものが本来持っていた大切なものをかえって失ったのではないのか。」と指摘し、臨床医の工藤信夫氏は、「悲しみは、乗り越えたり忘れたりするのではなく、悲しみを抱えて生きること」だと述べていますが、「悪を抱えて生きる」、「人間の悪の自覚のなかに光明を見る」という対談の中の言葉と共通する視点があるように思います。
「弱さ、悲しみ、傷み、悩み、悪などの負の遺産を抱えて生きる」という人生の生き方の中に、人間としての内発的な深い精神性や信仰が確立されるのかも知れません。

2007年11月1日


ほいくの窓

「保育の源流を心に刻むT」

〜日本の幼児教育に尽くした宣教師〜

 日本の教育・福祉の源流をたどると、キリスト教の宣教師の果たした役割は大きい。
100年を超える歴史を持つミッションスクールといわれる大学をはじめ、全国の福祉・教育の分野で宣教師の指導や影響を受けて設立された団体・組織は多い。
近隣の関西学院、聖和大学、頌栄短大他でも、それぞれの歴史をみると、設立当初から宣教師が熱い思いと使命感をもって活躍し、設立に関与している。
「日本の幼児保育につくした宣教師(上巻)」(小林恵子著)を購入したまま、1年以上も読まないで置いてあった。(実は、聖和と関わりの深いランバスや頌栄のハウ女史について記載されていると思って購入したが、上巻では取り上げていなかった)

 ところが、今年の全国私立保育園連盟の長崎研究集会に参加する機会が与えられ、フィールドワークで、大浦天主堂、ド・ロ神父記念館、出津(しつ)教会(県指定文化財)、旧出津(しつ)救助院(国指定重要文化財)外海(そとめ)歴史民俗資料館、遠藤周作文学館等を見学した。
長崎研究集会終了後、「日本の幼児保育につくした宣教師(上巻)」(小林恵子著)を読むと、まさに見学してきた「浦上養育院(1874年)」や「出津救助院(1883年)」、「出津保育所(1885年)現在の出津愛児園」などに深く関与したド・ロ神父に多くの紙面を割き、宣教師であったド・ロ神父を児童福祉や幼児保育の先駆者として記述していることに気づいた。
まるでこのフィールドワークのツアーのテキストといえます。
この著者とこのフィールドワークを企画した長崎研究集会を準備した関係者の意図は、「保育の源流と使命を心に刻む」ことと、「過去を忘れるものは、現在が見えなくなる」ことを、私たちに語りかけているように思います。

 ド・ロ神父記念館のリーフレットと「日本の幼児保育につくした宣教師(上巻)」によれば、1868年に27歳でフランスから来日、74歳で亡くなるまで46年間日本で過ごし、貧しく厳しい生活を強いられている長崎の外海地方の産業(石版印刷、マカロニ工場・ソーメン・パン・織物等の授産施設、水車による製粉工場等)、孤児の養育院・保育所や身寄りにない老人や貧しい寡婦の支援などの社会福祉、修道院の設置、土木、建築、無医村に診療所設置などの医療活動、移住開拓、教育、文化などに多大な貢献をしたという。
ド・ロ神父は、貧しい村人と同じ食生活で、芋や干し芋が常食だったようで、フランスからクレソンやトマトや西欧イチゴなどを取り寄せ栽培もしたという。このように貧しい人々の生活改善の中に保育の源流があるように思います。
ド・ロ神父が1914年に亡くなった時、「富裕にして高貴の家柄に生まれながら神の愛のために労働者となり、その財産のすべてを与えたばかりでなく、信仰と自己犠牲、慈悲の美しい模範を、神父たちや人びとの前に示した」と追悼の意を記している。
1873年に切支丹禁制の高札が撤去され、キリスト教弾圧で流罪となっていた人々が村に戻り、宣教師とともにこれらの事業を手伝ったという。特に、この著書から、キリシタンの弾圧に耐えた女性の働きの大きさを感じます。保育の一つの源流が、ここにあることを学びたい。
また、長崎の例だけでなく、日本各地で労苦した宣教師をはじめ、幼児保育の源流を作った人々に想いを寄せ、当時の社会状況や使命感をもった働きを想い起こすことから、現在の保育が見えてくるのかも知れません。

 大会終了後、原爆資料館を訪ねた。アメリカの大学生のツアーグループに原爆資料館で出会った。このグループは広島も訪問するという。歴史の中の出来事を現在どのようにとらえるのか一人一人に問われているように思います。
1945年8月9日に原爆が投下され、浦上天主堂、浦上養育園など一瞬にして失ったが、被爆地の人々を支えたのは、平和への祈りの力だったという。
今日の日本の平和の源流に、長崎や広島、また沖縄や戦争を経験した多くの人々の平和への祈りの力があることを想い起こしたい。

2007年9月1日


ほいくの窓

軽度発達障害 〜学習障害(LD)って何ですか [1] 〜

 保育現場で基本的な発達のアンバランスだと気づく気になる子供が増え、その分野の研究が進んで、著書も多く出版されています。
田中康雄氏監修の「わかってほしい気になる子」で、杉山登志郎氏は「軽度発達障がい」は相互に重なりあっているが次の5つに分類し、解説しています。

[1] 学習障がい(LD)・・学習能力上の問題
[2] 広汎性発達障がい(PDD)・・社会関係性上の問題(アスペルガー症候群・高機能自閉症の総称)
[3] 軽度の知的障がい・・全体的認知上の問題
[4] 注意欠陥多動性障がい(ADHD)・・行動上の問題
[5] 発達性強調運動障がい(DCD)・・運動上の問題  と整理されています。

 最近、新聞の保育・教育分野の記事で、LD(学習障がい)とかADHD(注意欠陥多動性障がい)等について取り上げている記事をよく目にします。保育現場にいてもこれらの概念が十分わからないまま、これらの言葉を使ってしまっていることに反省していますが、勉強しようと思えば、書籍やインターネットでも情報が得やすくなりました。

 今回は@の学習障がい(LD)について一緒に学びたいと思います。
保育園でも3歳頃から、○○君はLDかなと感じることがあります。
保護者の皆さんも、自分の子どもの育ち方に「どこか、なにか行動や学習面に気になることがある」と感じている場合もあると思います。
私の手元に、全国LD親の会が発行した「LDってなんだろう?」〜学習障害理解の手引き〜(発行2001年3月31日)という冊子があります。
執筆者の一人で西宮YMCAのLD教室主任講師西岡有香さんの関係で、この冊子をいただきました。この冊子とインターネットで得た情報から、LDについて考えてみましょう。
LDの定義として、文部省は「LDとは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に困難を示す様々な状態を指すものである。LDは、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。」としています。LDには、様々なタイプがあるようです。

1)言葉の発達が遅れ気味。 
2)かってなおしゃべりやまとまらない話し方。
3)聞いたり、見たり、触ったりということにこだわりがある(特定の音を怖がる、同じものを飽きず
    見たがる、触れられることや特定の衣服の感触を嫌がる等)。
4)理解にムラがある(やさしい指示がわからなかったり、興味のあることは分かるのに、集団の中で
    は理解しにくい)。
5)記憶はいいのに筋道を立てて考えることが不得意。
6)手先の不器用さ、運動が苦手。 
7)場所や位置を間違える(道順・ロッカーの位置)。 
8)落ち着きがなくじっとしていることができない。
9)自分勝手な行動が多く、仲間からはずれる。
10)集中力にムラがある(好きなことに集中できるのに、気が散りやすい)等など。

このようにひとり一人の特徴は異なりますが、一口でいうと、「できることとできないこと」、「出来る時と出来ない時」の差が目立つのですが、発達を丁寧に見て支援する姿勢を持つことが大切だと思います。
子どもの努力不足でなく、発達上、学びにくさを持っていることを理解して、社会性、話しことば、運動、注意集中の欠陥等のつまずきを、家庭と保育園で協力して、子どもへの配慮と教育的対応をしたいものです。
                                                                        2007年8月1日


ほいくの窓

現代人の心のいやしW〜千の風になって〜


 この3月10日に、私の友人でYMCAの研究所の同期生であったN氏が天に召された。
昨年は、私の母を始め、身近な友人や知人が次々に亡くなったが、喪失の痛みのなかで、死者から慰めや励ましを得る場合があります。死を前にした人は、健康な人が気づかない価値(生きていた時の価値:例えば自由に歩いたり食べたりできること)を次々失っていく中で、死にゆく人から、残される者へのメッセージが存在するように感じています。

 最近よく耳にする新井満氏の「CDブック千の風になって」を購入しました。
過日、NHKのテレビでこの詩について取り上げられていたからです。園だよりの「ほいくの窓」で「心のいやし」について取り上げたのは、今回で4回目となりました。
園児の家庭の色々な出来事で、色々な喪失体験をし、心に不安や苦しみや悲しみを抱え、傷つきながらも子育てに健闘されている保護者の方が、どんな状況にあっても、励まされ、強められ、生きる勇気をもって困難を乗り切っていただけたらと願っています。
インターネットで「千の風」で検索すると、驚いたことに、この詩について28000件余りの関連掲載がされていました。それだけこの詩と曲が多くの人々に「いやし」と感動を与えているようです。2003年の朝日新聞の「天声人語」では、「誰が作ったのかわからない一編の短い詩が欧米や日本で静かに広がっている。愛する人を亡くし、また慰めを得る。そんな詩である。・・・」と紹介されています。

「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。
  千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています。・・・・・・・・」
この詩が、世界のあちこちの葬儀で朗読され、またNHKの紅白でも歌われ、喪失の悲しみをいやす死者からのメッセージだと評されています。
新井満氏が作曲されたこのメロデイーは、作者不明のこの詩にマッチした曲だと、私もこのCDを聞いていやされています。
作者が誰か、その詩の背景や作詞者の願い等を詮索する人もいますが、私は作者不明のままでいいと思っています。

「千の風になって」の意味が分からなくても、これを聞くことによって、心がいやされ、慰めを得、励まされることに、この詩と曲の価値があるように思います。
「いやし(ヒーリング)」という言葉は、21世紀のキーワードといわれますが、「いやし」は、傷ついた心の回復であり、科学的・合理的なものだけでは、人間の不安や苦しみや悲しみを除去できない非合理な領域に働くものです。
本来は、人々の心をいやすべき宗教や精神医学が、この領域を捉えていなければならないのかもしれません。

 私たち人間は、誰もが肉親や友人を失ったり、さまざまな喪失体験をします。その不条理な現実を受容し、悲しみ・憂い・痛みを共有して心の傷をいやす装置として、歴史的に葬儀や墓をつくる習慣ができたのかもしれません。
対象喪失の心の悲しみや不安を抱えながらも、そこから大切なメッセージを聞き取ることが、生きる勇気になるのかもしれません。

「悲しみや苦しみを二人で分かち合うと、悲しみや苦しみは半分になる。喜びや楽しいことを二人で分かち合うと、喜びや楽しみは2倍になる」という言葉がありますが、葬儀は、不条理なことや悲しみ・憂い・痛みを共有し、分かち合うなかで、死者からのメッセージを聞くための人間の知恵かもしれません。
                                                                    2007年4月1日


ほいくの窓

「良心は立ち上がる」

〜良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起こり来らんことを〜


「良心は立ち上がる」は、加藤常昭氏が翻訳された前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーの講演集の題である。
また、「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起こり来らんことを」は、同志社大学を創立した新島襄の建学の精神とした教育理念である。
 最近、政治、経済、社会等の人間の関わるあらゆる領域で、自己中心的な生き残り戦略による異常な不祥事が毎日ニュースで報じられ、人間としての「良心」はどこに消えたのか、ヴァイツゼッカーと新島襄の2人の賢人から『良心』について学びたい。
「ドイツの良心」とされる西ドイツ前大統領ヴァイツゼッカーは、世界の民族紛争、宗教対立、貧困、飢餓、難民、格差の拡大等の現実が平和を脅かす警鐘とし、大戦の過去を直視し、未来を見据え、平和のために具体的な行動を呼びかけています。
彼は、ヒットラーに抵抗運動をし、犠牲となった人びとの記念集会で「良心は立ち上がる」というメッセージで、次のように述べています。

「・・当時、外的に支配していたのは不自由でありました。・・今日の私どもは外的自由は十分にあります。しかし、しばしば私どもが苦しむのは、内的に方向を見失っているということです。福祉国家の恵まれた条件に囲まれ、各集団が自由に利益を競い、国家は法的な手段に訴えて利益を争うという状況のただなかにありまして、精神的には何も見えなくなっている共同体を支配するようになりましたのは、一種の自己実現を求める生命哲学であります。・・・自分が生きていて、どこで必要とされているのか、自分自身の全存在を投入するに値するものが何であるのか、それを知ることがますます困難になってまいりました。・・・」という認識の中にあって、自分の良心、神の前に責任をもって行動することを求めています。

 また、1989年の東西の壁が墜ちた年のクリスマスメッセージでは、「・・このドイツ国内におきまして、多くの人びとが助けて手となり、疲れ果てるまで他者のために働いたのであります。この人びとは、その体験を、その思い出から消し去ることはできないでありましょう。なぜならば、この人びとはひとつのことを再び学んだからであります。
それは、他者のために存在する人、他者と分かちあい、本当に他者の役に立った人は、自分自身のために新しい勇気を得、またその深い意味を見出すということであります。・・」というように、他者と共に分かち合うことや、人間は、隣人が助けを必要としていることから目をそらさないという倫理的姿勢を求めています。

 他方、新島襄は、誰よりも「良心」を高く評価し、人間の目ではなく、神の目を意識して初めて「良心」が芽生えると考え、精神なき専門家や良心なき逸材を生むつもりはなかったといわれています。同志社大学設立趣意書では「一国の良心」を育成したいと良心教育を謳っています。
「良心」とは、善悪や正邪を判断し、正しく行動しようとする心の動きであるが、公正や平等などの普遍的な価値観や真理、人間としての生き方を学ばなければ「良心」は形成されないことを新島襄は130年以上も前に、現代社会の倫理観なき状況を憂いていたのでしょうか。
政治・経済・社会の全ての領域で、良心が立ち上がり、「良心がとがめる」「良心の呵責」「良心に恥じない行動」というような言葉が死語にならないように、保育園の子どもたちにも「心の保育」を大切にしたいと思います。
                                                                       (2006年10月日)
 


ほいくの窓

 幼児期の価値観形成と保育者の使命

 日本のことわざで「三つ子の魂百まで」とか「すずめ百まで踊り忘れず」といわれますが、幼い時に形成される性格や習慣、善悪の判断など、歳をとっても人間としての生き方に影響があることを指摘しているものと思われます。
また、世界で最初に幼稚園を創設したフリードリッヒ・フレーベルは、幼児の心の中にある神性をどのように伸ばすか、また子どもの人格や社会性を遊びの過程で形成されるとし、幼児期に、子どもは一生涯に多くのことを学び終えると考えたようです。

私自身を振り返ってみると、幼児期に生き方の尺度となった価値観が、4年間通園した幼稚園やその時期の家庭環境の中で、形成されたと思います。
キリスト教保育の幼稚園だったため、人間としての内面性の基礎は、この時期に創られたと思います。
今でも80数歳になった幼稚園の
H先生と交流していただいていますが、この歳になっても、幼い時に、H先生の「お間違い・・」と首を振る顔や、「汝の手を強くせよ」と手形の絵に書かれた言葉や、「神様はいつもあなたを見ておられます」という言葉が脳裏に残っています。
また、何度もオスカワイルド原作の「幸せの王子」の紙芝居をしてもらった記憶がありますが、王子とツバメの生き方を通して、人間としての生き方の大切なことを、幼児期に内面化されたように思います。

保育教材もなかった戦後の厳しい時代に、「人間にとって何が大切か」を伝えようとしたH先生の保育者としての原点を、敬意をもって学びたいと思います。
自分の人生を振り返ると、大学を選ぶ時も、職業を選択する時も、小さい時に内面化された価値観が、選びの判断基準になったように思います。

