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お知らせ  ほいくの窓  ほいくの 窓 バックナンバー

お知らせ

   ・東日本大震災(東北・関東大震災)被災地の皆さまに心 からお見舞いします。
  保育園の先生や子どもたちが心を寄せて祈り、阪神大震災の時に全国から支
    えられたことを想い起し、痛みと思いを共有したいと思います。
  
 ・2月3日は、お誕生日会と節分の豆まきをします。
  5日(日)は、公益社団法人神戸市私立保育園連盟主催の食生活フェアーがこうべっこ
  ランドで実施されます。午前11時からです。栄養士・調理師等が日ごろの腕を発揮し、昼
  食も試食できます。是非ご参加ください。(無料)  

 ・東日本大震災後、原子力発電のトラブルもあり、冬の間も電力量削減を企業
  のみならず、国民にも協力要請がなされています。
  保育園では、地球温暖化防止、省エネルギーを意識した保育環境づくりと「も 
  ったいない運動」を展開し、デマンド監視システムにより、4年間をかけて省エネ
  エアコンやLED電灯等に取り組み、約30%電力削減ができました。

 ・虐待は、社会全体で取り組む重要な課題です。
  保育園や家庭で虐待防止に留意しましょう。
  虐待を受けたと思われる子どもを見つけた時やご自身が子育てに悩んだ時
  は、   

            
*保育園や神戸市子ども家庭センター(382−2525)や
         *長田区の子育て支援室(521−0415)
(各区に子育て支援室があります)
   
   
に、ご連絡ください。

 

ほいくの窓 NO120

現代人の心のいやし [

 〜求められるスピリチュアルケア〜

                           園長 牧田 稔

「現代人の心のいやしY」で取り上げた賀来周一先生(キリスト教カウンセリングセンター相談所長、元ルーテル学院大学教授・牧師)から、「聖書におけるスピリチュアリテイー・スピリチュアルケア」という著書をいただいた。賀来先生は、私が子どもの時の教会学校の先生でした。
阪神大震災後の神戸YMCAでの講演で、人間は、「存在する」ということに価値を置いてきただろうかと問題提起されたことが、私の心に強く残っています。

今回、頂戴した著書の中で、死に臨む人がどのような問いを持つのか、医療現場のホスピスだけにとどまらず、牧会現場、福祉現場、最期の時を在宅で迎えたいと願う家族のケアをする現場においても考慮されなければならないと指摘されます。

「死が残す問い」には、この世的な心配ごと(死後の葬儀や墓の問題、後継者に残す遺産や家族関係の問題、生前解決できなかったこと等)に加えて、危機的・実存的な問いが、死に際して、「こんな状況になったら生きていても仕方がない」、「何故私はこんな病気になったのか」、「これから先自分はどうなるのか」、「私の人生はこれで良かったのか」等の問いが、本人のみならず死の看取り現場の家族にも問われてきます。これらの問いは、スピリチュアルペインと言われるもので、WHO(世界保健機関)は、終末期患者の身体的痛みに対する医療的ケアとスピリチュアルペインに対するスピリチュアルケアが必要だと主張しているようです。そして、「人間の生き死に」の瀬戸際に、誰もが経験する問いであると言います。ここでは、成熟した宗教性が求められます。

スピリチュアルペインは、終末期患者だけでなく、予期せぬ出来事の阪神大震災や東日本大震災の被災者、思いがけない事故、自分の責任でもない重度の身体的・精神的・知的障害を負った人、色々な重大な喪失体験をした人、高齢で認知能力を奪われた人等、本人だけでなく家族の人生の危機に際し、実存的な問いとして、スピリチュアルペインを抱える可能性があると指摘されています。

危機的・実存的な問いとして賀來先生は、3つのカテゴリーに分けておられます。

@    存在論的問いとは「なぜ存在するのか」と存在の理由を根源的に問う問いです。
例えば、高齢者になって何もできなくなり、これ以上生きていても仕方がない。早く死んだ方がましだと嘆くことがありますが、果たしてこれが人生の最期にふさわしい言葉だと思えないと言います。「何かをする」ことを重視する現代社会の価値観は、何もしない人間は駄目な人間、役立たずとしか見ない。そうなると何も出来なくなった人間は、早く死にたいと思ってしまいます。存在論的問いは、現代社会が見失った価値が何であるのかを気づかせる問いだと言います。神は存在する全てのものを良しとされた。「空の鳥は種も蒔かず、刈入れもせず・・、野の花は、働きもせず・・」ここでは、行為:「すること」に価値の基準をおくのでなく、存在:「いること」そのものが肯定される価値観が重要だといいます。

A    目的論的問い
人間は、人生を振り返る時、仕残した未完成の仕事を残して人生を終わるのが一般的です。
死を間近にして、これまでの人生は一体何のための人生だったか空しさを抱えて死を迎え、これで良かったのかと問うことも少なくないと言います。また、死に臨んで「私が死んだらどうなるか」という危機的・実存的な問いもあるようです。

B不条理の問い
阪神大震災、東日本大震災、福島原発事故の被災者だけでなく、人間は日常生活の中で、「何故・どうして私がこんな目に遭うのか」という不条理な出来事を少なからず経験します。  
神や仏に対し、怒り、抗議、絶望等の感情に陥ります。
著者は、キリストが十字架上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか」と言ったことは、不条理に感じている私たちが叫ぶ言葉だと言います。

そこに「共に苦しむ神」が、私たちと共にいてくださるという認識が重要だといいます。

そして、スピリチュアルペインに対するケアは、存在の肯定と安心感の付与、究極の世界に委ねる決断、カウンセリングの基本の受容・共感・傾聴を心にとめて「共にいる」ことが重要だといわれます。                     

                           (2012年2月1日)


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