このようにみると、保育園での仕事は、今わからないが、後に新しい意味をもつ幼児の価値観を形成する重要な仕事である認識をもたねばなりません。
「ドイツの良心」とされる西ドイツ前大統領ヴァイツゼッカーは、ヒットラーに抵抗運動をし、犠牲となった人びとの記念集会で「良心は立ち上がる」というメッセージで、次のように述べています。

「・・当時、外的に支配していたのは不自由でありました。・・今日の私どもは外的自由は十分にあります。しかし、しばしば私どもが苦しむのは、内的に方向を見失っているということです。・・・自分が生きていて、どこで必要とされているのか、自分自身の全存在を投入するに値するものが何であるのか、それを知ることがますます困難になってまいりました。・・・」という認識の中にあって、自分の良心、神の前に責任をもって行動することを求めています。

価値観とは、人間にとって何が大事か、大事なものの優先順位とか、重きを置くものが何かについての判断をいうが、私は人間としての生き方の尺度となるものと理解しています。
価値観を形成する要素となるのは、神、真理、善悪、正義、良心、理性等といった内的なものが大きいですが、信仰、生活習慣、伝統、その他の文化的諸要素と結びついて価値観、世界観を形成します。
価値観、世界観は、人間の生き方に影響を与え、その人の人生観や倫理観と関わりをもちながら、その人の行動規範や使命感を形成していきます。
 このような人間にとって大切なことを学ぶことが、幼児期の保育に託されていることに責任の重さを感じます。
                                                                        (2007年6月1日)
 


ほいくの窓

賀川豊彦の精神7 〜賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて〜

 表題の「賀川豊彦の贈り物―いのち輝いて」は、神視保育園から歩いて3分の住宅に住んでおられる鳥飼慶陽氏が、この4月に出版された本の題名である。この本の発行日の数日後に、ご本人が来園され、私に贈呈していただきました。

 鳥飼先生は、賀川豊彦を敬愛するだけでなく、信仰と実践に共鳴し、教会の中で働く牧師ではなく、牧師を職業としない地域の中で生きる牧師として、賀川の活動拠点だった長田区の番町の同和地区に1968年から住みながら、賀川のこの地での願いを自らへの贈り物として受け止め、人権・部落問題に関する取り組みと賀川関連著書や論文を数多く出版・発表をされています。
まさに自分の人生をキリストと賀川の証し人として捧げておられます。

数年前にYMCAを退職した私に賀川の設立したイエス団から声をかけていただき、この地域の神視保育園で奉職する機会が与えられた私にとって、身近な鳥飼先生の何冊かの著書を読むことは、賀川精神を学ぶ贈り物だとその労作に感謝しています。

賀川は、大正期にこの番町地区に無料診療所を開設し、馬島医師が献身的な働きをし、地域に設置した「天隣館」では、戦前・戦後にわたって保育所や学童保育の活動が行われ、その後、賀川の晩年に武内勝氏らによって、現在の「神視保育園」や「天隣乳児保育園」が開設され、その活動が継承されています。

地域柄、何かと大変な保育園だといわれながら園長を引き継ぎましたが、子どもや家庭に起きる日常的な問題解決のために、賀川が児童福祉施設としての保育園をここに創設した意味を考えさせられています。
 私は、イエス団に奉職するまでは、賀川豊彦との接点は全くなく、賀川についての知識もなく、
YMCA在職時に、YMCA100年史に出てくる賀川やYMCAで隅谷三喜男先生の「賀川豊彦と労働運動」について講演を聴いた時に、隅谷先生の著書である「賀川豊彦」を読んだ記憶がある程度です。隅谷三喜男先生のお話は、YMCAの研究所やキリスト教使命研究会で拝聴する機会が何回かあり、実のところ賀川のことより隅谷先生に魅力と共鳴を感じていました。

 1909年12月に、たった一人で献身した賀川の働きは、あらゆる分野の運動として広がり(協同組合運動、労働組合運動等等)、賀川豊彦献身100年を迎えようとしています。
過日、賀川が設立したイエス団で、この3月末に退職された施設長の感謝会が開催されました。70歳代の先生方が多かったのですが、どなたも若き日に賀川豊彦との直接的な出会いがあり、その出会いによって自分の人生の生き方が変わったと熱く語っておられました。
その一人である天隣乳児保育園の真部マリ子先生は、お父様が賀川の運動を物心両面で直接支え、そのため真部先生は、若き日に賀川先生と一緒に過ごしたそうです。保育者として40年間、献身されたのは、賀川とお父様の使命と願いを強く感じていたからだと推測します。

 このような賀川に直接に影響を受けた先達の人びとが各分野・組織で第一線から離れ、賀川献身2世紀になると、賀川に会ったり、講演を聴いたこともない世代が、どのように賀川精神を引き継ぎ、源流を心に刻んで21世紀への運動を展開・発展させるのかが、今、賀川を源流とする各分野・組織で厳しく問われているように思います。

 このような時期に、賀川の死後、その活動拠点の番町地域で、鳥飼慶陽氏の実践的な働きをまとめた「賀川豊彦の贈り物」は、まさしく次の世代への贈り物だと思います。

                                                       (2007年5月1日) 
 


ほいくの窓

賀川献身100年記念モニュメント完成

〜子どもの権利について〜

200912月に賀川豊彦が神戸の貧しい人々の救済活動に献身して100年を迎えます。
全体では、「人権・平和・共生」をテーマに多くの事業が計画されていますが、神視保育園と天隣乳児保育園は、賀川精神の一つを継承するため、1924年に賀川豊彦が「子どもの権利」について提唱をしたことを受け止め、記念モニュメントを造りました。

 223日の記念モニュメント除幕式は、イエス団の村山常務理事列席のもとに開催され、卒園していく子どもたちは、「おささげしますこのたから・・・」と子ども賛美歌を歌い、上内牧師(神戸イエス団教会)から祝福を受けました。

賀川豊彦は、子どもの食う権利、遊ぶ権利、寝る権利、叱られる権利、夫婦喧嘩を止めてもらう権利、禁酒を要求する権利の6つを上げ、1927年には、「生きる」「食う」「眠る」「遊ぶ」「指導してもらう」「教育を受ける」「虐待されない」「親を選ぶ」「人格としての処遇をうける」という9つの権利を主張しています。
1919年に児童虐待防止論で神戸の児童保護対策の遅れを批判し、子どもの保護と教育を「社会改造」と併せてとらえ、保護と教育の営みを社会が請け負う体制を創りだそうとしていたのではないかと推測されます。これらは、幼児虐待や児童を酷使していた当時の地域の社会状況・家庭状況と生活体験に根ざしていると思われます。

 賀川の「子どもの権利宣言」は、1948年の世界人権宣言、1959年の児童の権利に関する宣言のような高邁なものではありませんが、賀川豊彦がいう子どもの権利には、身近な生活の中から「食べる」「遊ぶ」「寝る」「叱られる」というように、子どもの日常的な生活の中で、基本的な子どもの生活権の要素が挙げられています。
子どもたちは、最低このような権利が、家庭や保育園、また地域で守られねばなりません。

1959年に採択された国連の「児童の権利に関する宣言」では、人類は子どもに対し、最善のものを与える義務を負うとされています。
10カ条より構成された条文の中には、特別の保護を受けて身体的,知能的、道徳的、精神的、社会的に成長する機会。社会保障の恩恵を受ける権利や適当な栄養、住居、レクレーション、医療を与えられる権利、教育を受ける権利、放任・虐待・搾取からの保護等が挙げられています。
これらの子どもの権利を守ることは、大人の責任です。

 人権の確立は、人類のたゆまぬ努力で、歴史と共に発展してきました。
フランスの人権宣言
(1789年)では、自由権(思想・信条・表現・職業選択の自由等)の確立がはかられました。その後、この自由権の発展拡大、参政権、社会権(労働権、教育を受ける権利、社会保障を受ける権利、文化的に生きる権利等)の拡大発展もしました。

1986年には、国連は発展の権利(発展途上国における人権の確立)を宣言しました。
人権思想は、世界の人と共に平和に生きる権利へと発展拡大してきました。
しかし、これらの理念を日常性の中で生かすことは、私たちひとり一人の課題です。
人権宣言ができたから人権が守られるのではありません。

全国の私立保育園連盟では、「21世紀を担う子育て環境づくり運動」を展開しています。
賀川の主張した「子どもの権利」や「児童の権利に関する宣言」を実現するのは、私たち大人の責任であることを自覚したいものです。

このモニュメントから、職員・保護者・地域が「子どもの権利」について意識し、子どもに最善のものを与えることができればと願います。
                                                                        (
2007年3月1日)
 


ほいくの窓

「組織の品格」〜組織倫理・組織文化の確立〜

 藤原正彦著の「国家の品格」という文庫本を手にした。日本の社会が、政治、経済、社会等全ての領域で、不祥事や違法・不正行為が続発し、人間の品格とか倫理観は一体どうなってしまったのか思っていた矢先のことで、ほいくの窓NO60で「人間としての良心はどこに消えたのか」という思いを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーの「良心は立ち上がる」のスピーチと、「良心の全身に充満する丈夫の起こり来たらんことを」といった同志社大学の創立の建学の精神・教育の理念とした新島襄を取り上げ、2人の賢人から「良心」についての記述から学んだが、今日の状況は、「個人の品格」だけでなく、「組織の品格」、また「国家の品格」が問われる危機的な状況となっているような気がします。
 この本が大ベストセラーになったのは、著者の思いと同様に、同じような憂いを感じている人々が多くいるからだと推測し、あきらめてはいけないと思いました。
企業組織や政治家や自治体の不祥事や違法・不正行為、また教育機関や公益法人といわれる団体でも同様のことが起こり、社会規範を守ることや倫理観の欠落に起因する事件が余りにも多すぎることに、少なからずショックを感じています。

藤原正彦氏の指摘の1つは、「競争社会」「実力主義」「市場原理」「会社は株主のもの」等の論理に、日本の文化であった武士道の精神から見ると、これらは卑怯で下品だと糾弾し、会津藩の教えを引用し、「ならぬことはならぬ」「いけないことはいけない」と、論理では説明できないことをしっかり教える必要性を主張されています。
会津藩の教えは、旧約聖書時代ノ「モーセの十戒」に通じるように思います。
十戒のひとつで、「汝殺すなかれ」は、人を殺してはいけないということを、論理的に理由を教えることより、駄目だから駄目と言い切っていることに、絶対的な価値観が形成されるのかも知れません。
著述されていることに共感を覚える著書であった。

 神視保育園は、総合計画(現在第2期中期3ヵ年計画を実施中)と2004年にHYKの第3者評価を受審して、当園が目指す組織運営で、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立に努力しているが、         

総合計画での長期目標(Corporate Goals)は

  1)保育の質が高い保育園    2)使命感に燃えた職員がいる保育園

  3)地域から信頼される保育園  3)地域から尊敬される保育園

  5)世界を見つめ、地域に生きる保育園
    
(賀川豊彦が目指した平和・正義・環境・人権・共生の視点を大切にする保育園)で、

その総合計画の留意点として

  
1)非営利・公益組織としての保育園は、使命のために存在することを再確認すること。

 2)事業展開の中に、価値合理性(使命・理念)と目的合理性(経営)を統合して、実質合理性を目指すこと。

 3)総合計画は、個人と組織の変革を図る目標管理としてとらえること。

 4)公益組織・社会的組織として求められている組織の社会的責任・使命を確立すること。

    @コンプライアンス(法令遵守・組織倫理の確立)

    Aパブリックポリシー(組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向性等)の確立。

    B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議員会など、法人組織として相互に牽制機能をもった組織形態、執行と決定の分離等)を確立すること。

    Cアカウンタビリテイー(説明責任)、情報公開・開示制度(デイスクロージャー)の枠組みの確立を法人組織として実施すること。

これらを通じて、組織の質の向上、組織倫理・組織文化の確立がなされた時に、「組織の品格 」が 形成されるのかも知れません。
                                                             (
200711日)

ほいくの窓 

変わりゆく保育制度5 〜認定子ども園の動向 2〜

 ほいくの窓9月号に、「認定子ども園」を取り上げて、「認定子ども園」の現実的な課題については、実際にスタートした別の機会に、識者の声を紹介し、個人としての見解・意見をまとめることを約束し、「認定子ども園」の制度について紹介しました。
「認定子ども園」の制度は、「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律」が根拠になって生まれました。(2006年10月施行)

 兵庫県では、この法律に基づき「認定子ども園」の設定基準等に関する条例案要綱(素案)を策定し、広く県民の意見・提案を募集しました。これは、「認定子ども園」の具体的な設定基準は、文部科学大臣と厚生労働大臣が協議して定める「国の指針」を参酌して、各都道府県が条例で定めることになっていたからです。

手元に条例案要綱の要綱(素案)と認定基準案の概要(類型別の国基準と兵庫県の基準の比較表があります。個人的には、この「認定子ども園」の制度には反対ですが、兵庫県が今後充分検討されて、国の最低基準以上のよりよい制度にして子どもの保育環境を守ってほしいと願っています。

兵庫県が県民の意見を広く求めたことは評価したいと思いますが、このパブリックオピニオンを求めることが形式的なものにならないことを期待します。
この素案と概要に関して、兵庫県下保育3団体(神戸市 私立保育園連盟、兵庫県保育協会、姫路市 保育協会)は、既に意見書を提出しましたが、私たちの所属する全国私立保育園連盟は、国への意見書として、次のように要望しています。

    子どもの最善の利益を担保するために、幼保連携型(認可幼稚園と認可保育園が連携して一体的な運営を行うタイプ)を基本として、幼稚園と保育所の認可基準と同等の認定基準として欲しい。

    地域の限定と適正配置、また、幼保審議会の関与が必要で、待機者の多い地域や少子化が厳しい過疎地のうち、幼稚園と保育所の一体的運営が望ましい地域に限定して認定して欲しい。

    直接入所契約方式の弊害を解消できるような仕組みと工夫をして欲しい。

    保育料の設定は、「自由価格制」の方向であるが、価格競争で、人件費コストを抑えるため、パートや契約職員の活用が予想され、保育の質の低下を招く危惧があるので、保育料の設定については、しっかりした監督下でなされるよう配慮されたい。

等の意見書を提出しています。

 幼保一元化の議論は、永年行われてきましたが具体化できず、規制改革議論のなかで、「国庫補助負担金整理合理化方針」を実現するため、また、保育所運営費の一般財源化から端を発しているといわれ、国と地方の財源負担の軽減問題が中心課題ともいわれています。

  私も全国私立保育園連盟や兵庫県下保育3団体の意見書を支持し、表現が異なるかもしれませんが、子どもの保育環境を守るために、兵庫県に、保育園・幼稚園が従来の最低基準をクリヤーすること(素案はいくつかの特例緩和策がなされている)を求めました。
待機児童の効率的な解消、少子化と財政難に直面している地域で、幼・保の統廃合がやりやすくなる一方、調理室設置が義務付けられないことや職員配置基準低下、直接契約制、保育料の自由設定化等、教育・保育に市場原理が支配する問題点を、既存の良識ある幼稚園・保育園が意識しなければなりません。

  先人たちが、苦労して公的保育制度を作り上げ、子どもの視点に立った「質の高い教育・保育」の歴史が、競争原理と市場原理に基づいた今回の「認定子ども園」で、崩壊させられる危機を迎えるかも知れません。
兵庫県のみならず、地方自治体は国基準より高い基準を意識し、慎重にこの制度を検討していただきたいと願っています。

                                                                                                               (2006年11月1日)

 


ほいくの窓

変わりゆく保育制度4 〜認定子ども園の動向 1〜

 最近、保育関係誌は、「認定子ども園」についての特集、また、保育関係の研究修会でも「認定子ども園」を取り上げていることが多くなってきました。ここでは、個人的な見解は後にして、どのようなものかを手持ちの資料から紹介してみます。

「認定子ども園」の制度は、「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律」が根拠になって生まれようとしています。(2006年10月施行予定)

これは、従来、3歳〜就学前の子どもを受け入れていた幼稚園と、0歳〜就学前の保育に欠ける子どもを児童福祉の視点から受け入れていた保育園に、就学前の教育・保育を一体的に行う機能として、保護者が働いているか、いないかに関わらず受け入れて、教育・保育を一体化した施設にするというものです。

幼保一元化の議論は、永年行われてきましたが具体化できず、規制改革の議論のなかで、「国庫補助負担金整理合理化方針」を実現するため、また、保育所運営費の一般財源化から端を発しているといわれ、国と地方の財源負担の軽減問題が中心課題ともいわれています。

当初、保育園、幼稚園とは別の第3の施設として、教育・保育を一体化した総合施設として、2005年に実験的に開設された35箇所の総合施設モデル事業が、この「認定子ども園」の構想を形成したと思われます。
ただ今回は、第3の施設というより、「幼稚園、保育園がその機能を保持したまま認定を受ける仕組み」つまり既存の幼稚園や保育園が、両方の仕組みを活かす「総合施設」に認定されるものです。「認定子ども園」の具体的な認定基準は、文部科学大臣と厚生労働大臣が協議して定める「国の指針」を参酌して、各都道府県が条例で定めます。
少子化が急速に進むなかで、また社会・経済状況の変化のなかで、就労する母親も激増し、保育園の待機者解消は進まず、保育行政の財政負担も大きい(保育園サイド)。

 他方、幼稚園の利用児童は減少し、運営・存続が厳しくなってきたことも要因として考えられます(幼稚園サイド)。保育園・幼稚園が個別の運営では非効率という見方や幼稚園の資源の有効活用という視点からも、この「認定子ども園」が、特に幼稚園サイドから注目されています。(預かり保育・長時間保育をする幼稚園も激増)

「認定子ども園」は、地域の実情に応じて下記の多様なタイプが考えられています。
この認定を受けても、従来の幼稚園や保育園の位置づけを失うことはないとされています。

 1.幼保連携型・・認可幼稚園と認可保育園が連携して一体的な運営を行うタイプ。

 2.幼稚園型・・・認可幼稚園が、保育に欠ける子どもの保育時間を確保して保育園機能を備えるタイプ。

 3.保育所型・・・認可保育園が、保育に欠ける子ども以外に幼稚園的機能を備えるタイプ。

 4.地方裁量型・・幼稚園・保育園の両方の認可はないが、地域の教育・保育施設が認定子ども園の必要な機能を果たすタイプ。

 これまで、幼稚園の運営費・施設整備費の助成は、原則として学校法人に、保育園の施設整備費の助成については、原則社会福祉法人等に限られていたが、「認定子ども園」は、どちらであっても運営費、施設整備費の助成が可能になります。
但し、「認定子ども園」の認定を受けた施設は、保育園であっても利用者と施設の直接契約による利用となります。幼保連携型、保育所型については、市町村が保育に欠ける子どもの認定を行います。

待機児童の効率的な解消、少子化と財政難に直面している地域で、幼・保の統廃合がやりやすくなる一方、調理室設置が義務付けられないことや職員配置基準低下、直接契約制、保育料の自由設定化等、教育・保育に市場原理が支配する問題点を、既存の良識ある幼稚園・保育園が意識しないと、先人たちが、公共原理にたって歴史で作り上げてきた子どもの視点に立った「質の高い教育・保育」が、競争原理と市場原理に基づいた「認定子ども園」で、危機を迎えるかも知れません。
「認定子ども園」の現実的な課題については、実際にスタートした別の機会に、識者の声を紹介したいと思います。

                                                                                                                      (2006年9月1日)
 


ほいくの窓

「第3者評価の本質を探る V」

〜民間保育園の独自性、自発性、主体性、開拓性、柔軟性、
批判性、運動性などについて〜

 

 民間の保育園は、いつも民間保育園の独自性、自発性、主体性、開拓性、柔軟性、批判性、運動性を意識して、自らの組織の中に、これらの性格を内在させる努力をしなければ、民間性は維持できなくなります。

 民間団体の独自性は、どこから指示命令を受けなくても、自ら必要と確信することは、その外的条件に左右されずに、それに取り組む自発性によって成り立ちます。 
しかし、また自ら信じるところに従い、やるべきでないとすることは断じてしないという主体性を確立することによって、その独自性は生まれます。
民間の保育園としてのいのちはここにあります。

 この主体性、独自性を表現する言葉として、「いわれてもしない いわれなくてもする」という表現が、民間保育運動の中で、社会福祉法人イエス団の村山盛嗣氏が、1980年頃に使った言葉ですが、民間団体の存在意味を表現しているように思いますます。
それ程、民間団体にとって主体性と独自性を守ることは、重要なことです。

 もう一つの視点は、批判精神を内在している団体や組織、また社会こそが、人間の問題に対して絶えず開拓的であり、革新的であり続けることができる事実は、歴史を通じても明らかです。
社会環境の変化により、当然人間の社会的、現代的課題は変化していきます。これに柔軟に対応できずに、その働きを固定化、専門化し、その組織や団体の事業の維持のみを考えるとすれば、必然的に組織の制度化や機能化を徹底せざるを得なくなります。
そうすると、組織の官僚化や硬直化が進み、運動性を後退させてしまう危険性が出てきます。
民間団体が、ある程度組織化が整うと必ず直面する共通課題です。
今日、国をはじめ公民上げて、構造改革や機構・制度改革、規制緩和による社会変革が進めようとしていることは、官僚化や硬直化に対する挑戦かも知れません。

 地方の時代、地域主義といわれる今日にあって、市民が主役として、法的にも制度的にも行政に動かされる客体者としての「末端」でなく、行政を動かす主体者としての「先端」であるという認識をもち、民間団体に必要とされる独自性、自発性、主体性、開拓性、柔軟性、批判性、運動性を組織に内在化させることが、組織の健全さであり、市民社会構築に自覚的に挑戦することが、組織の活性化になると思われます。
また、公益組織・社会的組織として、現代市民社会構築に必要とされるアドボカシーとか、パブリックポリシーとかいわれる組織の理念や使命に基づいた社会的発言や政策提言を、行政や企業に主張をしていくことが、民間保育園の大きな働きの1つだと思います。
組織の不祥事が続く中で、コンプライアンス(法令遵守)、法人としての健全なガバナンス、アカウンタビリテー(説明責任)を確立していくことが求められています。

  第3者に評価される以前に、これらのことを意識的に自己点検・評価しておくことが重要だと思います。
「保育の質」から社会的使命を持った公益法人としての「保育園の質」を問い続ける姿勢をもつことが、本当の意味で信頼され、尊敬される組織になるのかもしれません。
第3者評価制度の本質をここまで考えた時に、初めて意味が出てくるのではないかと思います。

                                                                                                                       
(2006年5月1日)
 


ほいくの窓

「第3者評価の本質を探る U」

〜使命・理念の具体化のための総合計画〜

  先回は、使命・理念の明確化(成文化)と保育園の組織風土・文化や団体の哲学や価値観や組織倫理について言及し、保育園が社会と個人を変革する存在となっているのかを評価(自己評価と第3者評価)する必要性を述べました。
成文化(明確化)された保育園の理念や使命は、

1)保育園の存在理由の本質的な性格を有しているか。
2)理念や・使命が保育園の組織内部に向かわずに、サービスの利用者や地域社会を志向しているか。 
3)保育園にとってしばしば変更する必要のない、比較的安定したものであるか。
4)活動中心でなく究極的な目的をしめしているか。
5)今日と将来に有効な保育園の伝統、価値観、哲学が反映されているか。
   が押えられているかが、総合計画の出発点となります。

総合計画は、 

@理念・使命・目的を再確認し、保育園が持つ視点を明確にすること。
A「将来のあるべき姿」を考え、長期目標を設定することやそれを具体化する中・短期目標をつくり、期待される成果を明確にすること。
B法人や施設として取り組むべき課題と具現化の可能性を探ること。
C自らの存在意義を確認し、内外の状況変化を把握すること(地域の変化、保育制度の変化等)。
D法人の組織の一部として施設の性格付けと法人へのアイデンテイテイーを実態化すること。
E社会的・経済的に自立した組織として、また社会から尊敬され、信頼され、高く評価されるための使命や挑戦がどこにあるか明確にすること。
  
 
の6つの視点が必要とされています。

  厚労省の新しい第3者評価のガイドラインに基づくHYKの評価項目の最初の項目は、法人の理念、保育理念を明文化しており、保育所の使命・役割を反映しているかどうか(公立の場合は法人の理念は除く)となっており、2項目は、理念や基本方針が職員に周知しているか、3項目は、利用者等に周知しているかと続きます。(理念や基本方針の説明を受けたかどうかが保護者アンケートで調査されます)
 日本の非営利公益組織における総合計画の導入は、アメリカの影響を受け、団体の目的達成のため理念の明文化、長期・中期・短期目標を区別して策定し、目標管理制度の中で日常の行動と上位目標につなげていくか、PLAN(計画)、DO(計画に従って実施)、SEE(実施したことを評価する)が必要で、個人と組織の変革の必要性から、その1つの方法として組織的な総合計画が必要とされています。
計画・実施・評価のサイクルは、評価(第3者評価も含む)された後、新しい計画と実施が考えられなければなりません。

  総合計画には、内部データ(法人、保育園で抱える課題)と外部データ(社会の一般的傾向、家庭・家族を取り巻く状況、保育制度に関する動向、地域の人口動態、行政の施策・方針・計画、経済状況、市場ニーズ等)を把握して計画策定されることが望まれます。
第3者評価の本質は、第3者評価を受審して、評価結果をいただいた後が重要で、ここから新しい計画が生まれなければなりません。
第3者評価結果は、次の計画に活かされて、初めて意味が出てくるのかもしれません。
                                         
                                                                                                                         (2006年4月1日)

 


 

ほいくの窓

「第3者評価制度の本質を探る T」

〜使命・理念の明確化と組織文化の形成〜

 保育園を含めた福祉サービス分野で、緊急に整備されなければならないことは、
    1)苦情処理の仕組みの確立 
    2)防犯・安全対策等の危機管理 
    3)第3者評価の受審 の3点といわれています。

 また、公益組織・社会的組織として、コンプライアンス(法令遵守)、パブリックポリシー(組織の使命・理念や目的の明確化と社会的に主張する政策提言や運動性)、組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議員会等法人として相互に牽制機能を持った組織形態、執行と決定の分離等)が求められています。
1)と2)については、神視保育園に就任した2002年に諸規則の策定・整備やマニュアル化を図り、
3)については2004年11月に全国保育士養成協議会の第3者評価を受審しました。
(神戸市では公私あわせて2番目の受審)

  第3者評価制度が生まれた趣旨は、公正で中立な第3者機関が専門的・客観的な立場で評価するものです。
その目的は「保育の質」を向上させ、広く一般に利用者の役立つ情報を提供することです。
しかし、個人的にはこの第3者評価制度の趣旨に物足りなさを感じていました。2005年にまとめられた新しい厚労省のガイドラインでは、施設の運営管理、方針や中長期計画などが取り上げられ、「保育内容中心の質」から保育園という組織としての社会的使命が意識され始め、少しは改善されたように思われます。
ドラッカーは、「非営利組織は使命のために存在する。社会と個人を変えるために存在する」(「非営利組織の経営〜原理と実践〜」といっています。

  つまり、何のために保育園が存在し、使命や目的をどのように実現するのか、その前提として自分たちの保育園の強み(特徴)や弱みを把握するとともに、そのあるべき姿と自らの存在意義を内外に認知してもらうために、ミッションステートメントをそれぞれの法人や施設が策定することが望まれます。
1844年に誕生したYMCAは、1855年にパリベーシスといわれる使命を策定し、世界中にYMCA運動が広がりました。激変する社会の中で、非営利・公益団体にとって、社会状況の変化を見極め、社会に果たすべき使命や挑戦がどこにあるのかを問い続ける姿勢を持ちつづけることが、信頼され、尊敬される団体になるのかも知れません。

  団体の理念や使命や目的は、その団体の哲学や価値観から生まれます。
ニュースで伝えられるライブドアが考えていた企業価値と、私たちが考えている組織価値と全く異なるように思います。
企業倫理や組織倫理という言葉がありますが、組織風土とか組織文化は、その団体の価値観に基づいた理念や使命から生まれます。
どのような世界観・価値観・倫理観をもっているかによって団体の精神的所産としての組織文化が生まれます。

  アメリカでは、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)が厳しく問われ、企業は法令を守り、地域社会への貢献や環境にやさしい取組みなどが、企業価値や社会的評価につながるといわれます。非営利団体のみならず企業もミッションステートメントをもち、投資家も社会貢献に努力している企業に投資する率が高いといわれます。
 日本でもフィランソロピー(社会貢献)言葉も定着しましたが、第3者評価対象の保育園が、社会と個人を変える存在となっているかの視点を自らが意識することが重要だと思います。また自らの保育園のあるべき姿を明らかにする理念や使命・目的の明確化とそれを実現しようとする組織風土を創ることが必要だと思われます。

  評価機関がたくさん生まれてますが、評価機関に対する評価をきっちりしていかなければなりません。
保育園も評価結果の良し悪しでなく、保育園としてあるべき姿を明確にし、組織風土や組織文化を形成することが重要だと考えます。
第3者評価制度は、このような視点から点検すべき時期がきているように思います。                  
                                                                                                                        (2006年3月1日)
 


ほいくの窓

「戦後60年に想う」

平穏であってひとかたまりの乾いたパンのあるのは、
    争いがあって食物の豊かな家にまさる。〜(箴言17:1)

  今年は、戦後60年の記念すべき年を迎えています。
マスコミは、特集番組として、日本の戦後60年の歩み、戦後の平和と民主主義、憲法問題などを取り上げ、私たちに大きな問いかけをしています。
他方、阪神大震災以後の国内外の大災害(サハリン、中国雲南省、イラン、アフガン、トルコ、台湾、インドネシアのスマトラ沖、アメリカのハリケーン、パキスタン、新潟、豊岡等)の大災害は、被災した神戸の市民にとって、自分たちの生き方、生活と重ね合わせながら、平穏に生きる意味や平和について考えさせられます。

  敗戦後、日本国憲法制定時には、ほとんどの人々は、戦争を阻止し、民主主義を確立するには、この憲法しかないという認識がありました。
今日、「時代の流れや変化」とか、憲法の理念と現実のギャップを埋めるために改憲論議もでてきました。
しかし、世界の人々が平和のうちに生存する権利(平和的生存権)は、どんな大義名分があっても犯されることがあってはなりません。
平和的生存権を守る生き方を内面化することが、「共に生きる」第1歩かもしれません。

  「平和の課題と宗教」(中央学術研究所編)という平和についての素晴らしい書籍が手元にあります。
執筆者の一人である飯坂良明氏は、平和を4つの側面からとらえています。

1)自分自身の内なる平和(内面的平和、心理的平和、心の平和)

2)人と人との平和(個人間、集団間、国家間等色々なレベルにおける人間の相互関係)つまり、社会的平和(軍縮、非武装、構造的暴力、人権・自由・正義といった価値・理念と関係してくる平和)

3)人と自然の平和(公害、環境破壊、地球汚染等環境問題、生態学的問題)人と自然の調和的関係、共に生きるという共存・共栄の問題を生態学的平和。
エーリッヒフロムは、「人間は自然界の中に安住し、自然は人間の世界の一部となる。
これが預言者的な平和である」といっています。
ゲルハルト・リートケは、「生態学的破局とキリスト教」の中で、自然と人間の運命の共同性について論述し、人間は自然の一部であるという認識にたっています。

4)人間と人間を超えたものとの平和(超越者である神や仏)つまり、神学的平和。

 1つ目の心理的平和と4つ目の神学的平和は、「内なる平和」と関係し、2つ目の社会的平和と生態学的平和は、「外なる平和」に関係します。
この4つの平和の側面は、イエス団を設立した賀川豊彦の非戦平和論の精神と深い関わりを持っているように思います。
イエス団憲章で「私たちは、地域を越え、国境を越えて共に生きる平和な世界の実現に努めた精神を引き継ぐ」という使命を再度確認しながら、今日の社会を厳しく見つめて、戦後60年を過ごしたいと思います。

 毎月の園便りに、「ほいくの窓」を連載して今回で50号を迎えました。
「ほいくの窓」から何を見るのか、この小さな窓から21世紀を担う子どもや社会が平穏で争いのない世界となるように、保護者と一緒に平和を作り出すことができたらと思います。
                                                                                                                          (2005年11月1日)
 


ほいくの窓

人は何のために生きる

〜ほっとけない世界の貧しさ〜

  海外災害援助市民支援センター(CODE)の村井さんが、全私保連神戸大会の分科会「震災10年と市民社会」の打ち合わせに神視保育園に来られた時に、CODEも「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンの賛同団体になったので、ホワイトバンドの販売協力をお願いしたいといわれ、次の日に職員に声をかけたら、ホワイトバンド運動の趣旨も説明もしていないのに、早速25個の購入希望がありました。サッカーの中田(英)氏や私の知らないタレントの櫻井氏もこのホワイトバンドをしていることを教えられ、インターネットで、この運動のイベントやもっと詳しい情報もありますと教えられました。
 毎年、YMCA国際協力募金やユニセフやCODEのぶどう基金への呼びかけをしていますが、軽い乗りで若い職員が、世界の貧しさを克服するこのキャンペーンに、気軽にコミットしてくれて驚き、うれしく思いました。

 先月のほいくの窓では、「貧しい人々と賀川豊彦」というテーマを取り上げましたが、貧しい人々に生涯をささげたマザーテレサの毎日新聞の切り抜きが手元にあります。
1997年9月に亡くなられた直後の社説である。「人は何のために生きる」というテーマで、彼女の生き方を取り上げています。
社説がこんなテーマで真正面から取り組もうとしたのに驚き、どんな記者が書いたのかと興味をもって切り取っていたように思います。
   私たち人間は、誰もが一度ぐらいは、「自分は、いったい何のために生きているのか」自問することがあると思います。
 この社説では、マザーテレサには、使命感に燃え、正義をかざし社会改革や貧困の戦いに挑む姿勢と根本的に異なる姿があるといいます。正義感に満ちた使命をかかげて働くのではなく、つまり自分の意思や力で成果を上げようとする人生ではなく、人間を超えた力に動かされ、疎外された人々のために一生をささげる「生かされる」生き方だといいます。

そして、私たちが余りにも人生を自分のためにだけ使い、自分や組織体制維持にだけ心を注ぎ、人は利用するものという考えが一般化していないだろうかと、この社説は問いかけています。また、宗教は、本来、貧しく社会から疎外された人々のために存在したが、それが体制の中に組み入れられ、富裕層と体制維持の機能を果たし、変革の力を失っているように見えると糾弾しています。
「ほっとけない 世界の貧しさ」キャンペーンの趣旨にも「今、世界では3秒に1人の子どもが貧困で命を失っている。
そんな貧しさをほっておくのでなく、これを克服するための証として、ホワイトバンドで意思表示を」と呼びかけています。

 貧しいまま放置されている人々は、世界の人口の3分の1もいると伝えられています。
この社説を書いた記者は、「マザーテレサの人生と奉仕は、なお宗教が貧しい人々のために存在することを確認させた。
そして、人のために生きる人生こそが、価値あることを教えている」と述べ、彼女が来日した際に言った、「日本人は物質的に豊かです。しかし、弱い人や貧しい人に無関心です」という言葉で結んでいます。

  この社説を書いた記者もまた「自分はいったい何のためにいきているのか」という自分の生き方や記者としての使命を求めているように思いました。
「ほっとけない 世界の貧しさ」キャンペーンの運動が、多くの人々に広がることを願っています。

                                                                                                                         (2005年10月1日)
 


ほいくの窓

阪神大震災10年〜祈り、生きる〜

   2005年1月17日の阪神大震災10年の日、新聞各社の震災関連の見出しを拾ってみた。  
「生活再建なおも壁」、「家計回復せず7割」、「防災協力国境越え」、「経験糧に津波救援」、「被災経済苦闘10年」、「1・17宣言」、「神戸から伝えたい」、「国連防災世界会議明日開幕」、「地域力が鍵」、「漂う無力感」、「減災の心得10か条」、「天国のあなたへ」、「戻れないまだ、築きたいまた」、「遺族46%悲しみ癒えず」、「心強い地域の絆」、「減災の知恵世界へ」、「震災10年私の思い」、「悲しみ抱え懸命に生きる」、「心の復興 家族・友が支え」、「あふれる笑顔今を生きる」、「こころの復興への道のり」、「静かに待つ節目の鎮魂」、「10歳命つなぐ」、「再出発の1・17」、「もう10年まだ10年」、「あの日反省危機管理」、「防災ノウハウ支援を」、「復興も防災も地域力から」、「刻まれた10年がある 止まったままの10年もある」、「それが幸せ 生きること」、「苦難越え命輝け」、「確かに復興を実感 しかし・・」、「体験が文化として花開くのは50年かかる」、「KOBEの心世界へ」、「次世代へ命伝え」、「被災の痛みは同じ」等、他にも多くの見出しがあったが、それぞれこの短い見出しの中に、10年の歩みの状況が、手にとるように記事の中身がわかります。

 被災体験をした者は、言葉に出さなくとも心の中で、生きることの関わりから精神的所産としての文化を創生しているように思います。

 ほいくの窓NO41で、「災害被災文化の創生」というテーマで、被災文化について記述しましたが、1月17日の毎日新聞に、作家の藤本義一さんが「日本人は、最近祈る文化を失いつつある」と指摘し、「生かされている」ことを重視しない風潮を憂いています。
そんな中、藤本さんは、阪神大震災の被災地の慰霊碑などの震災モニュメントに注目し、1月17日に手を合わせることは、「自分の生」を考えることになるといっています。
そして、震災文化は、「祈る文化」を作る芽だとし、「体験が文化として花開くのは、50年かかる」と主張し、「震災の経験を醸造して文化に育んでいくのは、子どもたちだと述べています。

 保育園の生活で、私が一番感動するのは、小さな園児が手を組み合わせ、目を閉じて祈っている姿です。
ハレスビー著の「祈りの世界」には、「神は、最も弱い者にも祈ることができるように、祈りの道を備えられた。・・祈りとは、私たちの心の一つの姿勢である・・」といっています。

 阪神大震災10年の1月の誕生会では、子どもたちに震災ビデオで、長田区近隣の被災状況をみて、 神視保育園の園児2人が亡くなったことを覚え、祈りました。 
作家藤本氏のいう震災から「祈る文化」が、芽生え育って大きな木と成長するように、また、苦境にあっても「生かされている」ことを感謝し、「いのち」を大切にする心や世界観をもった人に育って欲しいと、阪神大震災10年に、被災文化の創生に想いを新たにしました。
                                                                                                                            (2005年2月1日)
 


保育の窓

〜ガンジーが指摘する人間社会の7つの大罪〜

 日本人の一般的な観念の中に、「8月〜広島・長崎〜敗戦〜平和〜憲法〜護憲」と短絡的だといわれても、この意識がつながっていく傾向が強いと思っていましたが、その脈絡もつながってこない時代になりつつあるように思います。
 私は8月の敗戦記念日が近づき、広島・長崎の原爆記念日ニュースをみると、平和について考えさせられる古いタイプの日本人かもしれません。
法学部卒で、憲法がよい成績であったわけではありませんが、平和憲法の改憲については、「時代の流れ」として片付けられていくことに大きな抵抗を覚えます。
 日本国憲法のキーワードには、国民主権、恒久平和主義、基本的人権の尊重、公共の福祉、法の下の平等、思想・良心の自由、信教の自由、表現の自由、学問の自由等が掲げられて、民主主義国家として、立法、司法、行政をそれぞれ独立させる三権分立の制度によって成り立っています。
しかし、この素晴らしい憲法の理念と制度が十分に生かされているかは疑問が残ります。

 憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」となっており、戦争の惨禍は、政府の行為によって起こるという明確な認識が表明されています。
つまり、戦争を起こそうとする国家権力を国民が抑えなければ、平和を維持できないということになります。
戦争を起こさせない鍵は、国民が主権者であるという点です。
それを守るのが基本的人権の思想です。
  イラク、アフガニスタン、パレスチナ等多くの地域で紛争や戦争が継続しています。
そして、国際貢献や人道支援という名目で、自衛隊が安易に派遣されていくことに、何のひっかかりもなくなれば、先の戦争で傷ついた戦争体験者の叫びは、聞こえなくなってしまいます。
戦争放棄の憲法を守り続けることが、21世紀への伝言だと理解したいものです。

  インド独立の父マハトカガンジー(1869年〜1949年)は、50数年前に無抵抗の平和主義者として、人間社会の7つの大罪を指摘しました。

@哲学なき政治   A道徳なきビジネス  B労働なき富  C人格なき教育   D倫理なき快楽  
E人間性なき科学 F犠牲なき宗教

この7つの「なき」ものを、21世紀の社会で、「ある」に変えていくことが、21世紀の子どもたちを育てる私たちの責任かもしれません。
この7つの大罪は、人間の価値観、世界観に関係する重要なことばかりです。
神視・天隣保育園を設立した賀川豊彦は、この7つの「なき」ものを「ある」に変えようと挑戦したひとりかもしれません。

  この意味で、賀川の精神や使命を神視保育園の保育理念や目標にかかげて、何とか21世紀を担う子どもたちの心に、平和な世界を創り、人間にとって何が大切なことかを知る種を蒔き続けることが、保育園や保護者の役割だと思います。
大人が、この7つの大罪を自分のこととして受け止めない限り、賀川のいう子どもの権利や非戦による平和な世界は創り出せません。
しかし、残念なことですが、この7つの大罪は、毎日のテレビや新聞記事のニュースのなかで、なまなましい現実として実感させられ、反省させられます。
21世紀が、7つの大罪の「なき」ものが「ある」ものに、1つでも変わるよう挑戦したいものです。

                                                                                                                              (2004年7月1日)
 


■ 特別編 ■

ほいくの窓 〜特別編〜

「公益法人改革から考える」

 新制度改革の概要〜民間非営利・公益組織の病理〜

 2007年6月2日に公益法人関連法(@一般社団法人及び一般財団法人に関する法律A公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律B関係法律の整備等に関する法律)が公布されました。2008年の12月1日からこの3つの法律が施行されます。
従来、民法34条によって許可を得ていた社団法人と財団法人は、施行後5年以内にこの関連法が規定している一般社団法人か公益社団法人、一般財団法人か公益財団法人の4つに分類され、どれかに移行しないと解散とみなされます。

現行の公益法人制度は、法人の設立には主務官庁の許可が必要で、公益性の判断は主務官庁の自由裁量で判断され、法人格と税の優遇(法人税は収益事業のみ課税)が連動していましたが、新しい制度では、主務官庁制・許可主義の廃止(法人の設立と公益性の判断を分離)となります。
新制度の一般社団法人・一般財団法人の設立は、登記のみで設立可能ですが原則課税になります。公益社団法人・公益財団法人の設立は、一般社団法人・一般財団法人のうち、希望する法人に対して、民間有識者による委員会の意見に基づき行政庁が公益認定をします。
公益目的事業を行うことを主たる目的とし、公益認定の基準を満たす法人は、行政庁の監督はありますが、一定の税優遇があります。

この新制度改革は、従来の民法を根拠法とする法人を抜本的に変革する制度となります。
なぜ「公益法人改革」について、「ほいくの窓」に取り上げたかというと、私たちの保育園は、社団法人神戸市私立保育園連盟と社団法人全国私立保育園連盟に加盟していることと、個人的に、自分が所属してきた組織・団体で総務的な仕事が多かったため、日本の社会構造や制度、特に公と民の関係や許・認可制度の関係で、主務官庁と接触してきた中で考えさせられたことが多かったためと思われます。
既に、神戸の私保連と全国の私保連は、公益社団法人格取得のため検討委員会を設置し、新制度改革に対応準備を始めました。

私も社団法人全国私立保育園連盟の公益法人検討委員会の委員に委嘱され、市民社会の基本法といわれる民法の公益法人改革に関心を持たざるを得なくなりました。
ご承知の通り、私たちになじみの深い社会福祉法人、学校法人等の法人格の根拠法は、民法の特別法(社会福祉法、私立学校法等)として成立し、事業ごとの法人格が与えられるようになりました。これらは法人格の取得は認可主義(法律の条件を満たしておれば主務官庁が必ず設立を認める)で、定められた条件を満たすと法人格取得ができます。

従来の民法の公益法人(社団法人、財団法人)の法人格は、許可主義(主務官庁の判断で法人の設立を認める)で法人格を許可するかどうかは行政の自由裁量に基づいていたので、この法人格の取得は、大変難しかったのですが、今回の公益法人改革では、一般社団・一般財団法人の法人格取得は、準則主義(法律の条件を満たせば即設立となる。営利法人や労働組合が該当する)になりました。しかし、準則主義の一般社団・一般財団法人は、公益社団法人格・公益財団法人格を取得するには、公益認定法に基づき、公益認定を受けねばなりません。

このため、従来の公益法人は、2008年12月施行に向けて準備を始めたのです。
ただ、現在の公益法人関係者は、課税されるかどうか、新制度の法人格をどのように取得するのか等だけが関心事となってしまっていることは否めません。

「特定非営利活動促進法」(NPO法)の成立した結果、日本の社会構造や制度がどのように変化したのか、今回の公益法人改革がどのような活性化した成熟社会を創造するのか、市民社会を構築するのだという大きな幻や希望を与えるものであって欲しいと思います。

世界的には分かりませんが、日本の社会構造や制度は、民間団体を行政や公の管理下に置こうとしてきた歴史があるのではないかと思います。
他方、許認可を受ける非営利・公益団体も、法人格を取得することは、法的・社会的に行政のお墨付き(信用保証)をもらう感覚に陥り、法人の監査や監督指導に従順になり、いつのまにか行政の末端組織のように管理下に置かれてしまう傾向を否定できません。
このことは、日本の社会構造の病理かもしれません。

民間団体の公益法人である財団法人、社団法人、学校法人、社会福祉法人、その他の法人も行政の監督、指導におかれてしまう制度になっています。(最近、それぞれの法人の根拠法で、いくつかの面で制度改革・規制緩和がなされてきましたが・・・)
従来の民法34条に基づく公益法人の多くは、行政が外郭団体のようにして独占し、その機構、組織に組み込んでいる現実は、日本の社会構造の特徴と考えられます。
例えば、第3セクターの民間の市民セクター(ボランタリーセクター)に、第1のセクターとしての官や政府また、地方自治体の県、市の行政が、公益法人としての財団法人や社団法人、また社会福祉法人等の器をつくっていることがいかに多いかを見れば明らかです。

これらの団体は、あたかも民間団体のようであっても、行政の末端組織として、もっとはっきり言うと、行政の外郭団体の官益法人(私の造語)として、補助金や委託費等の資金を受け取りながら、官・行政の天下りを受けている公益法人(官益法人)が、第3セクターの大部分を占めている現実を誰もが知っています。
そのことは、逆にみれば、純粋な市民セクターの自立的な民間団体が、日本の社会では非常に少ないことを証明しているように思えます。

 公の論理が支配する社会には、本来の民間団体のスピリットは、生まれてきません。
民間団体である社会福祉法人も、国が定めた定款準則を一字一句変えられませんでしたし、民間の使命であるその法人の目的まで、国が定めた言葉以外には使えませんでした。
これは明らかに統制機能が働いているといわざるを得ません。行政が民間団体をコントロールする許可や認可のシステムが、第3セクターにいかに君臨しているか、法人格をとればすぐに分かります。(最近、社会福祉法人の定款準則も少し緩和されましたが・・)

こんな状況下で、阪神大震災以後、1998年に「特定非営利活動促進法」(NPO法)によって比較的コントロールの少ない認証制度により法人格が与えられることになりました。このことは、市民社会を構築する上で、画期的な制度が生まれたといえます。

今日、国をはじめ公・民上げて、構造改革や機構・制度改革、規制緩和による社会変革が進めようとしていることは、組織や制度の官僚化や硬直化に対する挑戦かも知れません。
林雄二郎氏は、「社会の成熟度というものは、第3セクターである市民活動団体であるとか、非営利組織(NPO)の確立度合いによって測られる」と言い切っています。
民主的な市民社会は、3つのセクターが役割分担をするなかで、確立されていくのかも知れません。
非営利・公益のために働く民間市民セクターの団体の主体性や独自性を尊重し、サポートすることが、市民主体の運動を強化することになるのだと思います。

「特定非営利活動促進法」(NPO法)の成立に大きな役割を果たしたのは、NIRAの「市民公益活動基盤整備に関する調査研究」だと私は理解しています。
この調査研究の基本的考え方は、
@ 社会の柔軟な発展のために、民間非営利セクターの存在が不可欠であるという認識
A 民間非営利セクターの土台をつくるのは市民公益活動である
B 市民団体自身がまず既存の制度や組織の枠にとらわれない活動を推進する底力を蓄える必要がある
C 市民や企業・団体などが市民公益活動活発化のためにきめ細かく支援・協力する必要がある
D 行政は市民団体の自立性を損なわない形でその発展の基盤を整備することが必要である
E 市民公益活動基盤整備の方策は、日本の社会的・文化的現実を踏まえたものでなければならない
 以上の政策的課題を挙げて、市民、非営利・公益セクター、企業や助成団体、行政セクターへの方策の提言をまとめています。
この調査研究の提言は、21世紀の市民社会構築に貢献する重要な指針だと思われます。-
 
市民社会形成の柱になれるのか

 21世紀のスタートの年であったボランテイア国際年は、社会、経済、文化、人道、平和構築の分野における優先課題に取り組むために、ボランテイア活動が必要とされる認識、特に、グローバルは、ローカルから始まるということ。つまり、経済や社会の発展は上から下より、むしろ地域や草の根から上に向かって生じるという信念に基づいていました。

また国際的なボランテイア活動が、市民社会の重要な一部であることの認識を高めることなど、民間の非営利・市民セクターの働きが、各国において促進されることが期待されています。
世界的には、福祉、環境、人権、平和等の人間のあらゆる社会サービスの分野において、個人の社会づくりへの参加意思を生かす仕組みとして、NPO/NGOへの関心が高まってきたといえます。
 アメリカでは、政府、行政組織、公社、公団、事業団等の公的な特殊法人の活動を第1セクターと呼び、民間の営利部門として利潤追求はしているが、生活向上や雇用の安定を図り、社会的な福利増進に寄与しているのが、民間営利企業で第2セクターと呼んでいます。そして、民間の非営利・公益団体で何らかの公共的利益を目的とした団体、いわゆる非営利組織(NPO/NGO)を、第3セクター(市民セクター)として位置づけをしています。

 NPOの先進国としてのアメリカをはじめ、NPOと政府のパートナーシップを協約によって、市民社会に活力を与えたイギリス等、21世紀社会の枠組みとして、国家や公の視点からも、公の主導から、社会を変える新たな主役としての民間非営利・市民セクターの働きを重視し、公共政策の変革がなされようとしています。

 特に、日本では、前述した1998年の「特定非営利活動促進法」(NPO法)が誕生により、社会行政にも変化がでてきました。非営利組織のNPO/NGOが、新しい公共の担い手として、市民活動の担い手として、社会的なシステムとして認識されてきました。
また、今回の民法34条に基づいていた公益法人の改革は、従来の日本型社会システムの行き詰まりを、グローバルスタンダードの中で、新しい市民社会を構築する必要性に気づいたといえます。
政府の構造改革、規制改革の方向にも、従来は、公の責任で果たしてきたものを、民営化、民間委託、企業参入の承認をするなど公共政策の変革がなされようとしています。
市民という概念も、単なる居住者としての市民でなく、社会のあり方や社会の運営について考える意識や、社会づくりに参画する意思をもった人という認識も定着してきました。
市民社会を構築する仕組みとして、また市民活動の担い手として、民間非営利・市民セクターの役割が重要視されてきました。

 この意味で、21世紀は、民間非営利・市民セクターをどのように形成し、発展させていくかが、成熟した社会の尺度になるものと思われます。
日本の法制度は、民法上は、従来は、一定の集団が法人格を取ろうと思えば、「公益か営利」のいずれかを目的としなければなりません。そのため、「営利法人」と「公益法人」が存在してきました。
本来、「営利法人」に対しては、「非営利法人」という概念だと思います。
「特定非営利活動促進法」(NPO法)や今回の公益法人改革は、社会政策の視点からも大きな役割を期待される存在となりました。

 パブリックポリシーとかアドボカシーといわれる政策提言が、世界の非営利組織(NGO・NPO)の大きな役割となっていますが、日本でも非営利・公益組織制度が、総合的に法的に整備されることによって、非営利・公益組織が、民間団体としての非営利・公益活動による社会サービスを担い、市民社会形成の柱になり、今回の公益法人制度改革が、従来の日本型社会システムから新しい市民社会形成の柱になっていくことを期待したい。

 ただ、国も全国の自治体も、財政危機に直面し、福祉・教育・医療・介護などの分野でも、努力して作ってきた福祉国家型行政に、民営化、民間委託、市場化、規制緩和など自治体のリストラを推進する方法が、公共部門と民間部門のコスト比較で検討され、公から民へ流れが急速に進んできました。
しかし、公と民の役割を抑えずに、短絡的な課税やコスト論で一連の改革がとらえられるなら、旧来のシステムが解体され、混乱するだけで、新しい社会システムの構築にはなりません。
既存の社会の構造改革や機構・制度改革、規制緩和が、次にどのような社会を創造しようとするのかの議論をして、私たちにもイメージできる社会政策として欲しいと思います。

 地方の時代、地域主義といわれる今日にあって、市民が主役として、特に非営利・公益・市民セクターが、法的にも制度的にも行政に動かされる客体者としての「末端」でなく、行政を動かす主体者としての「先端」であるという認識をもち、生活主体者としての民間市民セクターが、民間団体に必要とされる独自性、自発性、主体性、開拓性、柔軟性、批判性、運動性を組織に内在化させることが、組織の健全さであり、市民社会構築に自覚的に挑戦することが、組織の活性化になると思われます。
今回の公益法人改革は、法人格の取得が難しいとされた行政の自由裁量権のある民法34条の許可制度が改革されることは、日本の社会構造・社会制度を大きく変化させる試金石になる改革かもしれません。

ほいくの窓 〜特別編〜

                      なぜ全私保連は公益社団法人格取得をめざすのか。 

法人格を取得する意味
 
 全国には、社団法人全国私立保育園連盟の会員で、法人格を持っていないケースもありますが、それぞれのローカルの事情があると思いますので、ローカルの団体が任意団体であっても、社団法人格以外の法人格であっても、そのことに言及して、ローカルに公益社団法人格取得を進めるのが、今回の全私保連の公益法人検討委員会の目的ではありません。
ただ、今回の公益法人制度改革が、日本の社会構造・社会制度を大きく変化させるものであるという認識で、それぞれのローカルの組織の在り方を検討する良い機会だと認識しています。

法人とは、自然人以外で、法人格すなわち法律上自然人と同じように権利・義務の主体となることができる資格をいいます。つまり、法人格を取得すると、法人に権利能力、行為能力、不法行為能力が与えられます。
阪神大震災以後、1998年に「特定非営利活動促進法」(NPO法)によって比較的コントロールの少ない認証制度により法人格が与えられることになりました。
この「特定非営利活動促進法」により、ボランテイア団体や、非営利組織が容易に法人格を取得することができるようになりました。
法人格を取得するということは、次のような意味があります。

1.契約の主体となれる
  団体や組織を立ち上げても、法人格のない任意団体は組織・団体の名前では契約できません。事務所の賃貸借契約、電話の
設置契約、組織の車の購入、イベントでホールや公的会館を借りたりする場合、法人名で契約できます。
法人格がなければ、自然人としての組織の代表者個人として契約になります。
  組織・団体の所有する不動産登記や所有物が代表者個人となったら、当然、問題がでてきます。
 (契約社会の中では、組織として法人格がないと契約の相手方も困るので社会的に法人格がなくても、人格なきみなし法人とされる場合もありますが、本来的ではありません)

2.銀行口座を開設できる
  法人格がない場合、銀行口座は代表者個人の名前ですが、法人としての口座になり、個人が団体・組織の資金を流用することが不可能になり、社会的信用ができます。

3.資金の調達、入札等
   行政の補助事業や委託事業、助成金等公的資金は、一般に代表個人ではなく、組織・団体の法人に行うもので、法人格があれば公的資金も受けやすくなります。
   行政の指定管理制度による施設管理を受ける場合は、法人格が必要です。
   寄付金集める場合にも法人格をもっていれば、社会的信用をされ、法人格の種類によっては、税法上の非課税となります。

4.職員の雇用
   法人格を取得して、事務局で働く職員が給料を受け、雇用保険、健康保険、厚生年金、労災保険等に加入して、しっかりした組織を作り上げることが、組織・団体の責任だと思います。
 

 *全国の私保連の組織には、任意団体の組織や法人格を持っている組織もありますが、もう一度、団体・組織の社会的責任をしっかり踏まえて、公益法人改革の意味を考えて、対応していく必要性を感じます。

                                                                (2007年12月20日  牧田 稔)


ほいくの窓 〜特別編〜

「ミッションに立つ経営と事業展開」

〜イエス団の立場から組織のあり方を問う〜


1.福祉サービス分野で求められている緊急整備事項
   @苦情処理の仕組みの確立(2002年園長就任時にルール化)
   A防犯・安全対策等の危機管理体制の確立(2002年度から総合危機管理マニュアルを整備)
   B第3者評価の受審(2004年に全国保育士養成協議会の第3者評価受審)


2.公益組織・社会的組織として求められている必須事項〜組織の社会的責任〜
   CSR(Corporate social responsibility)組織の社会的責任

@コンプライアンス(法令や組織倫理の遵守、サービス利用者・職員・地域社会などの期待に応えること、社会通念・高い倫理性)の確立。・・・社会からの信頼を高める戦略

Aパブリックポリシー(組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向性等)(アドボカシー)の確立。

B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議委員会等法人として相互に牽制機能を持った組織形態、執行と決定の分離等)と内部統制の確立

Cアカウンタビリテイー(説明責任)・・アカウンテイング(会計)とレスポンスビリテイー(責任)の合成語。組織の活動や財政・経営の内容を説明する責任を果たす。
そのため、情報公開・開示制度(デイスクロージャー)の枠組みの確立が必要。


3.組織価値、組織哲学、組織倫理、社会的使命の自覚→組織文化・風土の形成
    (組織におけるミッシヨンとアイデンテイテイーの確立)


4.イエス団の法人組織のあり方と課題について

 イエス団は任意団体として、1909年12月に賀川豊彦が伝道・隣保活動を開始し(救霊団を1914年にイエス団と名称変更)、1922年民法34条に基づいて、財団法人イエス団を組織した。以後、この財団法人イエス団のもとに、福祉事業の施設が次々に認可された。
しかし、戦後、私学教育を振興するとか、社会福祉事業の純粋性の確保や、それぞれの社会的信頼性の向上を図るため、民法の特別法である私立学校法や社会福祉事業法等がつくられ、イエス団も1954年に、社会福祉法人イエス団の設立認可を受けた。また1979年には学校法人イエス団を設立。その後、財団法人格は失ったが、現在、社会福祉法人のもとに38施設、学校法人1施設、宗教法人のイエス団教会をもつに至った。(賀川献身100年プロジェクトの関係でNPO法人取得を検討中。複数法人の課題についても研究が必要)

 法人本部は、実際は39の施設をまとめており、法人の所轄官庁は、一般には都道府県や指定都市であり、他府県にまたがる法人の所轄は、社会福祉法人イエス団の場合は、厚生労働省になる。従って、イエス団の法人監査は、本来厚生労働省が実施するところ(2005年度に初めて厚労省直接の法人監査があった)、兵庫県が委嘱を受けて、法人監査は他府県の施設も監査するという状況になっている。(施設監査は、それぞれの所轄の自治体が実施)
(今回の厚労省の監査は、指摘事項が多く、厳しかったが、普段から問題であった法人・施設の課題を明確にされたよい機会となった。法人組織としての認識・意識変革の必要性がある)

そのような現状から生まれる問題と課題をイエス団の組織検討委員会は、ブロック別法人格の取得や所轄自治体毎の法人格取得も検討したが、結果的には、現在のイエス団の組織を整備・強化し、法人分割をせずに統合していくことに結論づけた。

法人格は、権利義務の主体となる法律上の資格であり、権利能力、行為能力、不法行為能力は、法人そのものにあり、施設にはない。従って、施設が行ってしまった不法行為も、当然法人の理事が法人格に対する法律上の責任者となる。社会福祉法人の執行機関としての理事は、

@ 資産管理と法人運営の責任・方針の決定
A 対外的に法人を代表
B 法人の事務執行等が職務の中心となる。

社会福祉法人は定款準則で、理事長のみに代表権を与えるのを原則としており、登記も理事として、理事長職にある者が登記されるので、理事全員に責任があるとはいえ、社会的には登記されている理事(理事長)に全ての責任が及ぶ可能性は大きい。そのため、下記のような方策で責任分担と組織としての統合を図ることが求められている。

1)理事や施設長で法人が抱える課題を責任分担する組織形態が必要と考える。イエス団としての法人や施設長の責任能力や組織理解、また、組織としての自立と統合性を考える必要がある。(新しいイエス団の組織は、常任理事会を廃止し、理事・評議員会以外に、経営会議、企画委員会、全体施設長会の他に、ブロック別施設長会を強化、事務局拡大会議、プロジェクトごとの委員会などにより、一法人としての連帯・統合を図っている)。ガバナンス(組織における意思決定・執行・監督にかかわる機構)を強化する。
・・・決定と執行の健全な牽制能力がある組織のガバナンスの確立。

2)非営利・公益法人として、社会的組織としてのイエス団の意識改革の必要性。
  歴史的なことがあったとしても、公益法人・社会的組織として、施設長の世襲性や施設の私物化が行われないよう近代的で公的な法人組織の確立をしようとする姿勢の必要性。
法人の権利能力、行為能力、あるいは不法行為能力をもつ自立、独立した団体として認識し、各施設や各事業分野のそれぞれの独自性、自立性、主体性を認めつつ、法人間の連携・協力をはかり、イエス団の統合されたグループとして、どのような社会的相乗効果を図るか。「いわれなくてもする。いわれてもしない」「批判精神が内在する組織・社会こそが人間の問題に対して開拓的であり、革新的である」
・・・民間団体として、主体性・独自性・批判性をもった健全な組織の確立。

3)イエス団のアイデンティティーの確立とミッションの再確認と具現化
非営利・公益法人であるイエス団は、使命の実現のために事業を行っているが、法人や施設が使命や理念、基本方針・計画等を明確化(成文化)し、意識化しなければ運動性が強化され、広がりません。アイデンティティーとミッションは、集中と派遣、求心と遠心のダイナミックスが運動性に影響する。
また、法人本部が、施設を統合する役割をもてるようにすること、また、理事や施設長は、イエス団のアイデンティティーを確立し、また、イエス団としての使命(ミッション)、目的や理念、賀川精神、イエス団憲章を、事業遂行のなかでどのように実体化するか。
また、パブリックポリシーをもった組織風土の確立。使命・理念を具体化するためには、総合計画を策定することが期待されます。
・・・運動性を持った組織文化の確立。

4)組織の経済面の経営、資産、財的融通性の課題
社会福祉法人の場合、事業資金は公的な運営資金で運営されるが、託されたお金の使途については、特に不正があってはならない。法人の許可なく施設長が勝手に資産処分(担保をすることも資産処分)をしたり、借入金をしたり、案件や経理規定を無視したりする施設を、法人本部は施設長を監督しなければなりません。現在は第3者評価受審や苦情処理の仕組み等が整っていれば、所轄官庁の了解のもとに、法人本部会計の繰り入れや施設間の資金移動が容易になったが、施設は、あくまで、公金を事業の社会的使命のために預かっている意味を自覚しなければならない。社会的・経済的に自立した組織の確立。
・・・コンプライアンス(法令遵守・組織倫理・モラル)、アカウンタビリテイーの確立。

5)法人の機関と施設長の人的強化(理事・評議員・施設長などのリクルート)
法人の機関である理事会・評議員会等の構成メンバーの人的開発。(社会的にも認知される理事、評議員のリソースパーソンを強化)と、主として施設長等の職員人事異動が、法人事務局で検討できるようにする(人的融通性・施設の私物化への牽制)。決定と執行の分離と統合・牽制機能の強化。社会的責任がとれる優秀な施設長の養成。経営・運営管理能力、リスクマネージメントの強化。
・・・法人・施設の経営管理機構の確立・内部統制が働いている組織の確立。


5.ミッションと経営の統合〜実質合理性を求めて〜
    (マックスウエーバー、大塚久雄「社会科学の方法」から)

*宗教(理念)自体は、経済の日常性からみると非合理的なものとして現われる。
理念を生み出す宗教や思想と、現実的な利害状況の根底を制約する経済の2つは一体となっており、1つでありながらしかも互いに緊張関係にある。両者は、深いところで結び付きをもちながら、しばしば対立的な関係になる。

*総合計画は、実質合理性(価値合理性と目的合理性の統合)を高いレベルで組織の中で作り上げ、自立した団体として、社会から尊敬され、信頼される団体に成長させることが一つの大きなねらい。


6.総合計画と第3者評価受審〜神視保育園が目指す施設運営〜

*総合計画での長期目標(Corporate Goals)
   1)保育の質が高い保育園
   2)使命感に燃えた職員がいる保育園
   3)地域から信頼される保育園
   4)地域から尊敬される保育園
   5)世界を見つめ、地域に生きる保育園
    (賀川豊彦が目指した平和・正義・環境・人権・共生の視点を大切にする保育園)

*総合計画の留意点
1)非営利・公益組織としての保育園は、使命のために存在することを再確認する。

2)事業展開の中に、目的合理性(経営)と価値合理性(ミッシヨン)を統合して実質合理性を目指すこ 
   
と。(総合計画と第3者評価の本質は共通している)

3)総合計画は、個人と組織の変革を図る目標管理としてとらえる。

4)公益組織・社会的組織として求められている組織の社会的責任・使命を確立
 @コンプライアンス(法令遵守)(諸規則の整備)(参考)神視保育園の諸規則・マニュアル項目
 Aパブリックポリシー(組織の使命・理念の明確化と社会に主張する政策提言や組織の運動性・方向
    性等)(参考)神視保育園のインターネット・園便り等で主張。
 B組織のチェック機能を備えた健全なガバナンス(理事会や評議委員会等法人として相互に牽制機能
   
を持った組織形態、執行と決定の分離等)
 Cアカウンタビリテイー(説明責任)、情報公開(参考)インターネットで毎年資金収支公表他


 

*使命・理念、目的、目標の用語解説

@(使命・理念)Ideal Goals
社会福祉法人イエス団の使命・目的に関して明文化された「イエス団憲章」を指します。(法人のミッシヨンステートメント)これはイエス団の理念として団体の存在意義の記述です。
団体の倫理性と基本的な哲学を定義していますが、完全には到達できない理念を表しています。時間的枠は無限のように思いますが、この使命によって団体は動いていきます。神視保育園の使命(保育方針)は、法人の使命(イエス団憲章)に基づいて策定されています。

A(長期目標)Corporate Goals
願わしい到達可能な将来像で、法人と施設にはっきりした方向を示す記述で、執行責任者である園長によって提唱され、理事会によって承認されます。
運営管理規定で文章化し、確認している神視保育園の基本方針の運営目標がこれに該当します。
保育の世界では、保育の基本方針・保育目標といわれるものです。
時間枠は、一般的には5年位を意識して一定の成果をだすことが期待されます。
期待される成果が目標を明確にし、具体的な短期目標の方向性を与えるものです。神視保育園の20002年度からはじめた中期3ヵ年計画、2005年度からの第2期中期3カ年計画は、これに該当します。残された課題は、次の3ヵ年計画に継承されます。

B(短期目標)Objectives
長期目標の枠の中で,測定可能な到達すべき成果をいいます。
短期目標の期間は通常1年で、長期目標を意識して作成されなければなりません。神視保育園では、毎年4月に確認する年間の保育主題・保育計画に該当します。
神視保育園としての特徴は、ここに表れなければなりません。
年度が終わったときに、当然、評価することが求められます。

C(実施手順)Action Steps
短期目標の達成に必要な特定の働きや保育活動をいいます。期間は、通常1ヶ月から1年位です。保育の場合、1年間を期間として、キリスト教保育所指針(保育所指針・神戸の保育所指針)に基づいて、カリキュラムが設定され、健康、交わり、探求、表現等の領域を意識して、発達年齢に応じた保育(養護と教育)を展開することが、アクションステップとなります。
保育士のプロとしての資質がこの段階で問われます。
月案、週案、日案のねらいに基づく保育の実施内容を指します。


6)運動と組織の関係概念と宿命的な悪循環

  元東大教授の石田雄氏は、「現代組織論」で「運動の概念が、高度にイデオロギー的性格をもったも   のであるということはいうまでもない。現実にこの「運動」によって完
成されたのは、大衆の制度化に他ならず・・・」としている。

 また組織の概念は、「複数の人間が意識的または無意識的の共通の目的をもって結合したもので、同時にその結合体が成員個人に対してその共通目的達成のために何らかの統制力を持っている場合に用いる」とし、「組織化」という面に力点を置いて考えた場合「運動論」の一環としてとらえられ、「組織されたもの」という立場からは経営学、行政法上の「組織論」としてとらえられます。
 連帯と共感の成果として生まれた組織が、働きを固定化・専門化し、事業の維持や経営のみを考えると、必然的に組織の機能化・制度化を徹底せざるを得なくなる。
すると組織は、タテマエ化と形式化の道を転がり落ちる。(組織の官僚化、硬直化)

            (2006年11月イエス団・雲注社合同施設長研修で牧田稔が発題したレジメ)


ほいくの窓 〜特別編〜

変わりゆく保育制度U
〜児童福祉への営利法人参入について考える〜

 日本の経済危機が深刻化し、あらゆる構造や制度が見直しされてきました。
「痛みを伴う構造改革」という言葉も定着してきました。
私たちの保育関係については、総合規制改革会議の答申などを通じて改革の方向が示されています。
しかし、児童福祉の視点から、また子どもを守る視点から、譲ってはならないと考えることに対して、異議をとなえる部分も必要です。
保育制度改革のねらいは、公的な保育制度を解体し、市場ベースの保育制度に変化させることです。そのため公立保育所の民営化、民間委託、企業参入、公私間格差是正制度の見直し等が進められています。

公立保育所はコストがかかるとか、営利法人立の方が保育ニーズに応えて、うまくやるとういう短絡的な発想のもとに市場化することは、戦後努力して築いてきた児童福祉の視点が失われ、将来この分野の公的責任がなくなる危険性もあるように思います。

待機者ゼロ作戦も、中身を意識しないと、公的保育制度改革の牽引の役割を担ったり、構造改革のもとに企業がリストラをする側面援助(セフテイーネット)にもなる危険性があります。
企業が効率よく雇用するためには、それに対応した保育制度が必要となり、短時間や特定の曜日だけの一時保育、休日保育、延長保育、夜間保育、また病後児保育が当然求められます。

現在行われている保育制度改革は、子どもや保護者に胸を痛めて改革するのでなく、待機者ゼロ作戦を道具に、保育事業のなかに新たな雇用市場を創出するのが目的だと指摘する人もいます。
というのは、政府の待機者ゼロ作戦には、公立保育所を増やして待機児を解消しようとする姿勢はありません。公立保育所の民営化や公設民営は、企業の初期投資が不要であること、加えて運営費の柔軟使用が認められれば、収益を上げられるという前提にたっています。

保育の公的責任の変質は、改定された児童福祉法にも現れています。
この法律の要である24条では、措置という言葉がなくなり、保育所整備に関する行政の責任があいまいになりました。

具体的流れを要約すると、保育の制度改革は、民間の非営利・公益法人(社会福祉法人や財団法人等)が担ってきた第3セクターに、第2セクターの民間企業を参入させ、社会福祉法人と対等な競争ができるように規制を撤廃し、それによって、サービス供給の量的拡大と保育にかかるコストの合理化を図ろうとする制度改革と言えます。

その1つとして、保育所を設置しやすくし、保育所入所待機児童の解消に柔軟対応できるようにという名目で、2000年(平成12年)3月30日に、規制緩和策として、次ぎの3点を決定しました。

1)保育所設置に係る主体制限の撤廃(従来、原則として市町村・社会福祉法人に限られていた)、

2)定員規模要件の引き下げ(30人以上が20人以上になった)、

3)資産要件の緩和

 
@土地を借りて保育所を設置する場合、以前は国・地方公共団体から貸与、又は賃借権・地上権を登した上での民間からの貸与に限定されていた。これを民間からの貸与の際に登記を不要とした。
 A建物を借りて保育所を設置する場合、以前は国・地方公共団体からの貸与に限られていたが、民間からの貸与も可能とした)
この結果、営利法人が経営主体となった保育所が急速に増えてきました。
特に、東京都の認証保育所は、2002年11月1日現在、108の認証保所が誕生しました。
                                     (全私保連事務局調査作成の件数)

 神戸市では、3つの株式会社の保育園が誕生しました。(2003年6月現在)保育園の運営費も公立や社会福祉法人の私たちと同じように営利法人にも支給されます。
(勿論、現時点で営利法人に保育所をさせないという自治体もあります。京都、大阪、名古屋)
それよりも、私は、「認可」という用語を、神戸市が営利法人の保育園にも使用していることは、後に問題が出てくるように思います。
一般の人は、法人認可と施設認可の区別はつかないと思います。
神戸の場合も、法解釈上は問題ないと思いますが、厳しい規制のもとに受けた認可と、規制緩和後の社会福祉法人以外の「認可」とは区別すべきだと考えます。
他の自治体では、「認証保育園」とか「承認保育園」とか、従来の「認可」と区別する用語を使用していることは、この辺の配慮があるものと思われます。
営利を目的とする営利法人の参入は、必ず企業の発想から、従来の保育園の制度と異なる発想で経営・運営されるために、将来、問題を起こすことが予測されます。

 従来の福祉の制度から問題だと思うことが、営利法人としては、当たり前のことで、営利を目的とする営利法人を批判することは、おかど違いのように思います。
営利法人の参入を認めたことは、このことを承知していたと思うのが常識です。
株主配当や保育に従事していない役員の給与が支払われることは、可能性があることで、行政が営利法人の保育園の経営や運営に指導ができるとは思えません。
社会的に問題が発覚して、社会や認可した自治体があわてるのが、目に見えます。(*注1)
保育園は、この市場競争主義の導入で「利用しやすい保育園」「利用者本位のサービスの提供」が求められます。

営利法人はビジネスチャンスとして、従来の非営利・公益セクターに参入してきました。
保育が市場競争の中で産業化されると公的な児童福祉の体系を一変させてしまうのは明白です。
財政の逼迫で、公的な補助金カットや営利企業との競合は、本来合理化になじまない保育の現場で、コスト削減によるパート保育士化や契約による職員の嘱託化が図られます。
サービスの均等を確保するため、保育をマニュアル化し、効率を中心にした保育の展開がなされる危険性もでてきました。
20年程前に、ある人が、アメリカのマニュアルに頼った営利企業の大規模チェーン組織の保育施設に対して、皮肉で「ケンタッキーフライドチルドレン」と評しましたが、営利企業の保育園参入で、子どもたちは商品になってしまうのではないかと、この制度改革を危惧します。

日本の私法制度では、
1)営利を目的とする営利法人と、2)公益に関し営利を目的としない公益法人しか存在しません。
しかし、従来の公益法人(民法法人や社会福祉法人、学校法人等)の許可や認可は、法人設立趣旨から規制は厳しく、市民社会を担う非営利・公益セクターが発展しにくい状況下で、日本の法人制度は課題を抱えていましたが、阪神大震災をきっかけに、社会サービスの新しいあり方として、非営利組織の役割が認識されはじめました。
その結果、1988年に特定非営利活動促進法、いわゆるNPO法の認証による非営利法人が誕生しました。

また、2008年12月には、新公益法人制度で、従来の民法34条に基づく公益法人が、一般社団法人・一般財団法人と公益社団法人・公益財団法人に分類されることになりました。(*注2)
一般社団法人・一般財団法人は登記のみで設立できますが原則課税となり、公益社団法人・公益財団法人は、公益認定のハードルは高いが原則非課税となります。
また、従来の行政の自由裁量権が働く許可制度と異なり、一般社団・一般財団の法人格取得は、簡略化していえば、公証人役場で定款の認証を受け、設立登記をすれば法人格の取得ができるようになりました。

このことは、第3セクターといわれる市民社会の担い手である民間のボランテイアセクター、非営利・公益セクター等の日本の非営利組織にとって、社会政策上の大きな変化となり、政府・行政中心の福祉国家に代わる、世界の潮流である新しい市民社会構築の流れが始まったといえます。
すでに欧米では、第1セクターといわれる政府・公的組織と、第2セクターといわれる民間企業と、第3の担い手である第3セクターの民間非営利・公益セクターの役割の3者のネットワークのあり方が明確になりつつあります。
さて、NPO法人の設立要件としては、簡易な認証制度なので、法人の設立は、容易にできるようになりました。民間営利企業が、保育園のような非営利・公益セクターで、社会貢献をしようとするなら、最低、このNPO法人格や一般社団・一般財団法人格を取得して、民間非営利・公益セクターに参画すべきだと考えます。

勿論、営利企業も直接的に利潤追求を(営利を目的とするから認められた法人)目指してはいますが、生活向上や雇用の安定を図って社会的に福利増進に寄与していることを否定しているのではありません。またフィランソロフィーの視点から社会貢献をしている営利企業も多くあることを承知しています。しかし、営利を目的とする企業が、保育の世界で公的資金(運営費等)を得て活動することに、私は抵抗を感じます。民間営利法人に公的資金を提供することは、憲法89条(公の財産の支出利用の制限)に抵触しないのでしょうか。
少なくとも社会福祉法に基づく児童福祉の実施主体は、非営利・公益法人で行うべきではないでしょうか。

私は、営利企業が保育所を経営することを否定しているのではありません。
民法上、商法上、営利を目的とする株式会社や有限会社等が、公的な資金(運営費等)を得る事が問題だと思います。
児童福祉施設として子どもの人権や保育環境を守ってきた保育園は、「利用者本位」という言葉にも注意しなければなりません。

 「保育園の利用者とは誰のことでしょうか」。保育園には、「預ける親」と「預けられる子ども」がいます。もしサービス競争と保育園の生き残りのために、保護者の受けと、大人の便利さや大人のニーズに応える保育体制や保護者へのサービスのみに関心をもち、目玉商品保育に走るなら、子どもにとって、マイナスの保育環境になってしまいます。
行政の施策が、預ける側の保護者の都合を最優先するなら、子どもは犠牲者になってしまいます。
大人の利便性のみが追及される消費社会の中で、乳幼児を育てる営みまでが、労苦しない利便性で進められるなら、「健やかに発育する真のオアシスの場」は無くなってしまいます。
勿論、非営利・公益団体である社会福祉法人であっても、この視点を逸脱すれば、社会福祉法人の仮面をかぶった最もいやしい存在になります。
自ら非営利・公益法人としての使命と役割を厳しく問いかけつづけることはいうまでもありません。
 次々、提案される保育の世界における国からの構造改革・規制改革について、厳しくその本質を見極め、是々非々について、地方行政を担う神戸市と神戸市私立保育園連盟と協議して、全国の私立保育園連盟が展開している「21世紀を担う子育て環境づくり」に挑戦したいものです。
      

                       (2003年7月 研修会で牧田発題のレジメに一部加筆)

(*注1)この門題提起の1年後の2004年に神戸市の株式会社の保育園で補助金の不正流用、保育士の)雇用契約問題
     で、予想されたていた問題が起きたことは残念であった。
     また、児童福祉分野ではありませんが、営利法人のコムソン事件・ニチイ事件等は、予測された事件だった
     ように思います。
(*注2)従来の民法34条に基づく社団法人の全国私立保育園連盟やローカルの社団法人の私立保育園連盟は、
     2008年12月からの新公益法人制度への移行と公益社団法人格取得のため、準備がはじまりました。

                                    
                                                                    (2007年11月現在)
 


ほいくの窓 〜特別編〜

賀川豊彦の精神 2

〜神視保育園の創立者に学ぶ〜

過去を忘れるものは現在がみえなくなる

 阪神大震災以後、関東大震災での賀川豊彦の働きが注目されています。賀川研究が多くの人によってなされ、徳島では「賀川豊彦鳴門記念館」が始動しています。

阪神大震災を体験した神戸で、ボランテイア活動について考えようとすれば、関東大震災で、賀川を中心とする働きを、「想い起こす」ことが不可欠だという認識が、定着してきたのかもしれません。

阪神大震災では、関東大震災での経験が生かせたのでしょうか。大震災から何を学び、何に気づき、何を生かして、今後の予期せぬ出来事や災害を、負の遺産としてとらえるだけでなく、被災体験から何を知的財産として生かさねばならないのでしょうか。「過去を忘れるものは現在が見えなくなる」と「想い起こす」ことの大切さを、前西ドイツ大統領のヴァイツゼッカーが、敗戦40周年の演説でされたことは有名ですが、成熟した市民社会が構築されるために、第一セクターの官である政府や行政、第二セクターの民間企業、第三セクターである民間の非営利組織のNPONGO等の市民活動のあり方が、当時の賀川によって、示唆されているように思います。また、阪神大震災では、救援活動に組織や人的ネットワークの必要性が強調されましたが、もっと大きな視点から、歴史的な体験をつなぐための過去・現在・未来の時間のネットワークの必要性を感じます。過去と現在の対話から、21世紀への賀川豊彦のメッセージに耳を傾けたいと思います。

 災害・社会矛盾を契機に社会福祉の種をまく

 1923年9月1日に関東大震災が発生した翌日には、神戸YMCAを中心とした神戸のキリスト教会連盟は、賀川豊彦を東京に派遣することを決定。賀川は、海路をとって3日に横浜に上陸し、5日には、東京YMCAの救援活動に合流しました。
そこで、特に被害の大きかった本所・深川の
YMCAの救援活動を受け継ぎ、「応急的救援活動」から「本所基督教青年会(本所産業YMCA)」を設立し、これを母体とした本格的セツルメント活動を築きあげていきました。

賀川は、東京YMCAの救援活動を高く評価し、YMCAの支部として所属しながら、

1)宗教部(被災者の精神復興を重視し、路傍伝道、宗教講演会,聖書研究会、子どもの日曜学校等を実施)。

2)教育部(英学院、労働運動・消費組合・失業問題等の文化講演、手芸講習会)。

3)少年部(子どものキャンプ・レクレーション指導、歌と童話の夕べ等)。

4)社会事業部(職業紹介所、困窮実情の調査、託児所「光の園」、震災後の子どもの体育・遊戯・復習の指導をする3つの天幕セツルメント等)。

5)労働者診療所・児童健康相談所。

6)栄養不良児のための牛乳配給所。

7)簡易宿泊所。

8)組合部(産業労働者の自立と相互扶助のため、イエスの友大工生

産協同組合、編物内職組合、家具生産協同組合)。

9)信用組合組織(被災者に低利事業資金貸付等)を次々と設立していきます。

  これらの産業YMCAの働きは、東京の賀川記念館や社会福祉法人雲柱社の多くの福祉施設として、神戸で生まれた社会福祉法人イエス団と同様、賀川精神を継承して運動を展開しています。              

 関東大震災の数年前には、この本所では、東京帝国大学キリスト教青年会(現在の東京大学YMCA)が、防貧事業の趣旨から、母性の保護と生まれる子どもの保護保健及び救療をする目的で、1918年(大正7年)に賛育会を設立し、翌年には、一般庶民を対象にした日本最初の産院といわれる「本所産院」を開設しています。
続いて、「乳児院」「産婆学校」などを併設して、福祉・医療事業もその緒についた時に、1923年(大正12年)9月の関東大震災により、全施設は焼失、廃虚と化しました。しかし、焦土となった中から立ち上がり、今日、社会福祉法人賛育会は、日本の社会福祉の世界で、トップリダーシップをもった地域社会から信頼される総合的な社会福祉団体に成長しています。

また、1919年には、日本キリスト教婦人矯風会外人部関東部会が、本所でセツルメント活動を展開していました。1923年に託児所、授産所、裁縫室等を完備した建物が竣工した直後に、関東大震災で賛育会と同様に廃虚となりました。しかし、その年の12月には託児所をバラックで再開し、被災者の救援活動を興望館セツルメントとして活動を展開しました。現在、社会福祉法人興望館として保育園、養護施設、地域福祉全般にわたり、すばらしい働きを展開しています。

YMCA運動と賛育会、興望館、そして賀川が関係した活動は、キリスト教を基盤にして、あるいは設立の精神を意識しながら、時には相互に連携しながら、それぞれの運動を展開して、今日に至っています。ボランテイアとか、市民参加や市民運動の原点となったこれらの運動体は、今日組織化された事業体となり、運動体としての組織のあり方について課題を抱えつつ、21世紀への挑戦がなされようとしています。

 市民社会形成への運動

 関東大震災前後の時代背景を見ると、1914年の第一次世界大戦が日本の経済に影響を与え、急激な社会変化に諸制度の整備が追いつかず、社会矛盾が顕著になり、時代の思潮の転換期だったといえます。思想的にも大正デモクラシーといわれる運動が盛んになった時代でもありました。         

1916年には、吉野作造が民本主義を提唱。1918年には、吉野は、海老名弾正牧師(後に同志社大学の総長)に大きな影響を受け、キリスト者教師として「東大新人会」を結成し、片山哲など、多くの民主主義の市民運動、社会運動・労働運動家が、ここから育って活躍しました。                         

賀川豊彦は、吉野作造とも関わりを持ちつつ、1921年に神戸購買組合を創設。また、神戸で川崎・三菱の労働争議が起き、賀川はこれを支援しました。

翌1922年には、杉山元冶郎、賀川豊彦らが、神戸YMCAで農民組合を結成しています。また賀川は、YMCAのジョンRモット(後にノーベル平和賞受賞)に支援を受けつつ、キリストによる世界平和を目指す「神の国」運動を展開します。

  時代を同じくして、鈴木文冶、大山郁夫、森戸辰夫、新渡戸稲造、片山潜、安部磯雄等の人々が、社会主義と民主主義の市民的運動の要として活躍していました。

神戸は、内外の協力や、また神戸の文化的・宗教的背景もあり、賀川を含めて、無産運動が盛んになりました。YMCAも1928年に自由大学という講座を開催し、賀川豊彦、今田惠(関学教授)、坂本勝(後の兵庫県知事)、松沢兼人(後に社会党国会議員)等が関わり、特に、河上丈太郎(関学教授、後に社会党委員長)は、「基督教徒社会思想研究会」をつくって、キリストの愛と正義に従う青年運動を指導しました。

このような社会動向のなかで、行動的な賀川は、人的ネットワークを生かし、当時の時代背景や大震災を契機に、ボランテイアの啓発や、社会福祉事業を次々と組織化し、「救援ではなく救護」だという思想(対処療法でなく、長期的な展望をもって)と、「精神復興」が重要な使命だと主張し、伝道や講演活動を実施したり、社会調査により、行政の施策にも働きかけ、その後の国の社会政策にも大きな影響を与えました。

日本の災害救済事業が、YMCA、賛育会、興望館など、結果として、ボランテイアの源流を築き、日本の社会福祉事業の発展の種をまいたといえます。

 生き方の原点〜いと小さき者のために〜

 賀川は、福祉のみならず、社会や個人の人間の問題をミクロやマクロの視点から、人間解放の総合的なデイベロッパーというか、玉子の孵化器の役割を果たして、多方面の運動を展開し、色々な組織の種を蒔いたともいえます。

特に、組織化や、制度化された形のあるものだけでなく、見えない精神的所産としての文化や、人間としての生き方を、運動や組織の中心に置いていたことを忘れてはなりません。それぞれの運動のなかに、自己保存的な生き方ではなく、「いと小さき者のために」「他者的に生きる」姿勢と使命(ミッシヨン)があったため、賀川にふれた多くの人々が、共感や連帯によって賀川の運動を支援し、今日も賀川が関わった組織や団体が生まれ、存在しているように思います。講演活動や具体的な働きを通して、共感と連帯とボランテイアスピリットが、賀川の運動を発展させたと思われます。

関東大震災時には、既に国際的にも国内的にも、YMCA、赤十字社、救世軍等のボランテイア団体が活躍しており、ボランテイアの先駆者が賀川豊彦だと断定できませんが、YMCAやイエスの友の力を生かし、日本における組織的災害ボランテイアの源流として、また人的ネットワークを生かした賀川の働きは、大きかったといえます。
  また、
YMCA、賛育会、興望館等、同じキリスト教の精神基盤と使命をもった働きが、相乗的な効果を上げたと思います。

それぞれの団体とボランテイア精神の中に、自分の意志や力で成果を上げようとする生き方や組織でなく、人間を超えた力に動かされ、他者のために生きることこそが、価値あることだと、現代の私たちに問いかけているように思います。

「組織は何のために存在しているのか」「人は何のために生きているのか」この基本的な問いを持ち続けなければ、その存在そのものの意味が失われてしまうように思います。賀川は、民間市民・ボランテイアセクターの働きが、市民社会形成にとって重要であるという認識をもって、セツルメントの草の根運動を展開したのではないかと想像します。

 運動と組織の宿命〜非営利組織に必要な視点〜

 私たちは、「運動」の概念を意識しないで、平和運動、社会運動、組合運動、市民運動という言葉を使ってしまいます。「YMCA運動」や「生協運動」という表現も定着しています。しかし、運動という言葉を極めて曖昧に使っていることも反省しなければなりません。その意味することを意識しなければ、使命や願いをもった運動は広がりません。

 運動(ムーブメント)は、結びつく言葉によって多少異なった意味を与えられていきますが、「運動と組織」について、元東京大学教授の石田雄氏は、その著「現代組織論」(東大社会科学研究所・岩波書店)の中で、運動を「高度にイデオロギー的な性格をもったものであるとし、その運動によって完成されるのは大衆の制度化にほかならない」という概念規定をしています。

そして組織の概念を「複数の人間が意識的、また無意識的に共通目的をもって結合し、その結合したものが構成員に対して何らかの統制力を持っている場合に用いる」として、「組織化のプロセス」を、運動論という中で捉え、「組織されたもの」という立場からは、いわゆる経営学、あるいは行政学上の組織論として、学問的にその例を見出されるのだ」と述べています。

 使命や願いをもった運動の影響力を大きくしていこうと思えば、共感と協働を創り上げるために、多くの人間を組織化し、その組織を道具として、運動を強化しなければなりません。しかし、組織を大きくしていくところに、今度は、逆に組織維持のために、効率が求められ、統制機能をもった制度化や施設化と官僚主義的な機構が作られていきます。

つまり、組織化されたものを、維持存続させるためには、経営の効率化をはからねばなりません。連帯と共感で生まれた理念目的をもった運動体が、制度化され、組織体が行う事業体の性格が強くなると、精神性を喪失した専門分化が機能的になされる傾向がでてきます。                                             運動体にとって、組織は不可欠であり、しかも組織は、運動と矛盾する要素を含んでいます。
ここに、「運動と組織」の関係における現代の宿命が存在しています。連帯と共感で生まれた賀川の運動体が、組織的に大きく発展をした中で、目指そうとした願いを内在化できないまま、組織維持に汲々としてしまう状況に陥ってしまう危険性をもっています。

  連帯と共感で生まれた非営利組織やボランテイア団体が、この矛盾をどう克服するかが大きな21世紀への課題ではないかと思います。

阪神大震災の影響や社会・経済環境の激変で、組織維持に汲々としてしまう今日の世界に、「もし賀川豊彦が、再度つかわされたならば、何をされるのだろうか」という問いかけが、求められているように思います。

 21世紀社会への問い

 賀川の「震災救援運動を顧みて」という著述の中で、関東大震災での救済事業が、驚くべき無秩序だったことと、訓練のない国民を嘆き、食糧配給問題については徳川時代に劣るとし、バラックの不良住宅については失敗したと批判しています。

賀川のいくつかの問題提起と関東大震災の働きの中で、今日の私たちが注視したい事項として

1)      救援団体や行政との連携・組織化の必要性を主張し、今日でいう市民・NPO/NGO・企業・行政等のネットワークの重要性を主張していること。

2)      社会や行政に対して、市民社会構築に必要とされる社会調査に基づいたアドボカシーとかパブリックポリシーとかいわれる社会的発言や政策提言をしていること。例えば、バラックのスラム化に憂慮して、住宅の供給・改善方策の提言等を行い、社会政策として対応の必要性を主張し、実践したこと。

3)      阪神大震災後、心のケアーが問題提起されたが、賀川は被災者の精神復興運動が重要だとして、心に希望と活力を与えることの必要を強調したこと。 

また、市民社会を構築する上で必要とされるフィランソロピーの心をもった賀川のこれらの実践と主張は、歴史的事実として高く評価し、時代を超えた問いかけとしたいものです。

賀川を神格化し、業績をたたえるだけでなく、過去と現代の対話をするために、賀川が、残した多方面にわたる働きと提言の遺産を、現代そして未来に継承し、時間空間のネットワークとして生かすことが、今日求められているように思います。

21世紀の最初の年は、国際ボランテイア年でした。
その趣旨は、社会
,経済,文化、人道、平和構築においてボランテイア活動が必要とされる認識、特にグローバルはローカルから始まるという理念がありました。

そのためには、賀川が神の国運動で願った「平和の文化」の創造を、21世紀への遺産として継承し、自立と相互扶助を目指し、平和な世界の実現に努力したいものです。「Think globally  act locally」(世界を見つめ,地域に生きる)ことを実践した賀川の願いを想い起こし、阪神大震災と関東大震災から、平和と公正をベースにした新しい生き方・文化が始まることを願いたいと思います。

 (注 記)
   吉野作造は、本所産業
YMCA設立時の理事、また賛育会の二代目理事長 。片山哲は、賛育会の四代目理事長。現在、社会福祉法人賛育会は、YMCAと深い関わりをもちながら、病院・特別養護老人ホーム等24の施設をもち、医療・保健・福祉の連携を含めて事業展開をしています。

  
(このバックナンバーは、2002年にコープこうべから原稿依頼を受けたものを転載した 。牧田稔)
 


ほいくの窓 〜特別編〜

「これからのNGO運動のあるべき姿」


 NGO恊働センターの村井さんから「草地さんを偲ぶ会」のシンポジウムで、私が述べた内容に関連して、このテーマで話すようにとのことですが、NGOの学者でも専門家でもありませんので、NGO運動の側面で意識しておきたいことと、テーマに関して個人的に関心を持っている視点から考えてみたいと思います。

「運動と組織」、「公と民」、「任意団体と法人組織」、「宗教、思想、理念、使命と経済現実の利害関係」というように2つの対極というか、まず対立概念と思われる2つの概念の統合とバランスという命題の中で、NGO運動の一つのあり方を考えたいと思います。

1 民間の非政府組織の運動体である意味

 NGOは、国連によって作られた言葉といわれます。国連は第2次大戦の処理と戦後の世界復興を目指した世界政府組織です。世界政府ですから、加盟している各国が1票を持っている地方政府の集まりによる世界中央政府と理解できます。
その国連は「世界に平和をもたらすには、政府だけの力では限界があり、国家の利害状況の対立の中にあっては、政府の力は逆に阻害要因になるケースも出てきました。
そんな状況下で民間の非政府組織であるNGOの働きが必要かくべからざるものになりました。
 YMCAは1844年に誕生し、1855年にはパリで第一回の世界YMCA大会が開催され、9カ国38YMCAの99名が集まった歴史が記されています。その時にパリベーシスという共通ミッションというか、YMCAの憲法をつくりましたが、その起草者の一人がスイスのアンリーデュナンでした。 今日124カ国にYMCA運動とネットワークが広がり、国連の最大のNGO団体の一つとしてYMCAは存在しています。
このアンリーデュナンは、YMCA運動とともに、北イタリアのソルフェリーノの戦場で放置されている戦傷者の悲惨な状況をみて、国際的救援団体の必要性を痛感し、敵、味方の区別なく救護する原則のもとに、市民の善意を集め、1863年に赤十字国際委員会を創設しました。その後、国家を巻き込んだ1949年のジュネーブ条約(戦争犠牲者の保護のための国際条約)が生まれ、日本でも民間の団体でありますが、日本赤十字社法が作られ、特殊法人として存在しています。

 なぜ、赤十字の例を出したかといいますと、アンリーデュナンの考えは、当初の世界YMCA同盟の組織を真似たのではないか、とあるYMCAの先輩が指摘されているからです。
赤十字社は戦争犠牲者の保護という性格上、民間といいながら各国政府と関係深い組織として成長発展していきます。
同じ源流を持つYMCAと赤十字は、世界各地にその運動が広がりましたが、異なるNGOの歴史を歩むことになりました。
勝手な私一人だけの憶測ですが、国連機関や国際連合は、YMCAや赤十字の世界組織をモデルにしたのではないかと思っています。

2 先端となっても末端となるな!!
    ―意識しないでコントロールされている民間団体―

 人類の歴史で国が国民を守るという発想に立つのか、市民が自分たちの国をつくるという発想に立つのか、教育の違いというか、NGOはまさに世界政府ではなし得ない働きを非政府組織、つまり市民に委ねようとする働きだと思われます。「末端になるな、先端となれ」という視点は、動かされる対象ではなく、動かす主体がNGO側、市民の側にあるという認識です。
NGO運動にとって、忘れてはならないのは、民間の非政府組織の運動体であることだと思います。民間性や市民性を意識することが非常に重要な視点です。

 民間団体であるということは、行政に動かされる客体者としての「末端」ではなく、行政を動かす主体者としての「先端」であるという認識をもっているかが問われます。公は当初、民を表す言葉であったにもかかわらず、いつの間にか公共、行政を意味するようにすりかえられてしまっています。公のパブリックという言葉は、民衆、人民、国民を表す言葉であったわけですが、今日誰も公は民であるとは思いません。
世界的には分かりませんが、日本の社会構造や制度は、民間団体を行政や公の管理下に置こうとしてきた歴史があるのではないかと思います。民間団体の公益法人である財団法人や、社団法人、学校法人、社会福祉法人、その他の法人も行政の監督、指導におかれてしまう制度になっています。
また公共的、公益的な団体を行政が独占し、その機構、組織に組み込んでいる現実は、非常に強い日本の特徴と考えられます。

 例えば、第3セクターの民間の市民セクターに、第1のセクターとして、官や政府また、地方自治体の県、市の行政が、公益法人としての財団法人や社団法人、また社会福祉法人等の器をつくっていることがいかに多いかを見れば明らかです。これらの団体はあたかも民間団体のようであっても、行政の末端組織として、もっとはっきり言うと、行政の外郭団体の官益法人として、補助金や委託費等の資金を受け取りながら、官の天下りを受けている官益法人がいかに第3セクターの大部分を占めているか、誰もが知っています。いかに純粋な市民セクターの民間団体が少ないか、私はこの現実に危惧を感じています。

 そこには、本来の民間団体のスピリットは生まれてきません。民間団体である社会福祉法人も、国が定めた定款準則を一字一句変えられませんし、民間の使命である運営のスピリットであるその法人の目的まで、国が定めた言葉以外には使えません。民間の使命をもった主体性は少なからず制限されています。これは明らかに統制機能が働いているといわざるを得ません。行政が民間団体をコントロールする許可や認可のシステムが第3セクターにいかに君臨しているか、法人格をとればすぐに分かります。こんな状況下で民間団体の独自性や主体性は、自ら強く意識していないとすぐに壊せれてしまいます。

3 民間団体の独自性、自発性、主体性、開拓性、柔軟性、批判性、運動性などについて

 民間団体はいつもこれらのことを意識して、自らの組織の中に内在させる努力をしなければ、民間性は維持できなくなります。独自性はどこから指示命令を受けなくても、自ら必要と確信することは、その外的条件に左右されずにそれに取り組む自発性によって成り立ちます。
しかし、また自ら信じるところに従い、やるべきでないとすることは断じてしないという主体性を確立することによってその独自性は生まれます。民間のボランティア団体としてのいのちはここにあります。
この主体性、独自性を表現する言葉として「いわれてもしない いわれなくてもする」という表現が民間保育運動の中で、イエス団の村山盛嗣氏が1980年頃に使った言葉です。それ程、民間団体にとって主体性と独自性を守ることは重要なことです。

 もう一つの視点は批判精神を内在している団体や組織、また社会こそが人間の問題に対して絶えず開拓的であり、革新的であり続けることができる事実は歴史を通じても明らかです。社会環境の変化により、当然人間の社会現代的課題は変化していきます。これに柔軟に対応できずにその働きを固定化、専門化し、その組織や団体の事業の維持のみを考えるとすれば、必然的に組織の制度化や機能化を徹底せざるを得なくなります。そうすると、組織の官僚化や硬直化が進み、運動性を後退させてしまう危険性が出てきます。

4 官=行政と営利企業と民間市民セクターとの関係
 

 第3セクターの非営利・公益団体としての民間団体が、第1、第2セクターの末端の事業を担うのではなく、生活主体者としての人間である民が行政に働きかける先端としての主体者であるという自覚があれば、アドボカシーとか、パブリックポリシーとかいわれるように、社会的発言、政策提言を、行政や企業に自らの主張をしていくことが、市民セクターの大きな働きの1つだと思います。
もし、先に述べた第1セクターの第3セクターへの介入と同様、第2セクターの企業が、単に企業の社会的信頼を高め、免税等の関係で経済的視点からグッドビジネスになるという感覚で、社会貢献や国際協力を本来の純粋な第3セクターを理解することなく、企業の関連組織として公益法人の器をつくっていくならば、つまり、営利企業がつくった器が、非営利の市民活動の分野を支配してしまうと、市民組織としての政府以外の営利を目的としない第3セクターのNGOやNPO運動が育たなくなってしまう危険性があります。   
私は、行政も企業も第3セクターに入ってくることを否定しているのではありません。

 本当の意味で行政も企業も「サポート バット ノットコントロール」の原則をもって、第3セクターを育てる姿勢が成熟した社会だと思います。非営利・公益のために働く民間の市民セクターの団体の主体性や独自性を尊重しつつサポートすることが、市民主体の運動を強化することになるのだと思います。

5 運動と組織の課題

 第3セクターの民間の非営利・公益団体は、NGOも含めて運動体であり続けて欲しいと思います。どんな運動体でも、自らの使命というか主張すべき視点をしっかりもっていないと組織に強くなれません。組織内部にアドボカシー的マインドが必要です。
村井さん他、NGOs神戸の22回の災害救援の働きは、文書で提言してませんが、行政や市民社会を動かすアドボカシーの働きをされたと高く評価できます。つまり、既存の社会システムを超えて、各NGOや市民と協働する営みが、NGO運動の大きな役割だと思います。
私たちは、「運動」の概念規定をあまり意識しないで使っています。
例えば「平和運動」とか「社会運動」「組合運動」「市民運動」とかいうように使っていますし、今回のように「NGO運動」というように、あまり意識しないで何でも運動という語をつけてしまう傾向があります。つまり「運動」(ムーブメント)という言葉を極めて曖昧に、イージーに使ってしまいます。
元東大教授であった石田雄氏は「現代組織論」(東大社会科学研究所・岩波書店)の中で、運動の概念は、「高度にイデオロギー的性格をもったものである」として、運動によって完成するのは、大衆の制度化に他ならないという概念規定をしています。 そして、組織の概念を「複数の人間が意識的、また無意識的に共通の目的をもって結合したもので、同時にその結合体が構成員に対して共通目的達成のために何らかの統制をもっている場合に用いる」としています。
運動の影響力を大きくするためには、生活主体者の市民、つまり多くの人間を組織化し、大きな組織をもたねばなりません。
運動にとって組織は不可欠ですが、しかも組織と運動は矛盾する要素を含んでおり、ここに運動と組織の関係における現代の宿命があります。
連帯と共感で生まれた組織が、制度化、官僚化の中で建前化と形式化の道を転がり落ちるのは、自発性の強い団体に多いといわれます。

 運動が継続するには、すでに確立されている体制や価値観に対して、「こういうことが大切ではないか」と主張していくことを、つまり社会に価値観や体制が確立されていないものを、価値あるものとして位置付けていくことに運動の本質があると私は思っています。
そのため、ほとんどの運動は、最初は少数派であり、同じような考え、価値観をもつ同志が、共感と連帯によって始まります。NGOs神戸もまさにその1つであるといえます。そのために運動には主張すべき価値観というか使命や目的や理念が必要で、理想目的に向かう姿勢を明確にしてくべきだと思います。ミッションステートメントを文章化して組織内部に意識化させる必要もあります。

6 NGOのネットワークについて

 世界的に運動とネットワークが広がったYMCAには、インター・ムーブメント・コーポレーション(運動間協力)が強調され、意識されています。この運動間協力には、大切にすべき12原則がありますが、特に注意すべきことはパターナリズム(=干渉主義、父親的温情主義)になるなということです。 この意味は、援助する側が、支援を受ける側の主体性を失わせてしまうような介入や価値観の指導を押しつけてしまうようなことはあってはならないということです。「援助すれども統制せず」というサポート・ノーコントロール(support but no control)という姿勢を大切にしようということです。

 パートナーシップには、相互性、対等関係、合意に基づく役割分担が必要だといわれています。特に国際協力には、援助者と受ける側がともに学び、互恵があり、主体性を損なうことがない「自立と連帯」が必要だと12原則にまとめられています。私はこれに加えて、価値観や問題意識の共有が、ネットワークや運動性を高め、強めるように思います。

7 NGOsKOBEのネットワーク組織の評価と今後の課題

 個人的に感じていることですが、NGOs神戸が23回にわたる災害救援を継続できたことや、ネットワークの成功した理由は、勿論リーダーシップを取ってこられた運動家としての草地さんや村井さんやスタッフの能力も高かったことは当然ですが、現時点の評価としては、

1)ゲマインシャフト的なやわらかなネットワークで、災害毎に中心になるNG O構成員に加え、
  新しく参画を他の団体や市民に呼びかけていること。

2)参画している各NGOに統制機能が強くなかったこと。

3)災害支援という共通事項があったこと。

4)ボランティアスピリット旺盛な切り込み隊長的な、また修行僧的な村井さんのもとに、若い仲江
  川さん、鈴木さんなどのスタッフの野性的なエネルギー や使命感に支えられてきたこと。

5)当初から国際協力の経験をもっていた草地さんが、運動間協力のあり方を押さえ、現地のNGO
  
をサポートし、現地の人々の参画を意識して支持する姿 勢をもっていたこと。

6)生協などの社会的存在の大きな団体や市民を巻き込んで、災害救援の募金を展開したこと。

7)マスコミ関係がNGOs神戸の働きを取り上げ、市民にそれを発信してくれたこと。

8)意識していたかどうかは別にして、NGOの民間性、非政府性、運動性を大切にしていたこと。

9)NGOsの構成団体の主体性を損なうことのない、自立と連帯が保たれたこと。

10) 合意に基づく役割分担、つまり各NGOの得意とする分野をうまく活用したこと(例えばコープ
  の募金力、YMCAの現地でのレクレーション等、心のケア、緊急支援のノウハウをもったNG
  O等)そこに相互補完性が働き 、それぞれのNGOのもつ力が統合されたこと。

11) その他にも理由が挙げられるが、根底にNGOsKOBEが統合された共 通性は、被災地神戸
  という特殊性の中で、災害支援という使命が連帯と共感 を生み出し、各NGOのネットワーク
  を強め、各個NGO団体がバラバラに 災害支援をする以上の大きな働きが、協働の中で実現で
  きたといえます。

しかし、運動と組織の宿命で、それぞれ構成員のNGOの団体1つ1つの抱える課題と同様、NGOsKOBEのようなネットワークとしての組織もネットワーク維持のために、常に新しい気持ちで連帯と共感意識を作っていかなければ、それぞれ構成員の組織維持に必死で、ネットワーク維持のための協働が、困難になってきます。
 
 またネットワークのよい面ばかりで評価される影で、若いボランティアスピリットをもった専従スタッフが、いづれ家庭をもち、生活していくには、各NGOがかかえている課題と共通しますが、生活補償ができる制度化や財政基盤の確立がなされなければ運動の継続はできません。
そのためには、例えば募金の25パーセントは、事務、経費に利用できることを一般化したり、NGOの構成員や市民に日常的に会費を貰うなり、助成財団や企業からの支援、独自の資金獲得のための事業収入もなければ自立できません。目的遂行のための資金調達をはじめ、マネージメント能力が必要になってきます。
繰り返していいますが、組織を強化しようとすれば、運動の影響力を大きくして、多くの団体や人間を組織化し、制度化していかなければなりませんが、組織の巨大化は不可避的に官僚主義化の傾向を伴います。運動にとっては、組織は不可欠ですが、しかも組織と運営は矛盾する要素を含んでいます。

 これからのNGO運動の課題は、                   

1)組織的に運営できるような体制をつくること(経済基盤の確立を含めて)     

2)組織と運動について管理運営していく能力をもったNGOのプロフェッショナルを育てること
  (マネージメント能力を持った人材)       

3)援助、協力、交流、理解、連帯が組織的、経済的に展開されるようなNGOの組織づくりをする
  能力が、求められるのではないかと思います。

 まだ、日本のNGO、NPOには採用されていませんが、総合計画の手法を取り入れ、事業、会員、財源、人的資源、施設、その他、あらゆる領域の計画を、理念、長期目標、短期目標など、戦略計画を考える習慣をつけ、あるべき姿を探ることが大切だと思います。
ドラッカーが指摘しているように、自分たちの使命は何か、対象としている人は誰か、成果は何か、計画は何かを意識していなければならないように思います。

8. 結びー実質合理性を求めてー

 組織の強化はその精神性(理念、使命目的)によって決定されると同時に、他方では、いかなる組織もその精神性によってのみ存続できるのではありません。任意団体と事業体というか法人組織、民と官、運動と組織、理念や使命の問題と財政や経済、理念を生み出す思想や宗教と現実的な利害状況という二極の緊張関係が、歴史の根本的なダイナミックになっています。
現実には、理念は利害状況の中に入り込み、利害状況の中でそれに結びついていますし、利害状況も、現実的には何らかの理念を背負って存在しています。
理念と利害状況の2つは、一体となっており一つでありながら、しかも互いに緊張関係にあります。

 組織運営というのは、目標を実現する合理的的行為であり、そのため、効率的、継続的に仕事をしようと思うと、命令・支配の関係を含む組織となっていきます。そのうち合理的的行為の効率を上げることが、究極の目的となってしまう危険性が出てきます。
マックス・ウェーバーによると、合理性には価値合理性と目的合理性があり、前者は宗教のようにある価値を無条件に方向づける場合を指し(例 被災で苦しむ人を助けたいというようなケース)、後者は、目標実現のための手段の選択が、合理的に行われている場合をいいます(目標実現のため募金や事業を展開する)。
目的の手段が自己目的となってしまう場合を、形式合理性といいます。
この価値合理性と目的合理性は、深いところで結びつきながら、しかも対立的な関係に立つことがあります。この二つのバランスをとって統合することが、実質合理性となります。

 実は、NGO運動を強化したり、組織として市民社会を構築していく非営利・公益民間団体のかかえる見えないこれらの危険性を、気づいて欲しいという気持ちで、2つの対極の中でお話してきました。
NGOのあるべき姿は2つの対立概念を統合して、バランスをとるところが大切だと思っています。
   
   (このバックナンバーは、CODEの寺子屋・パオの特別講演で牧田稔が話した記録を転載した)

"寺子屋・パオ" 特別講演録から

 

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